2011年3月14日月曜日

濱口雄幸

連日、あいさつ回りにいそがしくしています。昨日も、温かいはげましのお言葉をたくさん頂戴しました。本当にに感謝にたえません。当選を勝ち取り、皆さまのご期待に一日も早く応えたいと思います。

 この厳しい今日、昭和初期の困難な時代に敢然と立ち上がった政治家、濱口雄幸(1870-1931)を思い出します。私が高校生の時、濱口の著書「随感録」を祖父の本棚に見つけ、ページを開きました。そこには、謹厳実直な濱口の精神が詰まっていました。


 彼が首相を務めたのは、1929年から1931年までわずかの期間でした。しかしこの間に、金輸出の解禁やロンドン海軍軍縮条約の締結など、大事業を成し遂げました。

 こんなエピソードがあります。首相に決まった濱口が、組閣の時に日銀総裁の井上準之助(1869-1932)に大蔵大臣を要請しました。金解禁の大事業には、井上の協力が不可欠と濱口は考えたのです。なかなか承諾しない井上に、濱口はこう言いました。

「金解禁を断行するには、命を賭けねばなりません。私と小泉君(逓信大臣の小泉又次郎)の命だけでは、足らんのです。井上さん、あなたの命も私にお預け願いたい。」

 決死の懇願に、井上は蔵相就任を承諾。金解禁の断行に邁進しました。

 その後、濱口と井上は後相次いで凶弾に倒れました。しかし、多くの政治家が彼らの意志を継いでいます。
 東京の青山墓地には、濱口と井上の墓が仲良く並んで立っています。彼らの友情は、天国でも続いているのでしょうか。
 
 私も濱口や井上に恥じないよう、強固な意志を持って進みます。