ピーは、ザ・タイガースのドラマー、「瞳みのる」のニックネームです。
ザ・タイガースは、1960年代後半に一世を風靡したグループサウンズ(GS)の、旗手とも言うべきグループです。
メンバーは、ジュリーこと沢田研二(ヴォーカル)、サリーこと岸部おさみ(ベース)、タローこと森本タロー(サイドギター)、トッポこと加橋かつみ(ギター&ヴォーカル)、そしてピーこと瞳みのる。
5人は、京都の出身、大阪のダンス喫茶「ナンバ一番」で腕をみがいた後、1966年上京、渡辺プロと契約しました。当時のGSといえば、ジャッキー吉川とブルーコメッツやザ・スパイダースが活躍していました。
67年2月、デビュー曲の「僕のマリー」がヒット、67年には、「シーサイドバウンド」、「モナリザの微笑み」、「君だけに愛を」と大ヒット曲を生み、タイガースは一躍大スターとなりました。日本中、タイガースを知らない人はいないほどの大人気でした。
当時、ピーは1946年生まれで21歳、ジュリーが20歳、あとの3人も21歳の若い5人組で、それぞれにたくさんのファンがいました。スターを扱った雑誌「週刊明星」のスター人気投票で、5人はすべてベスト10に入り、1位はジュリー、2位がピーでした。
我が家でも、母、妹がタイガースの大ファンでした。たぶんジュリーが好きだったと思います。もしかすると妹はトッポが好きだったかもしれません。私が8歳、妹が5歳でしたから、いかにタイガースが幅広い層に人気だったか分かると思います。
私は、5人の中ではピーが好きでした。ほかの4人が髪を長くして、やや暗い表情で演奏しているのに対し、ピーだけはいつもニコニコと笑っていて、細い身体全体を使ったドラムプレイは痛快でした。なんとなく、身近にいるお兄さんという雰囲気でした。
しかし、タイガースは5人で演奏しているので、一曲のうちピーのドラムはちょっとしか映りません。それでも、かっこいいなと満足していました。
そんなある日、明治製菓のチョコレートの包み紙を3枚送ると、タイガースの5人それぞれのメッセージを吹き込んだソノシート(ぺらぺらのレコード)が送られてくるというキャンペーンを知りました。
私はさっそく応募しました。選んだのはもちろん、「電話で話すピー」でした。
「もしもし、ピーだよ。いま君は何をしてるの。僕は曲を作ってたとこなんだ。」
という調子で、女友達と他愛も無い話をするのですが、ピーの語りはぎごちなく、かえってそれが真面目な人柄を想像させました。何度も何度も、妹とふたりでけらけら笑いながらピーのメッセージを聞いていました。
続きます。