大相撲の八百長事件は、ついに三月の大阪場所を中止にさせるまでに至りました。不祥事による本場所の中止は、前代未聞です。
2月4日、元魁傑の放駒理事長は高木文部科学大臣に謝罪しました。現役時代、若い女性に人気のあった魁傑の面影はありませんでした。見ていて気の毒になるほど当惑していました。
ところで相撲協会がはっきり八百長だったと認めた一番があります。
昭和47年三月場所12日目でした。前場所途中休場した大関・前の山は、カド番でこの日まで5勝6敗と苦しい星取りでした。一方の大関・琴櫻は、7勝4敗で勝ち越しの目途のたった星取りでした。
立ち上がって、すぐに右四つ。突き押しが得意の両者にしては、不本意な立ち上がりです。ここで前の山が右から下手投げを放つと、琴櫻はころんと転がり前の山が勝ちました。
相撲協会の監察委員長だった花籠親方は、この1番を無気力相撲と決定し、両力士の親方に処分を一任しました。前の山の高砂親方は出場を辞退させ、前の山は大関を陥落することになりました。
この監察委員会が設置されていた理由は、この数場所前に無気力相撲があったためです。
4人の大関の中で常に二ケタの勝ち星を上げていた大関・大麒麟と、その場所カド番の大関・琴櫻との一番でした。琴櫻は5分の星で、大関陥落もあやぶまれていました。
両者立ち上がって右四つ。出足鋭い両者は激しく寄り合うかと思われました。ところが大麒麟が自ら後ずさりして土俵際まで下がり、琴櫻はそれに合わせて寄り進み寄り切って勝ちました。
私はこの一番をテレビ中継で見ていましたが、場内の何ともいえない奇妙な様子が伝わってきました。
両者は勝ち越しで場所を終え、大関の地位を維持しました。新聞各社も、「無気力相撲だ」「大関互助会だ」と批判していました。
その後、八百長疑惑はあったにも拘わらず、相撲協会は今日に至るまで何らの手も打っていません。新聞各社も、紙面で八百長疑惑を報道することは無かったように思います。
以前の大関は、カド番を何度も迎えるほど力が衰えると、そのうちに引退したり大関から陥落したりしたものです。ですから、10回以上もカド番を迎えながらも規則的に一場所おきに勝ち越して、大関に留まっている力士が「がちんこ力士」だとは信じられません。
それなのに日本人最高位の魁皇はえらく誉めそやされ、元・千代大海の賭博参加疑惑もうやむやです。新聞各社は疑問に思わないのでしょうか
理事長は相撲界の腐敗した部分を切り捨てられるでしょうか。
腐敗した組織の末路は悲惨なものとなります。民間の会社でも様々な施設でも団体でも、腐敗を取り除くことができなければ自壊していくだけです
広島市役所も腐敗した部分が少なからずあります。その部分を切除することを、新市長に期待します。