2013年10月2日水曜日

広島カープ、クライマックスシリーズに進出(その2)

前回のつづきです。

 1968年のセリーグのペナントレースは、広島カープの快進撃で大混戦になりました。7月までは首位戦線に食い下がっていたように記憶しています。

当時のラインナップです。
          
           試合  打率                

6.今津 光男 128  .234
4.古葉 竹識 116  .223 古葉は、盗塁王になりました。
8.山内 一弘 134  .313
7.山本 一義 124  .256
3.衣笠 祥雄 127  .276
9.小川 弘文  63  .219
5.朝井 茂治 113  .201
2.田中 尊   103  .144
1.


外木場、安仁屋以外の投手成績は

         試合   回数   勝ち   負け
大石 弥太郎 20   82     6     5
大羽 進    38  110.2   6     7
白石 静生  29   114    5     8
三好 幸雄  30   50.1   2     2
池田 英俊  11   37.2   1     5
竜  憲一   34  57.2    1     3
城野 勝博  20   52.2    1     3
西川 克弘  11   21.1    1     3
西本 明和   3   8.2     1     0

 外木場、安仁屋の二人で44勝をあげましたが、他の投手で24勝しかあげられませんでした。
 特に期待の大石は故障で1年通して投げられず、若手の白石も1年間安定しませんでした。

 打線も、山内、山本、衣笠以外は極端な低打率でした。それでも今津、古葉、衣笠は足をからめて抜け目のない野球を見せました。
 しかし、いかんせん6番以下は低打率で、とても得点は見込めませんでした。

 今でも目に浮かぶのは、内野の守備陣のプレイです。特にサードの朝井はどんな痛烈なゴロも簡単にさばいて、タイガースのレギュラーだった実力を発揮しました。
 安仁屋も外木場も、朝井のおかげで内角にシュート、ストレートを投げ、三振や凡打の山を築いていきました。
 ショートの今津は軽快な守備で華麗さを見せつけ、セカンドの古葉との連携もよく、多くのダブルプレイで、ピンチを救いました。

 ファーストの衣笠は根本監督の抜擢に応え、若々しいプレーでカープに新風を吹き込みました。ホームランか三振かという猛烈なスィングは、今も目に焼き付いています。

 いちばんわたしの目を引いたのは、山内です。タイガースでの山内は、オリオンズ時代にくらべ成績も下降していました。
 しかし36歳で広島に来て、3番に座り開幕からサヨナラホームランを放つなど大活躍。多くの投手戦を制したのは、山内の一発によるものでした。6年ぶりに打率3割をマーク(.313)、21本塁打、69打点をあげました。ただひとり134試合全試合に出場し、多くのカープ選手に「プロとはこうあるべきとだ」いう模範を示しました。

 わたしは、何度となく市民球場で強いカープを観戦しました。
 安仁屋や外木場が築く三振の山、朝井の華麗な守備、今津の粘りのサヨナラ打、衣笠の豪快な三振。山内の滞空時間の長いホームラン。

 この年から、カープファンは毎年優勝することを期待して応援していきます。その熱気が1975年の初優勝につながっていくのです。

 カープの好調が街に活気を与え、市民が元気に与えたのは、この1968年からです。
 以後、強いカープは広島市民に自信を与えてゆくことになります。