大河ドラマ「天地人」は戦国時代の大名、上杉景勝と家老直江兼続の物語です。あまり知られていなかった景勝と兼続は、一躍スターになりました。
「天地人」には、広島の大名毛利輝元も登場します。輝元の祖父元就は、吉田郡山城の小名から中国一円を支配する英雄として、大河ドラマの主人公としても描かれました。
わが広島市にとっては、1591年に広島城を築いた毛利輝元こそ郷土の英雄です。しかし、関ケ原の敗戦の後1601年長州に移封され、120万石が36万9000石に減らされました。華々しい元就に比べ、輝元はいかにも地味な扱いを受けていました。
わずか10年の広島滞在でしたが、最盛期は120万石を有し、西軍の主将として徳川家康に対峙しています。古文書によると石田三成、大谷吉継と 結んでいたことはもちろん、上杉景勝とも連携していました。さらに西日本の東軍の所領へも侵攻し、毛利家の領土拡張にも努めています。
関ケ原では自ら戦場に臨み、捨て身の勝負に出た家康に対して、大坂城に留まっていたことが輝元の弱さだといわれています。輝元も自ら出陣し、 南宮山から家康本陣の後方を衝けば、西軍の勝利は間違いなかったでしょう。そうなれば広島市の歴史も、大きく変わっていました。輝元は東の家康と並ぶ、歴 史の重要なキーパーソンなのです。
郷土の英雄毛利輝元に、もっと光をあてて大いに顕彰すべきでしょう。郷土の英雄とされている仙台市の伊達政宗や、熊本市の加藤清正よりは、よっぽど輝元の方が大人物だと思います。地元でも評価が低いのが、ちょっと残念です。