2011年8月24日水曜日

炎のランナー

 「炎のランナー」は1981年にアカデミー作品賞と作曲賞を受賞した名作映画です。陸上競技の短距離走者を描いた、珍しい作品です。特に、タイトルバックに流れる音楽が有名です。

 1924年のオリンピック・パリ大会をめざし、イギリスのハロルド・エイブラハムズとエリック・リデルは短距離レースでしのぎを削っていました。

 エイブラハムズは金融業を営むユダヤ人の息子で、名門ケンブリッジ大学の学生です。ユダヤ人差別に満ちたイギリスの上流社会を見返そうと、イタリア人のコーチを雇ってオリンピックでの勝利を目指します。

 リデルは、スコットランド国教会の宣教師を父親に持ち、みずからも日曜日の礼拝に説教をする敬虔なキリスト教徒です。リデルは自分の俊足は神が恵み給うたものと思い、神のためにも勝たなければならないと強く決意します。

 二人ともオリンピックの代表に選ばれ、船でフランスに出発します。その時リデルは、出場する100メートル走の予選が日曜日だと知らされます。
 敬虔な教徒であるリデルにとって日曜日は安息日であり、出場することは神に背くことになります。イギリス皇太子の出場要請もきっぱり断ります。
 
 エイブラハムズは200メートル走で敗れて絶望の淵に身を埋めましたが、コーチの励ましに立ち上がりました。そして、100メートル走ではアメリカのチャールズ・パドックやジャクソン・ショルツを退け、金メダルに輝きました。
 
 そしてリデルは、400メートル走に出場。2着のホレイショ・フィッチをわずかにかわし、金メダルを勝ち取りました。

 この二人の「勝つために走る」という純粋な気持ちこそ、スポーツの原点であると思います。私も今まで色々なスポーツをしましたが、勝つために闘うことに迷いはありませんでした。

 だからこそ、エイブラハムズとリデルの純粋さに胸をうたれるのです。
 一方、古風なイギリスの二人とは対照的に、アメリカのパドックやショルツが個性的でかっこよく描かれていました。大変魅力的でした。
 その後の自由なアメリカの台頭を思わせていました。

2011年8月21日日曜日

人間の條件

 今、衛星放送で1959年製作の映画「人間の條件」を放送しています。原作は五味川純平、監督は小林正樹。全六部、九時間にわたる大作です。
 私は、この映画を中学生の頃と成人してから見たことがあります。しかし、今回あらためて見ると、新たな感動を得ました。

 「人間の條件」は、非人間的に生きるのではなく、人間らしく生きるにはどうすれば良いのか。その條件とは何なのかを突きつけている作品だと改めて感じました。

 第二部の中で、このようなやりとりがあります。
 時代は太平洋戦争の末期。日本人が経営する満州の鉱山会社は、中国人の捕虜を使役し、鉄鉱石の採掘にあたらせています。主人公の梶(仲代達矢)は、その会社で労務管理に携わる社員です。
 
 梶は捕虜に対し、なんとか人道的な処遇を図るよう試みます。しかし、日本人の現場監督たちによる非人間的な使役は変わりません。死者が続出し、捕虜たちは採掘場からの逃亡を計画します。
 しかし会社側に未然に察知され、逃亡を企てたとして、捕虜6名が処刑されることになりました。
 
 その前の晩のやりとりです。
 なんとか処刑を回避させようとする梶ですが、処刑は避けられない状況になってしまいました。捕虜のリーダーである王(宮口精二)は梶にこう言います。

 「回避の方法は、まだあります。あなたが人道主義の仮面をかぶった殺人鬼になるのか、それとも人間らしい人間になるのかの瀬戸際です。」

 悩む梶。王はさらにこう言います。
 「人間には人間の仲間が、いつでも必ずいるものです。」
 
 梶はこの言葉に、何かを悟った様子で立ち去ります。

 結局3人が処刑されたところで、梶が中止してくれと訴えます。王が捕虜を先導して騒ぎになり、あとの3人の処刑は回避されました。中途半端な結末に梶は苦悩するのでした。

 私の周囲には、王の語った「人間」たちがいます。
 しかし、その「人間」たちは、多くが苦悩を抱えて生きています。

 「人間」は苦悩することが、宿命付けられているのでしょうか。

2011年8月20日土曜日

二葉あき子さん

歌謡界を代表する歌手の二葉あき子さんが、8月16日亡くなられました。96歳でした。

 広島市東区・二葉の里の出身で、安藝の国にちなんで付けた芸名が「二葉あき子」でした。 私の母の出身校・広島県立広島高等女学校(県女・現在の皆実高校)の先輩で、母は二葉さんのファンでした。二葉さんは東京音楽学校(現・東京芸術大学)に進み、一流の歌手としてレコードデビューしました。

 昭和48年。中学3年の私は、歌の下手なアイドル歌手と、むさ苦しいフォーク歌手が幅をきかせていた時流に反発しました。昭和30年代以前の流行歌をマスターすることとし、同志2名と「懐メロ三羽烏」を結成。毎日のように懐メロを学校で歌っていました。

 レパートリーを増やすのは、大変な苦労でした。レコードは無い、テレビにも懐メロ歌手はほとんど出ない。夏と正月にある懐メロ番組をラジカセで録音して、なんとか曲を覚えていきました。
 歌が好きな母や祖母に聞いても、歌詞やメロディーが微妙に違って苦労しました。

 その後、懐メロがブームとなり、多くの歌手がテレビでにぎやかに歌っていました。男性歌手は、トリが藤山一郎、その前が霧島昇と伊藤久男。女性歌手は、トリが淡谷のり子、その前が渡辺はま子と二葉さんでした。

 二葉さんは抜群の歌唱力を誇っていました。オリジナル原盤をCDで聴いても、伸びる高音、はずむリズム感、幅広い音域を感じました。さすがに音楽学校出身の歌手です。

 どの曲も素晴らしいですが、その中でも特に好きなのは「バラのルムバ」です。曲の途中で短調から長調に転調する部分の高音が、どこまでも伸びていくようで大好きです。
 もう1曲は「恋の曼珠沙華」です。歌ってみると大変難しい曲です。特に、終わりの部分で高音から低音にぐっと下がり、結びでまた高い音域に上って終わります。これを二葉さんはいとも簡単に、感情を込めて歌っています。

 二葉さんのヒット曲「水色のワルツ」「フランチェスカの鐘」「夜のプラットフォーム」など、現代の歌手がカバーしてよい大ヒット曲です。再ヒットを楽しみにしています。

2011年8月8日月曜日

ある日税金が

 「この建物は、このたび固定資産税が全面課税されることになりました。」

 平成23年1月某日、南区課税課の係長は、ある建物に入って所有者に会うやいなや、このように宣言しました。
 
 「この建物は40年間も、一部減免の措置を受けているのですよ。なぜ一部減免から全面課税に変わるのでしょうか。」
 所有者は必死で理由を聞きだそうとします。
 「市の条例が変わりました。」と係長。以下、二人のやりとりです。

所「以前の条例と、改正後の条例と見せてください。」
係「今は、持っておりません。」
所「どこに行けば見られますか。」
係「公文書館で請求してください。とにかく課税になります。よろしく。」

 私は所有者からの申し立てを聞いて、6月に南区の課税課に調査に行きました。判明したことは、
 1、条例は改正されていない。
 2、所有者から減免の申し立てがあり、昭和46年度以降建物は一部減免を受けている。
 3、平成14年に市は、この建物の調査に入っているが、減免の変更は無い。
 4、平成14年以降に、固定資産税についての法律、条例、規則などの変更は無い。

 南区の課税課長は、現状維持の一部減免で良いとの判断でした。本庁の税務部と合議することになっていますが、税務部長も私の前では強く課税を主張しませんでした。
 しかし、部下の固定資産税課長は課税を主張し、その部下の係長も課税を主張しました。係長は異動で南区から本庁に来ていたのです。まだ合議の結果は出ていません。

 平成14年に、広島市は建物の調査に入って減免と結論を出しています。その後、法律も条例も規則も何一つ変わっていないのです。
 それなのに、今まで広島市の判断で減免されていた建物が、平成23年になってにわかに課税されることになるなど、とても法治国家とは思えません。

いきなり「おい、税金をそこへ置いて行け。」盗人や追いはぎの所作です。

 広島市は栄光の歴史に幕を閉じ、「追いはぎ市」と改名して歴史を刻んでいくのでしょうか。

読み間違い

 最近、ニュースでアナウンサーの読み間違いが目立っています。

 ある日のNHKのニュースです。
「くまもとひびしんぶんによりますと、・・・」
 そういう名前の地方紙があるのかと思っていました。10秒ほど考えて、「熊本日日新聞(くまもとにちにちしんぶん)」のことだと気づきました。
「日日(ひび)の暮らし」というように読みますが、「ひびしんぶん」は無いでしょう。

 同じく、NHK午後7時のニュースです。
「熱中症の対策として、いふくをあたためてください」
 さて、熱中症のときに衣服を暖めると、むしろ熱中症がひどくなるのにと思いました。すぐに気づきました。
 「緩める」を「暖める」と読み間違えたのです。
 これはさすがに、放送中に時間をかけて訂正されました。

 続いてテレビ新広島です。
 「三次市で、辻村寿三郎人形展が開かれています。平家物語に題材を取った、しかのたにの陰謀などが展示されています。」
 「しかのたにの陰謀」は、「鹿ケ谷の陰謀(ししがたにのいんぼう)」を間違えて読んだとすぐに分かりました。

 私は、事務所のスタッフと三次市の人形展の会場に行ってみました。ひょっとしたら、人形の説明が「鹿の谷の陰謀」となっているかもしれないとも思っていました。
 
 しかし「鹿ケ谷の陰謀」と書いてありました。テレビ新広島の黒星です。

 高校時代にも、面白い読み間違いがありました。
「ながいにふう」これは、文豪「永井荷風(ながいかふう)」のこと。間違えた友人が「だって、荷物(にもつ)の荷じゃないですか。」と食い下がりましたが、国語の先生は相手にしませんでした。

 つづいて、漢字のふりがなテストです。煮沸は「しゃふつ」と読みます。「にふつ」はバツです。間違えた友人が「だって煮る(にる)の煮じゃないですか。」と食い下がりましたが、やはり黙殺されました。

 広島市議会でも、読み間違いはしょっちゅうです。
 ある若手議員は、「きしくも」を連発します。「奇しくも(くしくも)」の読み間違いなのですが、誰も指摘しないのか、半年経過しても「きしくも」は修正されておりません。

 せっかくの良い質問も、読み間違うと大いに興ざめしてしまいます。残念な事です。

2011年8月4日木曜日

周恩来

 周恩来(1898~1976)は、現代中国の政治家です。
 私が小学校の6年生の頃、ラジオを聴くのが流行していました。私は、昼間聴くことの出来ない外国の放送を特に聴いていました。もっぱら聴いていたのは、北京放送です。流暢な日本語のアナウンサーが、ゆっくりとした調子で原稿を読んでいました。
 たとえばこういう調子です。
「今日、ギニア共和国の友好訪中団は中国政府の要人と会見し、両国の友好を確認しました。」
 続いて、政府要人の名簿が読み上げられます。
「国務院総理・周恩来、国務院副総理・李先念。」

 「国務院総理・周恩来」は、ニュースに必ずといっていいほど登場してきました。当時の日本人で、周恩来を知らない人はいませんでした。
 眼の見えない祖母は、「周恩来は男前の政治家よ。今もでしょ。」と私に聞いていました。母も「周恩来は日本に留学していたのよ。」と教えてくれました。

 当時、中国は文化大革命の真っ最中でした。革命思想の学習が最優先で、経済発展政策を唱える政治家は粛清されていきました。その中で、周恩来はアメリカとの国交を回復させ、さらに15年間戦った日本との国交を回復させました。

 1936年、中国は日本と戦争を行っていましたが、一方で蒋介石の国民党と毛沢東の共産党は国共内戦を続けていました。この時、毛沢東の籠る延安を攻撃するため西安を訪れた蒋介石は、部下の張学良によって西安の華清宮に軟禁されました。西安事件です。張学良は蒋介石に対して、共産党への攻撃を中止し、共に日本軍にあたれと進言したのです。

 毛沢東から全権を委任された周恩来は、延安から西安に飛び、張学良を説得して蒋介石を釈放させました。さらに蒋介石と会談して、一致抗日を約束させました。この第2次国共合作により、日本に勝利したのです。

 晩年は膀胱がんを患いましたが、林彪や江青らの政敵と戦いながら、後継者に鄧小平を指名し、死後現在の豊かな中国を実現させました。

 この卓越した政治力、外交力はだれも及びませんが、せめて足元に届くくらいの力量を持った政治家すら、いないのでしょうか。
 世界にも、日本政府にも、広島市政にも。