前回のつづきです。
1968年のセリーグのペナントレースは、広島カープの快進撃で大混戦になりました。7月までは首位戦線に食い下がっていたように記憶しています。
当時のラインナップです。
試合 打率
6.今津 光男 128 .234
4.古葉 竹識 116 .223 古葉は、盗塁王になりました。
8.山内 一弘 134 .313
7.山本 一義 124 .256
3.衣笠 祥雄 127 .276
9.小川 弘文 63 .219
5.朝井 茂治 113 .201
2.田中 尊 103 .144
1.
外木場、安仁屋以外の投手成績は
試合 回数 勝ち 負け
大石 弥太郎 20 82 6 5
大羽 進 38 110.2 6 7
白石 静生 29 114 5 8
三好 幸雄 30 50.1 2 2
池田 英俊 11 37.2 1 5
竜 憲一 34 57.2 1 3
城野 勝博 20 52.2 1 3
西川 克弘 11 21.1 1 3
西本 明和 3 8.2 1 0
外木場、安仁屋の二人で44勝をあげましたが、他の投手で24勝しかあげられませんでした。
特に期待の大石は故障で1年通して投げられず、若手の白石も1年間安定しませんでした。
打線も、山内、山本、衣笠以外は極端な低打率でした。それでも今津、古葉、衣笠は足をからめて抜け目のない野球を見せました。
しかし、いかんせん6番以下は低打率で、とても得点は見込めませんでした。
今でも目に浮かぶのは、内野の守備陣のプレイです。特にサードの朝井はどんな痛烈なゴロも簡単にさばいて、タイガースのレギュラーだった実力を発揮しました。
安仁屋も外木場も、朝井のおかげで内角にシュート、ストレートを投げ、三振や凡打の山を築いていきました。
ショートの今津は軽快な守備で華麗さを見せつけ、セカンドの古葉との連携もよく、多くのダブルプレイで、ピンチを救いました。
ファーストの衣笠は根本監督の抜擢に応え、若々しいプレーでカープに新風を吹き込みました。ホームランか三振かという猛烈なスィングは、今も目に焼き付いています。
いちばんわたしの目を引いたのは、山内です。タイガースでの山内は、オリオンズ時代にくらべ成績も下降していました。
しかし36歳で広島に来て、3番に座り開幕からサヨナラホームランを放つなど大活躍。多くの投手戦を制したのは、山内の一発によるものでした。6年ぶりに打率3割をマーク(.313)、21本塁打、69打点をあげました。ただひとり134試合全試合に出場し、多くのカープ選手に「プロとはこうあるべきとだ」いう模範を示しました。
わたしは、何度となく市民球場で強いカープを観戦しました。
安仁屋や外木場が築く三振の山、朝井の華麗な守備、今津の粘りのサヨナラ打、衣笠の豪快な三振。山内の滞空時間の長いホームラン。
この年から、カープファンは毎年優勝することを期待して応援していきます。その熱気が1975年の初優勝につながっていくのです。
カープの好調が街に活気を与え、市民が元気に与えたのは、この1968年からです。
以後、強いカープは広島市民に自信を与えてゆくことになります。