北杜夫(きたもりお)さんが、10月24日亡くなられました。享年84歳でした。
医師で作家の北さんは、慶応大病院で精神科医を務める一方、作家として文壇デビューしました。
代表作「楡家の人びと」は、青山脳病院の設立者である祖父・斎藤紀一、父で日本を代表する歌人で精神科医の斎藤茂吉など、北さんの家族をモデルとした本格小説でした。
私が子どもの頃、NHKのテレビドラマで、この「楡家の人びと」をやっていました。
このドラマには蔵王山という四股名の力士が登場しますが、この力士は実在します。昭和初期に活躍した巨人力士・出羽が嶽文次郎(でわがたけ ぶんじろう)です。
山形県出身の茂吉は、同郷である文次郎少年を引き取って、旧知の出羽の海親方(元横綱・常陸山)に弟子入りさせます。
「楡家の人びと」では、やや落ち目の出羽が嶽が、たびたび斎藤家を訪れるのですが、茂吉はその都度暖かく迎えてやるのでした。
北さんには、こんなエピソードがあります。
私が中学校の頃聴いていた「オールナイト・ニッポン」に、こんな投稿がありました。
リスナーの大学生は北杜夫の小説を読み、心から傾倒してしまいました。小説家を目指し、まずは古本屋にバイトで勤め始めました。
すると、ある日尊敬する北杜夫先生が、バイト先の古本屋を訪れました。
感激した大学生は、胸をときめかせながらどういう言葉を掛けようかチャンスをうかがっていました。その時、北先生が言葉を掛けてきました。
「お兄さん、そこのダイブツジロウさんの全集を取ってください。」
大佛次郎氏は、「天皇の世紀」「パリ燃ゆ」などを著した文豪です。
ダイブツジロウではなく「オサラギジロウ」と読みます。
なぜ北さんが、ダイブツジロウと読んだのか。本当に知らなかったのか、北さん一流のギャグだったのかは不明です。
ともあれ、この言葉に大学生は感激もときめきも一瞬に冷めてしまったそうです。
そんな北さんでしたが、1998年に父・茂吉の評伝4部作で、大佛次郎賞を受賞することとなるのでした。