2011年8月4日木曜日

周恩来

 周恩来(1898~1976)は、現代中国の政治家です。
 私が小学校の6年生の頃、ラジオを聴くのが流行していました。私は、昼間聴くことの出来ない外国の放送を特に聴いていました。もっぱら聴いていたのは、北京放送です。流暢な日本語のアナウンサーが、ゆっくりとした調子で原稿を読んでいました。
 たとえばこういう調子です。
「今日、ギニア共和国の友好訪中団は中国政府の要人と会見し、両国の友好を確認しました。」
 続いて、政府要人の名簿が読み上げられます。
「国務院総理・周恩来、国務院副総理・李先念。」

 「国務院総理・周恩来」は、ニュースに必ずといっていいほど登場してきました。当時の日本人で、周恩来を知らない人はいませんでした。
 眼の見えない祖母は、「周恩来は男前の政治家よ。今もでしょ。」と私に聞いていました。母も「周恩来は日本に留学していたのよ。」と教えてくれました。

 当時、中国は文化大革命の真っ最中でした。革命思想の学習が最優先で、経済発展政策を唱える政治家は粛清されていきました。その中で、周恩来はアメリカとの国交を回復させ、さらに15年間戦った日本との国交を回復させました。

 1936年、中国は日本と戦争を行っていましたが、一方で蒋介石の国民党と毛沢東の共産党は国共内戦を続けていました。この時、毛沢東の籠る延安を攻撃するため西安を訪れた蒋介石は、部下の張学良によって西安の華清宮に軟禁されました。西安事件です。張学良は蒋介石に対して、共産党への攻撃を中止し、共に日本軍にあたれと進言したのです。

 毛沢東から全権を委任された周恩来は、延安から西安に飛び、張学良を説得して蒋介石を釈放させました。さらに蒋介石と会談して、一致抗日を約束させました。この第2次国共合作により、日本に勝利したのです。

 晩年は膀胱がんを患いましたが、林彪や江青らの政敵と戦いながら、後継者に鄧小平を指名し、死後現在の豊かな中国を実現させました。

 この卓越した政治力、外交力はだれも及びませんが、せめて足元に届くくらいの力量を持った政治家すら、いないのでしょうか。
 世界にも、日本政府にも、広島市政にも。