2014年3月26日水曜日

鶴竜の優勝

 平成26年の春場所は、大関・鶴竜が14勝1敗で初優勝を果たし、場所後の横綱昇進を決めました。鶴竜はモンゴル・スフバートル出身の28歳。16歳で来日し苦節12年、とうとう綱を手にしました。

 鶴竜は童顔で、わたしの甥っ子によく似ており、好きな力士のひとりです。報道によると、性格は真面目、温厚、おとなしいそうで、その点でも一致しています。
 横綱には品格が求められますが、朝青龍や日馬富士といった先輩横綱に付けられた注文は、審議会からはありませんでした。一級の品格を兼ね備えた新横綱と言って良いでしょう。
 両前みつを取り上体をまるくし、あごを引いて寄る形になれば、どんな相手も倒す力を持っています。新横綱の活躍に期待するところです。

 ところで、この春場所は終盤に来てドラマがありました。週刊誌の読み過ぎかもしれませんが、そのドラマには何か筋書きらしきものがあったようです。モンゴル出身力士と一部の日本人力士に、なんとか鶴竜が優勝するよう応援したいという空気が感じられました。

 10日目まで、白鵬、日馬富士の両横綱が全勝、鶴竜が1敗、大関・稀勢の里と、関脇・豪栄道が2敗。ここまでが優勝圏内でした。日本人力士は稀勢の里と豪栄道の二人ですが、豪栄道は11日目に白鵬に敗れ後退しました。

 鶴竜にとっての脅威は、星ひとつの差で追いかけるガチンコ力士の稀勢の里ですが、11日目に日馬富士がすさまじい張り手の嵐をあびせ、稀勢の里が顔をそむけるところを押し出しました。12日目には白鵬が立ち合いを合わさずに四度目でやっと立ち上がり、やや緊張感の欠けた稀勢の里を寄り倒しました。
 両横綱とも、そこまでして勝ちたいかと思うほどの執念でした。

 12日目には日馬富士と鶴竜が対戦しました。日馬富士がものすごい勢いで突いて出ましたが、鶴竜はいったん受けた後、右からいなしました。日馬富士は土俵際に詰まり、簡単に送り出されました。稀勢の里戦に見せた迫力はみじんも感じられませんでした。

 13日目を12戦全勝でむかえた白鵬は、6勝6敗と不調極まりない大関・琴奨菊との取り組みです。気のない立ち合いから、琴奨菊十分の四つを許し、がぶり寄りの前にあえなく寄り倒されました。思わず「えーっ」と声を上げてしまいました。白鵬は挙句の果てに右手を負傷しました。

 翌日の鶴竜戦は1敗同士の大一番のはずでしたが、一方的に鶴竜が寄り切りました。東土俵に鶴竜が寄りながらうれしそうな顔をしているようでした。白鵬は負けた後、なぜか憤然としていたのが印象的でした。

 さらに日馬富士は琴奨菊にあっさりと負けて3敗。琴奨菊は8勝6敗と勝ち越したので安心したのか、千秋楽は鶴竜に簡単に寄り切られました。両横綱を連破した力士とは思えない負けっぷりでした。この一番で鶴竜の優勝が決定しました。

 両横綱が鶴竜に対し、盾となって立ちふさがれば面白いのでしょうが、あっけなく鶴竜が優勝してしまいました。

 わたしは12日目の日馬富士と鶴竜の一番を見て、筋書に気付きました。私の予想した筋書き通りに全くその通りに運んでしまってびっくりしています。

 広島市議会の方が、よほど筋書の無いドラマです。安佐市民病院の移転問題で、
 なぜこの議員が市長に反対したのか。なぜこの議員が賛成票を投じたのか。わたしにはその筋書きがまったく分かりません。
 まさに劇的ともいうべきストーリーです。

2014年3月17日月曜日

わたしの誕生日


3月16日は、わたしの誕生日でした。妻と後輩3人がケーキで祝ってくれました。写ってない後輩一人は、写真を撮っています。たいへん楽しいパーティでした。

「It's my party.」 というレスリー・ゴーアのヒット曲があります。日本語のタイトルは、「涙のバースデイ・パーティ」 だった気がします。

 オールナイト・ニッポンというラジオの深夜番組で、パーソナリティの今仁哲夫ことテッチャンが日本語で歌っていました。

「 いつまでもかっこよく 元気でいて 元気でいて
今日はテッチャン誕生日 おめでとう

マージャン負けて ハコテンなっても くよくよするな
今日も元気で ケケケと行こう 」

 後年、レスリー・ゴアの曲を聞くことになりましたが、歌詞は全然違っていました。
「わたしの好きな彼氏は別の彼女といちゃいちゃしている」という意味深なものでした。

 幸いなことに、わたしの誕生日パーティは特に意味深なこともないパーティでした。
 参加者の中にライターがいますが、歌詞を作ってもらったとしても涙のないパーティではヒット曲にはならないでしょう。
 

2014年3月2日日曜日

消防局の二重の基準

 2月7日、南区のK会館の竣工式に招かれたので、行ってきました。市営住宅が21階建てのビルに入居しているので、館内を見せてもらいました。

 最上階の21階の廊下は吹き抜けになっており、緑色の避難誘導灯に沿って進むと、壁に突き当たりました。
 そこには「右に進め」という避難誘導のためのシールが貼ってありました。 




 右にドアがあったので開けてみると、そこはベランダで外と通じていました。
 ところが非常階段がありません。おかしいなと思って前進すると、右手にドアがありました。そのドアには何の表示もありませんでした。
 何だろうと思ってドアを開くと、そこは階段室になっていました。1階につながっているのだそうです。

 わたしの知識では、非常階段の場所を明示する避難誘導灯が無ければならないはずです。案内してくれた城戸・住宅政策課長に聞いてみました。

 すると城戸課長は、「これはすでに消防局の検査がすんでおり、問題ないと言うことです。」と答えました。

 2番目と3番目の写真がベランダにある階段室への扉です。当初は何も貼ってありませんでした。








 4番目の写真は、同じ南区のLマンションです。


 ベランダから直接降りる非常階段を、緑の避難誘導灯がこれでもかとばかり照らしています。

 K会館のベランダは避難誘導灯がありません。
 「これでいいのですか。漆黒の暗闇のとき、住民は迷わないのですか。」と聞くと、消防局の蔵本指導課長は、「外部に開放されたベランダに誘導灯は必要ないのです。」と答えました。

 じゃあなぜLマンションには設置されているのかと聞くと、「施主さんが親切に取り付けてくれたのでしょう。」と、けろっと答えました。

 南区の今村・予防課長に聞くと、「10年ほど前に新しく基準がかわり、築15年のLマンションと、新築のK会館とでは誘導灯が有ったり無かったりするのです。」と答えました。

 「基準が2つあることになるので、それはおかしい。」と言うと、蔵本課長は「いったん合格と言ったんですからこのままでいきましょう。」と、メンツを重んじようとしました。

 わたしが「大事なのは、市民の命か消防局のメンツか」と問うと、蔵本、今村の両課長は、「命です」というのが精いっぱいでした。
 「命が大事なら、K会館のベランダに避難誘導灯を設置するべきでしょう。」と言っておきました。