2014年4月28日月曜日

広島対巨人戦

 4月25日からマツダ・ズームズーム・スタジアムで、首位の広島カープと3位の読売ジャイアンツの3連戦が開催され、カープが2勝1敗で首位を守りました。

 第3戦は前田健太、内海哲也両投手が好投し、0対0のまま延長に突入しました。
 延長11回の表、巨人の中軸を一岡龍司が三者凡退に抑えます。その裏に菊池涼介、丸佳浩が連打でつくった無死一塁三塁のチャンスに、頼れる4番のブラッド・エルドレッドがレフトへサヨナラホームランを放ち、一岡にプロ初勝利をプレゼントしました。
 これぞプロという劇的な試合でした。

 一岡は巨人から移籍の23歳。中継ぎで登板のたびに0点で抑え続けていましたが、大きな勝ち星を手中にしました。わたしは一岡投手のファンで、彼の「自分の仕事をきちんとするだけです。」と答えたインタヴューにさらに感動しました。

 この3連戦、わたしは篠田純平、杉内俊哉両投手の先発した第1戦を観戦しました。2階内野自由席は、お年寄りのみなさんと、幼い子どもを連れた親子連れの方々が多く、勤め帰りの会社員風の人は3分の1程度でした。

 わたしが子どもだった頃は、祖父や父に連れて行ってもらってましたが、小学校の高学年になると家が近かったからか、子ども同士で観戦していたものです。

 1970年ころは試合開始が19時で、今よりは1時間遅い試合開始でした。椅子は長い板を横に倒した感じのもので、詰めて椅子に座っていました。横も前後も狭い席でした。

 応援団は一塁側、三塁側、レフト、ライトと別れており、それぞれがはっぴを着て旗やこいのぼりを振り、呼子笛や鉦、太鼓で三々七拍子を取ったり、ちんちんどんどんとにぎやかでした。
 カープが得点しようものなら、ベンチの上に二、三人が上がって、広告紙を切って作った紙吹雪を巻き、「それ、ちゃっ ちゃっ ちゃっ」とやっていました。

 観客の95%くらいは男性で、サラリーマンや作業服を着た人など仕事帰りの人がほとんどで、中には怖いおにいさんもいました。
 ヤジがものすごく、あっちからもこっちからも相手チームの選手を中傷するにとどまらず、カープの選手にも連打を浴びせていました。凡退すると容赦なくカープの選手にもヤジが注がれていました。

 カープはチーム創立の1950年から1974年の25年間、Aクラスがたったの1回でした。勝つよりは負ける方が多いので、勝った夜は大騒ぎ。巨人に勝ちでもすれば優勝したような騒ぎで、サラリーマンも作業服姿の人も怖いおにいさんも浮かれていました。

 とんでもない所へ子どもだけで行っていたと思います。
 しかし、この市民球場での時間は今の自分を形作った一つだと確信しています。