2011年7月10日日曜日

日中韓の連携

 先日、広島の大学で教鞭をとっておられる金文学先生と、久しぶりにお会いしました。
 金先生は、中国の瀋陽市の出身で朝鮮族の三世です。29歳で来日し、比較文学や文化人類学を専攻されました。日本・中国・韓国の三つの文化について、面白く比較した著書を多数出版されています。
 以前、私が「東アジアを語る会」というサークルに属していた時に、主宰されていたのが金先生でした。大変懐かしい再会でした。

 ちょうど私が犬養毅をブログに取り上げていたので、犬養が話題になりました。
 犬養は漢学の素養を持ち、アジアの政治家に知己を持っていました。犬養の師であった福沢諭吉が、朝鮮の革命の志士・金玉均を庇護したと同様に、犬養も中国の革命家孫文に物心両面から支援を送っています。

 以前とりあげた伊藤博文は犬養とは政治的な立場が異なりますが、朝鮮の経営に関心を抱きました。朝鮮統監となって、朝鮮の政治改革を進めようとしました。もちろん、宗主国である清国の政治家李鴻章とも個人的に友好関係を持ち、またロシア政府とも交際して用意周到に朝鮮の改革に着手したのです。

 犬養も福沢も、伊藤も伊藤を暗殺した韓国人の安重根も、大アジア主義を唱えたり、アジアの連携を目指したりしていました。孫文も金玉均もそうでしたが、成功したとは言えませんでした。

 伊藤の暗殺後、日本では山縣有朋・桂太郎・寺内正毅ら軍人政治家が韓国を併合しました。さらに昭和になって、板垣征四郎や石原莞爾らの関東軍の高級参謀が満州事変を起こし、満州国を建国します。武力による侵略をまっしぐらに進めて行ったのです。

 日中韓の連携をうたっていた犬養は、総理大臣となって日中の連携を基軸に満州事変を収束させようとします。しかし、侵略を続けたい軍部の一部によって、五・一五事件で暗殺されてしまいます。

 犬養の思想や福沢の「脱亜論」、伊藤の構想などが組み合わされて、これが侵略戦争の先棒を担いだという見方もありますが、あまりに皮相的な視点と言わざるを得ません。

 そのあたりを、金文学先生が近々著書の中で明らかにされるそうです。楽しみです。