2010年5月14日金曜日

サム・クック

 黒人歌手、サム・クックのCDが届いたので聴いています。 
 以前テレビでサム・クックが歌っているフィルムを見ましたが、若くスリムで身のこなしも柔らかい、かっこいい歌手でした。黒人歌手というと、レイ・チャールズやスティービー・ワンダーといった、音楽性と生き様にかっこよさを見出す歌手が浮ぶびます。クックはそれに加えて、ルックスにも魅力を感じさせました。

 代表曲 「 A Change is Gonna Come 」 は1964年1月30日の録音です。当時、黒人の公民権運動が盛り上がっていました。暗殺されたマーチン・ルーサー・キング牧師は、その中心人物でした。
 クックも歌手生活の中で、黒人に対してさまざまな差別を味わっていました。黒人の解放を願って作った曲が、この「A Change is Gonna Come」でした。力強く、そしてやさしく歌い上げています。
 しかし、クックはほどなくその生涯を終えます。売春婦と一緒に逗留したラブホテルで、管理人の女性に撃ち殺されるのです。その原因は未だに謎とされています。

 
 話は変わりますが、広島市の課題のひとつが、「子ども条例」の制定です。議会にも反対意見があり、市民の間にも反対意見があります。彼らはこう主張します。
「子どもは未熟な存在だ。だからわれわれ大人が保護してやるのだ。」
「分別の無い子どもに権利など与えては、世の中がとんでもないことになってしまう。」

 しかし、考えてみてください。
「子ども」を「黒人」「女性」「平民階級」「奴隷」という言葉に置き換えてみましょう。どこかで聞いたような言葉ばかりではないでしょうか。彼、彼女らも、言われなき差別と戦ってきました。

 「子ども条例」に反対する人たちの主張を聞くたびに、私は差別と闘ってきた人たちを思い浮かべます。条例反対派は「黒人」「女性」「平民階級」「奴隷」たちの権利も、認めたくないと主張している様に聞こえます。
 さまざまな解放の歴史の中、なぜ子どもだけは別なのでしょうか。それとも今までの解放の歴史を否定するのですかと問いたくなります。