日本をはじめ、米国、欧州各国、アラブ諸国、中国や韓国など世界中でデモが活発に行われています。人民の施政者に対する抗議行動です。流血の惨事となることもありますが、人民に賦与された権利といえましょう。
日本史上、人民が立ち上がった抗議行動といえば、大正7年に起こった「富山の米騒動」が有名です。富山県魚津の女性が、値上がりする米の船積みを拒否することに端を発した抗議行動です。これは普通選挙法の実現につながります。
また、江戸時代や明治初期は、全国各地に一揆が勃発しました。
明治時代、日露戦争の講和の内容に不満を持つ人民が、実力行使に出て交番や御用新聞を焼き討ちした「日比谷焼き討ち事件」も有名な抗議行動ですです。
そして明治時代最大の騒乱は、生活困窮に陥った埼玉県秩父の農民が、自由民権運動の中心であった自由党員と一体となった「秩父事件」です。秩父地方は、人民によるコミューンが成立したのです。
江戸時代に起こった人民による反乱の筆頭は、「島原の乱」です。
江戸時代初期、三代将軍・家光の治世でした。飢饉に困窮した島原・天草の農民は、島原城を攻撃し、ついで原城に入城しました。その数なんと3万7千人。島原藩・天草藩の兵ではとてもかなわず、老中・松平伊豆守は直属軍12万人を動員し、さらにオランダの戦艦の出動を依頼。陣頭指揮を執り、4ヶ月の籠城戦の末にようやく落城させました。
農民は3万7千人が全滅、幕府軍も1万2千人が戦死しました。関ケ原の合戦以来の大戦争だったのです。以後、幕府は武力で弾圧することを止めることになります。
いずれの反乱も、生活困窮や施政者に対する大きな不満が原因です。大きなエネルギーとなって、その時代の施政者の政策変更にもつながりました。
江戸時代、一人の農民がやりを取って幕府に立ち向かいました。現代の一本のやりは、一枚の投票用紙です。有権者のみなさんが持っている一票が、時の政権の政策変更をもたらし、さらには政権交代につながるのです。
昔は血を流して勝ち取った政策変更が、今は一票の投票行動で勝ち得ることが出来るようになりました。先人の努力の賜物と思います。
松井市政も市民の声を聞くと言いながら、私を初めとする市議会議員の質問に直接答えようとはしません。
人民の代表である議員をないがしろにする施政者の命脈は、長くはないと思わざるを得ません。