2011年1月14日金曜日

米銃乱射事件

 1月8日、アメリカアリゾナ州トゥーソンで、民主党の集会に参加していた男性が銃を乱射しました。銃撃されたガブリエル・ギフォーズ下院議員は、頭部を打ちぬかれ重傷です。さらに、集会の参加者6名が死亡、13名が負傷する惨事となりました。

 この事件の背景には、オバマ大統領が進めるさまざまな改革を支持するリベラル派と、これに反対するティーパーティーなどの保守派の対立があります。
 特に、言動が過激な保守派に組するマスコミは、ペイリン前アラスカ州知事をはじめとする保守派の言動をセンセーショナルに報道し、両者の対立をあおったと言われています。

 民主主義は、すなわち言論の政治です。あらゆる暴力は排除されなければなりません。
 しかし、残念なことに有史以来改革を訴えた政治家の多くは、凶弾もしくは凶刃に倒れてきました。

 アメリカでは、アブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディ。
 日本でも、歴史上最大の改革であった明治維新前後には、坂本竜馬、大村益次郎、そして大久保利通らが暗殺されてきました。
 明治時代に入ると、過激派や保守派による民権派への襲撃は、板垣退助、大隈重信、星亨などが標的とされました。
 いずれもその時代における、改革の旗手ともいうべき政治家です。

 改革に反対する勢力があるのは当たり前です。言論の自由とはそういうことです。
 しかし、反対の手段に暴力が用いられるのは決して許される事ではありません。また、反対の論調によって暴力を過剰に煽り立てる一部マスコミが存在することも、歴史が雄弁に物語っています。

 最近の広島市政をめぐる報道も、一方に偏った論調が目立ちます。以前は両論を併記するなど、公正な報道が多かったように思います。
 なぜ偏ってきたのでしょうか。大きな疑問を感じます。