今年は2010年、日本が韓国を植民地にして100年が経ちます。NHKが1910年以降の日韓両国の動きについて、ドキュメンタリー放送を流していました。
1937年に日中戦争が始まり、日本は朝鮮に皇民化政策を進めました。
創氏改名や日本語教育の徹底、そして朝鮮人を志願兵として軍隊に押し込み、天皇の軍隊という教育を徹底させました。小学生にも教育勅語を暗誦させ、朝鮮人はすべて天皇の臣民であると信じ込ませました。
ヤン(梁)さんは小学校6年生の女の子でした。優等生で特に日本語は満点でした。
ある日、教室に校長と憲兵隊長が入って来ました。二人とも日本人です。
「誰か日本の工場に行って働かないか。高い給料も出る。女学校にも進学させる。」
クラスの一人が、「本当ですか。」 と尋ねました。
隊長は、「天皇陛下のおっしゃることに間違いは無い。」と答えました。
ヤンさんは、梁川金子(やながわ かねこ)と日本風の名前を名乗り、大阪の工場で働くことになりました。一日10時間働きましたが、給料はいつまでたっても貰えません。女学校への進学も実現する気配すらありません。
工場の配属将校に給料のことと進学のことを話すと、
「ばかもの、陛下のためこの工場で働くのだ。」とひどく殴られました。
その時やっとだまされた事に気づき、友人と抱き合って泣いたそうです。父親の反対を押し切って日本に渡りましたが、本当にひどい目にあったのです。
広島市でも、役所が民間人をだましたことがあります。
南区の段原土地区画事業にあたって、市の職員が平成1年ごろ地権者に約束していた清算金の金額を、平成10年になって 「そんな清算金の額については、何も言っていない。」 としらばっくれたことがあります。
住民が支払うことになっていた清算金が、1坪あたり53万円という約束が、何と100万円に変えられていたのです。住民が抗議すると、段原再開発部の向井洋一部長と広谷倉三課長は、「そんな約束はしていない。」と突っぱねました。
その後、53万円の説明をしていたことは事実と分かりましたが、市は「坪当たり100万円支払って下さい。」と言い続けました。
住民の人たちは、「あたしら、役所の人がゆうことじゃけ、53万がほんまじゃ思うとりました。」と口々に言いました。段原の住民は、広島市にだまされたのです。
その後、住民が立ち上がり、市は方針を変え、平成1年の約束が守られた形になりました。しかし、平気でうそをつく役所だと言う不信感は残りました。
向井部長は私に、「法律上100万円が正しい。過去に53万円と言ったか言わなかったかは、関係ない。」と自説の正しさを主張しました。
過去の説明と違った説明をして、何が悪いのかと開き直ったように言っていました。
正直なところ、信じられないおっさんじゃなとあきれてしまいました。
日本に連れてこられたヤンさんのような人たち。
広島市にだまされて、泣き寝入りさせられそうになった段原の人たち。
韓国人は日本政府に、段原の人たちは広島市に、同じ不信感を抱き続けることでしょう。
私たちは、信用される政治を目指さないといけません。
人をだまして平気でいられるような政治が、許されてはなりません。