2012年10月26日金曜日

1968年のオールスター戦

 2012年のプロ野球は、日本ハム対巨人の日本シリーズを残すのみとなりました。吉川、武田勝の両左腕が、巨人をねじ伏せてくれることを期待します。

 私が6歳だった1965年から、巨人は9年連続日本一を達成しました。9年間、毎年同じことの繰り返しでした。
まず広島カープが5月5日を境に脱落、ついで応援していた大洋ホエールズが奮闘むなしく敗退。あまり好きでない阪神が、一番嫌いな巨人と闘って巨人が優勝します。つづく日本シリーズでは、南海ホークス、阪急ブレーブス、ロッテオリオンズがいずれも敗退。圧倒的に強い巨人でした。

 9年間、テレビで放映されるのは巨人の試合だけでした。巨人と他の5チームの試合です。
パリーグの試合は、月に一度くらいNHKで放映するだけでした。

 そんな普段テレビに映らないパの選手が、アップでテレビに映るのがオールスター戦でした。

新聞でしか知らない選手が次々出てきます。
 特に覚えているのは、1968年7月23日に川崎球場で行われたオールスター戦です。土曜日のナイターで、たぶんNHKで放映したのを、試合開始から終了まで食い入るように見ていました。

 先攻はパ、一番のロペス(東京オリオンズ)がセの先発島田源太郎(大洋)の初球をいきなりホームラン。1964年以来カムバックした島田でしたが、ロペスの怪力に吹っ飛びました。しかし島田はスライダーが冴え、結局は3回を1点に抑えました。
 一方のパの先発は池永正明(西鉄ライオンズ)です。速球派の池永はびゅんびゅんストレートを投げ込み、王も長嶋も凡退させます。3回を9人で切ってとりました。
 セの2番手は江夏豊(阪神)。江夏も負けじと速球で押し、張本(東映フライヤーズ)、野村(南海)らを完璧に抑えます。3回を無失点で収めました。
 パの2番手は森安敏明(東映)。全盛期は江夏よりも池永よりも早いといわれた速球派です。えげつないスライダーも武器です。3回を9人で抑えました。
 セの3人目は小川健太郎(中日)です。横手投げながらそのスピードボールは切れ味抜群、前年29勝を挙げています。小川も3回をすんなり無失点に抑えました。
 パの3人目は成田文男(ロッテ)、シュートを武器に9回ツーアウトまで完璧に抑えました。あと一人で完全試合リレーです。
 ここで私はさすがにセを応援しました。セの誰かがヒットで出塁。残念ながらこの選手が記憶に残っていません。その代走が柴田勲(巨人)。トレードマークの赤い手袋をつけて、二盗三盗とあざやかに決めました。

 この2死三塁で登場したのが山本一義(広島)。すこし頼りなく映りましたが、成田のボールをとらえたあたりは、高いバウンドのセカンドゴロ。これをパの内野陣が処理しえず、同点となりました。

 延長となってセのマウンドは、外木場義郎(広島)。さっそうとパを三者凡退に打ち取りました。
 その裏のパは石井茂雄(阪急)が登板。さすがに池永や森安に比べれば、打ちやすそうでした。江藤慎一(中日)が石井の初球をレフトスタンドに叩き込み、最後はセが勝ちました。

 池永、森安、成田といった速球派のボールは、見たことのない躍動する球でした。
 しかし、この試合から間もなく、池永、森安、小川健太郎は八百長やとばく事件に関与した疑いで、野球界を追放されました。
私にとっては、選手たちの一瞬のきらめきを見たオールスターでした。