2012年2月10日金曜日

脱走その後

1月26日、法務省矯正局成人矯正課の島 孝一・企画官ら3名が市議会市民連合の控え室を訪れ、脱走に対する再発防止策の中間報告を説明されました。
 1月21日に自宅へ謝罪に来た際、「囚人を囲うべき刑務所が、囚人を解放するとはどういうつもりですか。」と刑務所長を一喝したためだと思われます。

 その時、私が「広島市にも消防局や上下水道局、各区役所など業務のため巡回している職員がいるので、いざ脱走と言う時にはご協力できるかも知れませんね。」と言うと
「今までは刑務所の周辺の人たちとの連携が取れていなかった。よろしくお願いしたい。」
 と言われました。

 その後の2月7日のことです。
 消防局に「脱走事件のあと、刑務所と連携を取ることになったのではないか。」
 と問うと、消防局危機管理課長は「2月2日、刑務所と市とで再発防止策を検討したいとのことであった。内部で協議して市民局の安全推進課長を窓口とすることに決めた。」と答えました。

 その検討の詳細を聞くため、2月10日に危機管理課長を呼びました。着席して数分後、職員が駆け込んできました。危機管理課長(以下、消防局の課長)のとなりに座り、市民局の市民安全推進課長(以下、市民局の課長)であると名乗りました。平成23年の4月に、安佐南署の生活安全課長から市民局に来たそうです。

 消防の課長が言うには、再発防止策を聞いたのは消防局長ではなく、市民局の局長と次長。それと課長だったそうです。

 まずは、脱走当日に、いつ、誰から広島市に情報が入ったのかたずねました。
 市民局の課長は得意そうに、「県警本部から、私に第一報が入りました。」と言いました。

「それは、何時何分でしたか。」と聞きましたが、午後の2時くらい、と曖昧な返事でした。

「その知らせを誰に知らせましたか。」と聞くと、
「安心安全メールを送りました。」と答えるので重ねてたずねました。

「何通ですか。」
「800メールです。」
「そのあと、どこへ連絡しましたか。」
「・・・・・。」
「市の内部の連絡網はあるのですか。あるのなら見せてください。」
「・・・・・。」
「あなたの机にあるのなら、後からみせてもらいます。あるのですか。」
「・・・・・・。」
「話にならんけえ、佐伯市民局長とよう協議してまた来なさい。」
「市と協議してまた来ます。」

 市に所属する職員が市と協議するという台詞にわが耳を疑いました。代表者として来ているという自覚が欠けています。

「あんたあ、国籍は警察か? 市の職員じゃあないんか。」
「市の職員です。」
「ええけえ、かえりんさい。消防の課長もかえりんさい。話にならん。」

これが、広島市の危機管理の現状です。

この絶望から、希望が見えるようにするのが、私の仕事かもしれません。