2014年8月13日水曜日

第1次大戦から100年

 今年は2014年。100年前の1914年に起こった大ニュースは、第1次世界大戦の始ったことです。
 戦地となったヨーロッパでは大きな式典が催されたりしていますが、日本ではほとんど取り上げられていません。

 1914年(大正3年)当時、世界は帝国主義、植民地主義の時代でした。日本は1902年に日英同盟を結び、1904年日露戦争を戦いました。

 一方のヨーロッパでは、1882年にドイツのビスマルクがフランスを孤立させるべく、オーストリア、イタリア間の同盟を結びました。三国同盟です。
 しかし、1890年にビスマルクが失脚すると、1893年にドイツに対抗して露仏協商が結ばれました。
 1902年には仏伊協商が結ばれ、イタリアは三国同盟から事実上脱退しました。
 1904年に英仏協商が、1907年には日露協商と英露協商が結ばれ、英仏露の三国協商がなりました。
 1908年にはオーストリアが旧トルコ領のボスニア・ヘルツエゴビナを合併し、セルビアとの関係は険悪となりました。

 そんな関係の中、1814年6月28日にオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子フランツーフェルジナンド大公夫妻が、ボスニアの首府サライエヴォでセルビア人の青年に暗殺されました。
 この事件が第1次大戦につながるとは、世界中のだれもが想像だにしませんでした。

 1814年7月7日、オーストリアがセルビアに最後通牒を突きつけ、7月28日回答を不服として宣戦を布告しました。

 ドイツは8月1日にセルビアをバックアップするロシア、8月3日にフランス、4日にはイギリスに宣戦布告しました。
ドイツーオーストリア同盟と三国協商側との戦争となりました。
 

 日本は8月15日、ドイツに最後通牒を突きつけ、9月3日に中国山東省の龍江に上陸。11月7日には青島を占領しました。

 あれよあれよと戦線が拡大した原因は、多国間の同盟、協商にありました。

 その後1000万人を超える戦死者を出した大戦は、1917年アメリカの参戦やロシア革命を経て1918年ドイツの敗北で決しました。
 日本は日英同盟の関係で三国協商側につき、 1919年のヴェルサイユ講和会議には連合国の一員として参加しました。

 戦争は終わりましたが1939年には第2次大戦がおこり、平和はわずか20年で終了したのでした。

 現在の安倍内閣は、集団的自衛権の行使可能を閣議決定し、アメリカの艦船が攻撃された時には日本の自衛隊はアメリカ軍とともに他国を攻撃できるとしました。
 

 2国間の同盟ゆえ、アメリカが大戦に参戦した時、日本も第1次大戦の時のように参戦することになるでしょう。。日英同盟の時代、イギリスとドイツが開戦し、日本がドイツ領に攻め込み参戦したことが再現されるのは容易に想像がつきます。

 世界大戦に参戦するというあやまちを繰り返さぬためにも、新しい内閣の下で集団的自衛権を行使しないことを決定するべきでしょう。
 それが広島の願いでもあります。