前回の続きです。
業者は23年1月から3月にかけて、1コマ16秒ほどの速度で作業しました。しかし、全部を終了することはできませんでした。業者は、やむなく期間の延長を提案しましたが、健康福祉局・原爆被害対策部援護課の課長補佐Mは、まったく受け付けませんでした。
被爆者健康手帳交付申請書は、援護課の設計は100万コマでした。ただ、実際は74万コマでした。業者は機械の故障や停止が頻発する中で49万8千コマを仕上げました。
援護課の課長Nも課長補佐Mも、実際のコマ数74万コマを仕上げたら契約金額の100パーセントを支払うと業者に言っていました。
その後NやMが提案した契約変更案では、業務履行部分に相応する委託契約金額が示されました。その中で、次のような計算が基になっていました。
74万コマ仕上げた場合に、契約金額の100パーセント支払うというのなら、49万8千コマ仕上げた場合
契約金額X(49万8千÷74万) と計算すべきです。
しかし、提示された金額は
契約金額X(49万8千÷100万)となっていました。
他にも不可解な点が多数見られる契約変更案でした。
業者がこれを受け入れられないとみるや、NとMは「このままでは、裁判になりますよ」と変更案を呑むように言いました。
その後、3月29日に契約が打ち切られ、業者は3年間の入札参加資格を取り上げられました。
その理由は、「契約を誠実に履行する見込みがないと認められた」からだそうです。
契約期間内に業務を終えられなかった理由は、援護課がリースしたパソコンやスキャナーの不調や故障による時間のロスが原因としか考えられません。また、この遅延を協議によって解決しようとした業者に対し、最初に話し合いの場に出た課長補佐Mは不誠実な対応に終始し、課長のNもこれに追随しました。MとNの上司である部長のOは、まったく役に立ちませんでした。
業者は松井一實市長に直接会って、事情を説明しようとしました。しかし松井市長は文書でこう回答しました。
「(前略) 御社の御主張についても説明を受けています。
このようなことから、私といたしましては、委託料の一部を返還していただきたい。
したがって、仮に面会したとしても、今まで知り得た以外の新たな判断材料、あるいは特段の事情がないままでは、意味がないと考えています。」(一部表現の変更をしています)
この文書を読んで、私は信じられない気持ちでいっぱいになりました。
2月14日の質問の最後に、私は松井市長に聞きました。
「広島市民が、真剣に市との問題を解決しようとして、松井市長に会いたいと言っているのに、面会しても意味が無いとはどういうことでしょうか。市長は一介の市民、たったひとりの市民とは面会しても意味が無いということですか。」
市長は答弁せず、健康福祉局長が市長から業者に宛てた文書を読み上げて終わりました。
結局、広島市は業者に対し、委託金額の一部190万4729円と年10.95%の利息を支払えという訴状を広島地裁に提出しました。市の弁護士に払う着手金は37万円です。
機械の不調が原因で作業が完了できなかった業者に対し、契約金額から大幅に割り引いた額を変更契約として提示し、これが呑めなければ訴訟になりますよと脅かし、そのとおり訴訟を起こしました。
まるで、江戸時代の悪代官の所業です。民に泣き寝入りを強いているのです。
これでは、市の仕事を引き受ける業者は、いなくなります。とんでもない話です。市が入札をする資格を失ってよいほどの話です。
その悪代官である広島市が提訴した結果、逆に松井市長の誠意の無さと、健康福祉局援護課のずさんな対応が法廷で問われることになるという、なんとも皮肉な結果となりました。