8月6日の平和祈念式典に参列してきました。
市議会議員は主催者の一人という位置づけです。1999年以来、毎年出席しております。
慰霊碑に向かって、左側の席に市長、議長そして市役所の幹部、遺族代表、こども代表、被爆者代表らが座ります。その後ろが市議会議員の席です。約半数の議員が出席していました。
右側は来賓席です。内閣総理大臣、外務大臣、厚生労働大臣など政府要人。衆議院議長。各国国連大使など外国要人。そして長崎市長、広島県知事らが座ります。
式は8時に始まり、8時45分にぴったり終わるのですが、私たちは遅くとも7時30分には着席しています。8時15分に1分間の黙祷を捧げるときに起立しますが、あとは座っています。
私は12回目の参列になりますが、今年が一番暑かったように思いました。いつもは雲が時おり現れて日陰を作ってくれるのですが、それがほとんどありませんでした。昭和20年の8月6日の朝もこのような感じだったのかと思いました。
主催者と来賓の挨拶も、暑さに負けず熱のこもった良い挨拶でした。
秋葉忠利市長は平和宣言の中で、目の前に座っている菅直人首相に挑むように、「日本は核の傘から離脱せよ。」と呼びかけました。
それを受けて、菅首相は民主党内閣の総理大臣として初めて挨拶に立ち、「核兵器廃絶のため世界中に呼びかける。」と述べました。
また被爆者への補償についても具体的な対策について言及し、自民党の首相の短く素っ気ない挨拶とはかなり違って、今後への期待を感じさせました。
初めて参列した湯崎英彦広島県知事も、広島大学の教授であった父親の研究成果に触れ、聞き取りをした被爆者の生の声を紹介しました。胸をうつ挨拶だったと思います。
来賓の最後に挨拶に立ったのは、パン・ギムン国連事務総長です。パン事務総長は広島の被爆の状況を、みずからの体験である朝鮮戦争で受けた大きな悲しみに置き換えて話されました。
そして大きなジェスチャーを交えながら、力強く核軍縮会議を主催し、核兵器廃絶を実現しようと呼びかけました。私は胸の震えを感じました。
会場にはアメリカのルース大使をはじめ、イギリス、フランスの大使も初めて参列していました。彼らには、演壇に立った人々の発言がどのように響いたのでしょうか。
秋葉市長は、来賓の方々の参列とそのメッセージに感激されたのでしょう。いつまでも慰霊碑の前の通路にたち、参列者の手を一人一人握っていました。
私も握手しましたが、彼はいつもより右手に力を込めて握っていました。核廃絶への確かな手応えを感じたのかもしれません。