長崎県の鷹島沖の海底から、元寇の時に襲来した元軍の軍船が発見されました。船底を上に沈んでおり、全長は約20メートル、総排水量は200トンから300トンではないかと言われています。
元寇、すなわち蒙古襲来は、文永11年(1274年)と弘安4年(1281年)の二度にわたって行われました。鷹島沖の軍船は、弘安の役の際に襲来したものだと考えられています。
当時の蒙古は、中国を支配した元、ロシアを支配したキプチャク汗国、イランを支配したイル汗国、中央アジアを支配したオゴタイ汗国、チャガタイ汗国と、世界最大の版図を誇っていました。
中でも、元のフビライ・ハーンは最強の軍団を擁し、朝鮮の高麗、中国の金、南宋といった国々を支配下に置いていました。日本の運命も風前の灯火でした。
文永の役では、鎌倉幕府はかろうじて元軍を退けました。しかし4年後に元軍は高麗の兵船4万人、南宋の兵船10万人を擁し、再び九州に迫りました。まさに日本滅亡の危機です。
この時、鎌倉幕府は執権・北条時宗以下一丸となり、西国の御家人を総動員して元軍にあたらせました。京都の朝廷も、亀山上皇が福岡の筥崎宮に「敵国降伏」の額を奉納。全国の寺社では、蒙古討伐の祈祷がおこなわれました。民衆も大いに動揺し、日蓮宗などの新しい宗派の台頭を呼びました。
まさに未曾有の国難です。私は、元寇は日本史上最大の危機であったと思います。
明治時代の唱歌「元寇」の歌詞に、「国難ここに見る、弘安四年夏の頃」と歌われています。私たちの親たちは、みんなこの歌を歌っていました。
さいわいにも暴風雨が来襲し、十四万の大軍は一夜にして海の藻屑と消えました。これを後世の日本人は「神風」と呼び、太平洋戦争の敗戦が明らかな末期においても、「いずれ神風が吹く」との妄想を戦争指導者に思い込ませ、政策を誤らせる結果となりました。
野田首相はじめ、多くの与野党の政治家は、現在の日本の状況を、「未曾有の国難」と表現しておりますが、どこまで真剣なのかと疑問に思います。
もしそうであるならば、民主党はもっと党内一致に努めなければなりません。野党も与党に協力せねばなりません。野田首相はいのちをすり減らして、奮闘していることでしょう。
しかし、国難といいながらも、本当の意味での真剣さはうかがえないと思います。
執権・北条時宗は、弘安の役の3年後に33歳の若さで世を去りました。肉体的、精神的ともに、巨大な重圧が時宗を襲ったものと思われます。まさに元寇が国難であった証拠でありましょう。
政府や与野党に、さらなる真剣さを求めたいと思います。