新年あけましておめでとうございます。今年も「坂ブログ」をよろしくお願いします。
新年になって、私のこころをとらえた言葉があります。
「人間に、つまり私自身に絶望しないために」
フランス人で精神科医・革命家である、フランツ・ファノン(1925-1961)の言葉です。
ファノンは、フランス領西インド諸島のマルティニークの出身です。父は黒人奴隷の子孫、母は混血の私生児です。
第二次大戦では、ドゴール将軍の指揮する「自由フランス軍」に参加し、軍功章を受ける活躍を収めています。
戦後はフランス本土に渡り、精神医学、文学、演劇、哲学などを学びました。1951年に精神科医の資格を得て、本土で研修を終えたのち、1953年にフランス領アルジェリアに渡り、ブリダ=ジョアンビル精神病院で医療主任となりました。
1954年、フランス当局に抑圧されていたアラブ人やベルベル人は、1954年にアルジェリア民族解放戦線(FLN)を組織し、11月1日一斉蜂起しました。
これに対し、フランスのピエール・マンデス=フランス内閣は、蜂起の全面鎮圧にあたりました。
この戦争がアルジェリア戦争です。1962年の独立までの8年間に、 FLN側141,000人、フランス国軍28,500人、フランス側について戦ったアルジェリア人(アルキ)は50,000人から90,000人がそれぞれ戦死しました。
ファノンはこの殺戮、とくにフランス国軍のアルジェリア人に対する殺戮に対し、精神病院の職を辞して民族解放戦線に参加することを決意します。
その時書いた辞表の締めくくりの言葉が冒頭の
「人間に、すなわち私自身に絶望しないために」
であったのです。
悲惨な殺戮や、それを見て心を病んでいくアルジェリア人を見て、ファノンは人間に対する絶望を感じていたのでしょう。無力な自分自身にも絶望を感じていたかもしれません。
葛藤の末にファノンが行き着いた答えは、民族解放戦線に従軍することだったのです。
この絶望的状態を見過ごすのではなく、希望に変えるため。ファノンは医師の職をなげうち、革命運動に身を投じました。
この転換こそ 「私自身に絶望しないため」 だったのです。
私も医師として15年間働きました。その中でどうしても医療では救えない、弱者と言われる人たちがいました。子ども、障害者、お年寄り、女性といった人々です。
この人たちを絶望の淵から救うために、私は16年前、医師の職をなげうって政治家に転身しました。
まさに、
「人間に、すなわち私自身に絶望しないために」
でした。
2013年の広島市政に対する私の姿勢は、16年前の原点に立ち返ることです。
今年もどうぞよろしくお願いします。