2011年8月21日日曜日

人間の條件

 今、衛星放送で1959年製作の映画「人間の條件」を放送しています。原作は五味川純平、監督は小林正樹。全六部、九時間にわたる大作です。
 私は、この映画を中学生の頃と成人してから見たことがあります。しかし、今回あらためて見ると、新たな感動を得ました。

 「人間の條件」は、非人間的に生きるのではなく、人間らしく生きるにはどうすれば良いのか。その條件とは何なのかを突きつけている作品だと改めて感じました。

 第二部の中で、このようなやりとりがあります。
 時代は太平洋戦争の末期。日本人が経営する満州の鉱山会社は、中国人の捕虜を使役し、鉄鉱石の採掘にあたらせています。主人公の梶(仲代達矢)は、その会社で労務管理に携わる社員です。
 
 梶は捕虜に対し、なんとか人道的な処遇を図るよう試みます。しかし、日本人の現場監督たちによる非人間的な使役は変わりません。死者が続出し、捕虜たちは採掘場からの逃亡を計画します。
 しかし会社側に未然に察知され、逃亡を企てたとして、捕虜6名が処刑されることになりました。
 
 その前の晩のやりとりです。
 なんとか処刑を回避させようとする梶ですが、処刑は避けられない状況になってしまいました。捕虜のリーダーである王(宮口精二)は梶にこう言います。

 「回避の方法は、まだあります。あなたが人道主義の仮面をかぶった殺人鬼になるのか、それとも人間らしい人間になるのかの瀬戸際です。」

 悩む梶。王はさらにこう言います。
 「人間には人間の仲間が、いつでも必ずいるものです。」
 
 梶はこの言葉に、何かを悟った様子で立ち去ります。

 結局3人が処刑されたところで、梶が中止してくれと訴えます。王が捕虜を先導して騒ぎになり、あとの3人の処刑は回避されました。中途半端な結末に梶は苦悩するのでした。

 私の周囲には、王の語った「人間」たちがいます。
 しかし、その「人間」たちは、多くが苦悩を抱えて生きています。

 「人間」は苦悩することが、宿命付けられているのでしょうか。