2014年1月31日金曜日

板垣と大久保

                                           板垣退助の書

                                            大久保利通の書

 板垣退助(1837-1919)と大久保利通(1830-1878)の書です。二人とも明治維新の元勲として、日本史に名を残しています。

 板垣退助は土佐の人。土佐藩の上士で、馬廻り格・300石取りでした。生家は高知城のほど近くにあり、壮大な門構えと広大な敷地を誇っていました。早くから藩政の中心にあり、藩論を武力討幕に導きました。
 戊辰戦争では土佐兵を率いて、東山道や東北を転戦しました。明治2年には、新政府の参与に就任しました。他の参与は西郷隆盛、木戸孝允、大隈重信です。明治6年、いわゆる征韓論で西郷、江藤新平、後藤象二郎、副島種臣とともに下野し、ここで初めて大久保とたもとを分かちます。

 大久保利通は薩摩の人。御小姓与という下級武士の家に生まれました。当初は岩倉具視らと公武合体を 唱えましたが、後に武力討幕を指向しました。1967年(慶應3年)には、板垣と薩土同盟を結んでいます。

 板垣と大久保は、明治新政府の参議に就任します。 しかし明治6年の政変で板垣は下野、一方の大久保は新政府の屋台骨を背負います。明治11年までの政府は大久保の政府と言っても過言ではありません。

 明治10年の西南戦争で西郷が敗死し、不平士族の怨念は大久保に集まり、明治11年5月14日に不平士族に暗殺されます。

 板垣は下野の後、土佐派の元官僚と自由民権運動を唱えます。これからは武力ではなく言論の時代であると、議会や憲法を求めていきます。これらは大久保の後継者、伊藤博文によって実現します。

 板垣の功績が、議会や憲法として残っています。彼は常に民衆に向いていたと言えましょう。

 一方、大久保の功績は何と言っても官僚機構です。2014年の現代でも存続し機能しています。驚異的なことです。その人材の源は、大久保が作り上げた学制の頂点である、東京大学です。東大もいまだに学制の頂点に君臨しています。旧態依然としていますが、優秀な官僚機構といえましょう。彼は国家に重きを置いていました。

 広島市長の松井一實氏は、官僚の出身で大久保が作り上げた有司(官僚)専制の一構成員です。
 わたしは二年前の本会議で、市長の政治は専制政治だと批判しました。有司専制の一員だからです。市長の姿勢は、二年前とあまり変わっていないようですが、今度の二月議会はどういう姿を見せるのでしょうか。

2014年1月23日木曜日

2014年新春のつどい あいさつ

 2014年の新春のつどいでの、わたしのあいさつです。

 みなさん、あけましておめでとうございます。日頃よりお世話になっていることに、心からの御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 さて、次回の市議会議員選挙まで、あと1年となりました。ご支援よろしくお願いします。
 その選挙で何を訴えるか。わたしは、今まで社会的弱者の立場に立って政策を進めてきました。

 昨年、ある方がわたしにたずねました。
 「君はこれから何をするのか」

 わたしは、「正義を貫き、弱者のために働くのです。」と答えました。

 その方は、わたしの答えに不満だったようです。「正義をつらぬく」のは、はやらないようです。

 「正義は勝つ」と言います。しかし、裁判でも、広島市や広島県、そして労働基準監督署への申し入れも、正しいと思った側が勝つとはかぎりません。退けられることが多いようです。
 議会でのわたしの質問の多くも、おなじく退けられています。

 「正義は勝つ」に代わってよく聞く言葉は、「愛は勝つ」です。正義が勝たない代わりに愛が勝っているのです。
 まあ、これは冗談ですが、正義をつらぬくというのは難しいのだろうかと思っていました。

 ところで、昨年の大河ドラマ 「八重の桜」は、ごらんになられたでしょうか。広島市安佐北区出身の綾瀬はるかが演じた主人公・山本八重の兄である山本覚馬を、西島秀俊が演じていました。

 同志社校長の新島譲が亡くなった後、入学式で覚馬は新入生に対して次のようにあいさつします。

 「弱きを助け、強きをくじく。これこそがほんとうの正義の道なのです。みなさんもこの道を進んで行ってください。」

 我が意を得たりと、弱者をたすけることが、わたしの進むべき道であるとの思いをあらためて強くしたのでした。

 最後に徳川光圀のメッセージを伝えて終わりにします。

「助さんや、格さんや、この世に悪の栄えたためしはありませんぞ。

はっ はっ はっ。」

 

 ありがとうございました。今年もよろしくお願いします。

2014年1月13日月曜日

相撲の授業

 公立の中学校で武道が必修化され2年目を迎えました。私にとって嬉しいニュースは、広島市立の中学校では1年目にまったく実施されなかった相撲が、2年目から採用されたことです。

 古田中学校の1年生の女子の体育で採用されたとのことで、さっそく教育委員会にお願いして授業を参観させてもらいました。
 

 指導されるのは保健体育課の小林瞳先生です。小林先生は平成24年度全日本女子相撲選手権大会3位、平成25年度広島県女子相撲選手権大会優勝と、輝かしい経歴を持っています。

 私がおじゃました日は、全10回の授業のうちの4回目でした。女子生徒が相撲を取るということで、気恥ずかしさが先に立つのではと思いました。しかし、実際に見学するとそんな心配は吹き飛びました。

 まず立礼のあと蹲踞(そんきょ)の姿勢をとり、塵手水(ちりちょうず))の手順を「いち、に、さん、し」と号令をかけながら正確に行っていました。

 受け身の練習をして、いよいよ取り組みです。表面に土俵を模した円が画いてあるマットに上がり、立礼、蹲踞、塵手水まできちんと作法通りに行います。姿勢がたいへん美しく感激でした。

 取り組みは仕切り線に手をついての押しずもうでした。まわしをつかんで投げたり、引き倒したりはできないので、二人がひたすら押し合います。

 私もマットのそばで、子どもたちといっしょになって 「のこった。のこった。」と掛け声をかけました。体力が均衡しているので、どの取り組みも大熱戦でした。一番取っただけで、みんなへとへとになっていました。

 最後にみんなでマットをたたんで、体育館のすみに片付けです。手際よく納めていました。

 小林先生が講評を述べられました。「みんな集中して授業に取り組んでいます。今日は、たいへん良い授業ができました。」

 さすがに相撲の第1人者だけあって、指導が的確でした。生徒が夢中になって授業を受けていましたが、ひとえに小林先生が相撲の面白さを教えてくださっているからだと思いました。

 校長先生は、来年度からは男子の体育でもやってみたいとおっしゃっていました。少しでも多くの子どもたちに、相撲の魅力を味わってほしいと思います。