2011年11月22日火曜日

委員会を欠席するということ

11月21日は、広島市議会常任委員会の開催日です。私が所属する消防上下水道委員会を含め、六つの委員会が開催されました。委員会の資料は、前もって配布されており、議題は「事務・事業の見直し検討状況」でした。

 これは、いわゆる国の事業仕分けの広島市版です。松井市長の肝いりで、外部の有識者を入れず、市の内部のみで不必要な事業を止めていこうとするものです。とりあえず、私たち議員の意見を聞くことになり、委員会の所管ごとに議論することになりました。

 下水道局が検討しているのは、汲み取り便所を水洗便所にする工事費を、利用者に無利子で貸し付ける制度を廃止するというものです。水洗化率が95%となったため、役割を終えたとして廃止するのだそうです。
 残る5%の人たちが、水洗化した95%の人たちと比較して不当な扱いを受けることになるため、反対しました。
 すると局長は、「不公平だ。でも廃止する。」と意味不明の発言をしました。意味のある議論はこれ以上できないと判断し、議論をやめました。

 消防局は、40世帯の職員が居住している市営の住宅を廃止し、土地を民間に売却するそうです。移転する職員は民間住宅に住みますが、住居手当は毎月2万円支給するそうです。
 40世帯が1年間で受け取る総額は960万円になります。一方、住宅の維持費は年間76万円です。職員課長の説明は、まるで「76万円は惜しいが960万円は惜しくない」と言っているようでした。全く理解に苦しむ検討です。真面目に検討したとは思えません。
 耐久年数いっぱい利用して、建て替えの時期が来たら解体し、それから売却したらよいと考えて反対しました。

 残る水道局は、検討状況が0件でした。私は資料を見て、「何件か検討したが、1件も俎上に載らなかったのか。それとも、最初から検討しなかったのか」と、委員会で質問しようとしていました。
 
 しかし、水道局の職員は局長以下、誰一人として出席していませんでした。その理由は、水道局の検討状況が0件だったので出席を求めなかったとのことでした。
 出席させないでよいと判断したのは、委員長か、議会事務局か、委員会の幹事局である下水道局か、あるいは水道局が自分の意思で欠席したのか。誰からも明快な回答はありませんでした。
 
 結局、私が用意していた質問は出来ませんでした。「事務・事業の検討状況を、水道局に聞く」という質問は容易に想定されるので、事務局や下水道局は水道局に出席を要請するべきでしょう。水道局も自らすすんで出席し、検討状況が結果として0となった理由を説明するべきでした。

 委員会終了後、水道局長、次長、財務課長、企画総務課長から、欠席に至った状況を聞きました。「議会が閉会中の委員会審査には、議題に関係が無い理事者は出席しなくてよいと申し合わせがあります。」と、財務課長が説明しました。 

 「なぜ0になったのか、その理由と経過について説明する必要があるのではないか」と尋ねると、局長が「それはそうです」と答えました。しかし、私に指摘されるまで出席しないといけないとは全く思っていなかったそうです。
 私はその能天気ぶりにあきれ、水道局は委員会に出席することの重要性を全く理解していない、と猛省をうながしました。

 危機管理の一翼を担う広島市水道局が、この程度の質問の想定ができず、平気で重要な委員会を欠席するとは。
 もし災害などの危機が迫っても、何の想定も出来ずに能天気でやり過ごすのでは、と心配になりました。

 12月も消防上下水道委員会は続きます。
 引き続き発言し、眠れる三つの局を覚醒させます。

2011年11月20日日曜日

マダム・バタフライ

オペラ「マダム・バタフライ(蝶々夫人)」は、1904年(明治37年)初演、イタリアの作曲家ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)の不朽の名作です。
 
 主人公の蝶々さんは、長崎に住む15歳の女性です。来航中に長崎に上陸したアメリカ海軍の軍人・ピンカートンは、蝶々さんに一目惚れ。ついに蝶々さんとピンカートンは結婚してしまいます。
 
 その後、ピンカートンは軍務のため帰国します。
 彼を待ちわびる蝶々さんは、丘の上にある自宅から海を見つめて歌います。そのアリアが、有名な「ある晴れた日に」です。

 しかし、ピンカートンは帰国後にアメリカ人女性と結婚。三年後、長崎に新妻と上陸し、蝶々さんとの間に生まれた男の子を渡せと迫ります。
 絶望した蝶々さんは、「子どもを頼みます」と告げ、自刃して果てるのです。

 この軍人の勝手さと蝶々さんのはかなさに、私は涙します。特に「ある晴れた日に」を歌う蝶々さんがしのびなく、感激は最高潮に達します。
 
 広島のアステール・プラザで、島根県出身の歌手の方が蝶々さんを演じられましたが、楚楚とした美しい方で大変感激しました。
 映画では歌は吹き替えでしたが、若き日の八千草薫が演じていました。とても可愛らしい蝶々さんでした。
 
 11月19日のNHKのドラマで、「蝶々さん」を放映していました。オペラではなくお芝居ですが、「ある晴れた日に」の旋律が流れると、なんとも言えない思いが胸にこみ上げてきます。

 主演の宮崎あおいは、可愛らしい中に強い意志を持った蝶々さんを演じています。佐賀藩の士族の出身で、父は佐賀の乱で江藤新平とともに討たれたことになっています。

 第1話の終わりで、アメリカの軍艦が長崎を目指し航行中でした。第2話では、宮崎あおいが蝶々さんの悲劇をどのように演じるのでしょう。
 楽しみではありますが、また泣いてしまうことは間違いありません。

 最近、外交や通商において、アメリカの日本に対する横暴がまかり通ろうとしています。
 オペラ「マダム・バタフライ」は、アメリカでも好演を果たしていることと思います。このオペラを鑑賞して、「アメリカ人はひどいことをした」という心境にはならないのでしょうか。

2011年11月18日金曜日

隆の里

11月7日、元横綱・隆の里(鳴戸親方)が亡くなりました。享年59歳でした。
 隆の里は筋骨隆々の力感あふれる相撲で、1983年名古屋場所から1984年初場所までの四場所のうち、三場所優勝しました。

 特に新横綱として迎えた83年秋場所では、横綱・千代の富士と14戦全勝同士で激突。千代の富士をつり出しに破って、新横綱で全勝優勝の快挙を成し遂げました。
 最盛期は誰もかなう力士がいませんでした。特に千代の富士は隆の里に歯が立たず、隆の里の独走かと思われました。

 私が大学の4年生のときに、内科学の特別講義がありました。東北大学の後藤教授の講演で、主題は「糖尿病」でした。実は、後藤先生は当時幕内力士だった隆の里の主治医でした。

 糖尿病の血糖コントロールのため隆の里を入院させたが、大男のためベッドをふたつ横に並べて、斜めに寝てもらったなど、興味深いエピソードを語っていただきました。

 当初は内服薬でコントロールしようとしたそうですが、うまくいかずに低血糖発作を起こしていたそうです。土俵上で立ち上がった途端、相手がぶつかる前から隆の里が崩れ落ちる場面をよく見ましたが、それは低血糖による失神発作なのでした。

 しかし、後藤先生の指導のもと、インスリン注射の治療に切り換え、徹底した食事コントロールをすると、血糖値が安定してきました。
 血液中の糖分はインスリンの働きで筋肉中に蓄えられ、あのポパイのような肉体が出来上がったのです。

 講義のころは、隆の里が三役から横綱をうかがう頃で、医学の力とは大したものだと感心しましたが、それ以上に隆の里本人の不撓不屈の精神があったと思います。

 隆の里の全盛期は、私が大学の5、6年の頃で、相撲をゆっくり見ることが出来た時期です。医師を目指して試験勉強に取り掛かっていた頃、糖尿病を克服した隆の里の土俵に大きな声援を送ったものです。

 個性的な力士が、またひとり去り、さびしさが残ります。