2013年10月30日水曜日

報道の自由と傍聴権

 10月29日に、「第1回広島市競輪運営委員会」が、市役所本庁舎14階・第5会議室で開催されました。一般市民の傍聴は自由で、報道機関へも公開されました。

 わたしも傍聴席に座り、約10名の傍聴者と静粛に議事を傍聴しました。

 まず松井市長があいさつに立ち、広島競輪の実態を話しましたが、廃止ありきという論旨の展開でした。委員会の目的である、第3者の意見を聞いて決めるという姿勢からは、かけ離れたあいさつでした。

 ついで委員長に広島大学教授の伊藤敏安氏が互選で選ばれました。
 その間、マスコミ各社のカメラクルーは会場内を自由きままに動き回り、市長や発言者のベストショットを狙おうと位置取りに血眼です。

 大きなカメラと大きな集音マイクを担いだ組が、NHK,RCC,HTV,TSS,ホームテレビと五組あり、傍聴席の前もクルーでいっぱいです。発言者の顔も見れなければ、スライドの画面も見えません。
 競輪事務局の課長補佐に「会議が見えない」というと、課長補佐は企画総務局の広報課が取材場所を制限しないでくれと依頼して来たといいます。

 報道の自由があるからといって、傍聴者の傍聴する権利を侵害してよいのかと思いましたが、会議の進行中なので、だまって着席していました。
 2時間の会議中、HTVのカメラクルーの集音マイクを持った女性が、1時間以上わたしの席の前に立ちふさがり、傍聴をさまたげました。HTVのカメラマンもそれを注意する様子はありませんでした。女性は用事も無く手持無沙汰なようでしたが、手持無沙汰なら部屋のすみにでも退けばいいのにと思いました。

 広報課から自由自在の取材が許されているのでしょうが、傍聴の妨害まで報道機関に許しているとは思えません。
 明日、仙波広報課長から説明を聞きます。

2013年10月25日金曜日

保育の充実(下)

 前回の続きです。

 待機児が0名だったA区のX保育所は、保育サービスアドバイザーから「たぶん大丈夫だろう」と言われたそうですが、あえなく選にもれました。友人夫婦は落胆していると言うのことだったので、事情を聞きにA区役所に行きました。

 同行したのは、こども未来局の保育指導課長です。A区の保健福祉課長と保育サービスアドバイザー(以下アドバイザー)が迎えてくれました。

 まずはアドバイザーが、
「X保育園への入園のことで『たぶん大丈夫だろう』と言ったおぼえはありません」
「いろいろやりとりしましたが、わたしは間違ったことはしていません」
と、主張されました。

 夫人の通勤経路を示してくれと言うと、家はA区のN町だと言いました。

 「勤務地であるPはどこか、地図の上で示してください」と言うと、B区のY町を指で探していました。
 勤務地であるPはC区です。見つかるわけがありません。

 「PはB区じゃないでしょう」と言うと、保健福祉課長が「PはC区ですよ」と助け舟を出しました。
 しかし、ようやくアドバイザーが「ここです」と指差した場所は「P前」という電停でした。1か月前に夫人とPの場所について協議していたのなら、Pを忘れるはずはありません。

 空きがあるかどうかについては、A区は空きなし、B区はY町に空きの出る可能性のある保育所がひとつあるという情報をアドバイザーから提供をしたそうです。

 勤務地のPの近くのC区の保育所で空きがあるかどうかは、アドバイザーは知りませんでしたし、情報提供ももちろんしていません。C区には問い合わせしなかったそうです。

 また、入園希望をするときに待機児が0名だからといって、申し込んだ順に入れるのではなく、毎月審査をして、後から申し込んだ人が入る場合もあるというシステムも聞きました。
 そして10月以降、来年の4月まで退園する子どもは、例年まずいないことも聞きました。 

 「では定員いっぱい在籍している保育園にはまず入園できないのですか」と聞くと、アドバイザーも二人の課長も「そうです」と答えました。

 夫婦は期待を抱きながら、まず入園できないであろうA区とB区の保育園を入園希望であると記入して申し込んだのです。選にもれるのは明らかであったにも関わらずです。

 アドバイザーは、「両親が決めたのだから、わたしがどうこう言う問題では無い」と言いました。

 しかし、少なくとも勤務地Pの近くにある保育所の空き状況はどうだったのか。A区とB区の保育所は申し込んでも、来年の4月まではまず入園できない、という情報も合わせて提供すべきだったのではないでしょうかと三人に言いました。

「希望する保育園以外の空きのある保育園への入園の斡旋等を行う。」と、アドバイザーの職務について予算説明書にはっきりと書いてあります。
 それにもかかわらず、アドバイザーが「親が希望するのだから仕方が無い」などと言うのは職務怠慢と言わざるをえません。上司である課長も業務について指示をしていません。これも職務怠慢だと思います。


 そのような仕事に対して、年間239万9千円が市費からアドバイザーに支払われているのです。

わたしは三人に対して、「ひとつも役に立っていないではないですか」と言ってやりました。

保育の充実(上)

 広島市の保育園は待機児童であふれています。
 入園を申し込んでも、希望する日時から希望する保育園に入園できることは、まずありません。

 待機児対策として、広島市は「保育サービス相談事業」を2013年度から開始しました。予算額は2,374万9千円です。

 事業の内容は、「各区役所に保育サービスアドバイザーを1名配置し、一時預かり事業や幼稚園預かり保育など多様な保育サービスの情報提供を行うとともに、希望する保育園以外の空きのある保育園への入園の斡旋等を行う。」となっています。

 こども未来局長は3月の予算特別委員会以来、議員から待機児童対策を質問されるごとに、この保育サービスアドバイザー(以下、アドバイザー)を配置したことを答弁していました。わたしはこのアドバイザーの配置で、待機児童のうち何人かが保育所に入園したり、他のサービスを受けられているものと思っていました。

 わたしの友人は広島市のA区に居住しており、夫人と二人フルタイムで働いています。産休をとっていたのですが、11月から夫人は職場復帰することになり、保育園への入園をA区の保健福祉課へ相談に行きました。
 友人も夫人も勤務地はC区で、毎朝自宅のあるA区を出発してからB区を経由して、C区に勤めに出ます。

 保健福祉課の窓口で対応したのはA区のアドバイザーでした。アドバイザーは窓口において地図を広げ、通勤経路などを確認しながら、保育園の待機者の有無を含む情報提供を行ったそうです。
 A区は空きが無かったので、B区で一つだけ空きが出る可能性のある保育園を提案したそうです。

 友人夫婦は話し合い、翌日に申込書を提出しました。
 第一希望はA区のX保育園で待機児0、第2希望はA区のY保育園で待機児5名、第3、第4はB区の保育園で待機児はいずれも10名以上でした。アドバイザーが提案した保育園は希望しませんでした。

 友人は、「X保育園は待機児がいないから、比較的入りやすいだろう。アドバイザーからも、たぶん大丈夫だろうと言われた。」と、わたしに言っていました。

 ところが、郵便で通知は4つの保育園とも選考にもれたという結果でした。
 友人夫婦はひどく落ち込みました。

(つづく)

2013年10月13日日曜日

カープ、阪神に勝つ

10月13日、広島カープは阪神タイガースを7対4でやぶり、2連勝でクライマックス・シリーズ・ファイナルステージに進むことになりました。

12日はカープの4番、キラの3ランホームランと先発前田健太の7回1失点の好投で、8対1と勝利をおさめていました。

13日は、先発のバリントンが初回1点を失い、阪神の先発メッセンジャーを打ちあぐねていただけに、苦戦が予想されました。

仕事を終えて帰宅しすぐテレビをつけると、4番のキラがいきなり頭の高さに来たボール球を、引っぱたきました。これがライト線の二塁打となって同点です。6番のエルドレットは、内角の直球を引っ張りました。これも三遊間をやぶって2対1と逆転です。

その後もカープ打線は打ち続けました。バリントンのあと横山、永川、ミコライオの投手リレーで7対4の快勝です。何もかもうまくいった二連戦でした。

今年のカープは、例年通り負けが先行するパターンでした。わたしもマツダスタジアムに足を運びましたが5連敗。シーズン終盤にようやく二つ勝ちました。

それだけに、この阪神戦の2連勝は各選手感慨もひとしおでしょう。

ほとんどの選手は、けがや成績不良で1年間通して出場してはいません。その選手たちが、この2試合、それぞれの持ち場で活躍しました。

力感あふれる投球、守備のファインプレー、無造作に決めるバント、バットスィングも思い切りの良いものでした。

思わずテレビの前で、拍手し声援を送っていました。

次は巨人です。

札幌、仙台、広島、福岡の4都市を比較して、札仙広福と呼ばれています。広島の財界人や保守政治家が好んで使っています。札仙広福の中で負けているという具合にです。

広島カープが北海道日本ハムファイターズや東北楽天イーグルスや福岡ソフトバンクホークスに負けていると、広島の財界人や政治家に言われているようなものです。

札仙広福ではなくて、目指す相手は東京読売巨人軍であり大阪阪神タイガースであり名古屋中日ドラゴンズなのです。

名古屋と大阪を倒したので、つぎは東京の番です。しっかり応援しましょう。

2013年10月7日月曜日

広島市の環境行政

 ある朝のことです。午前7時にランニングを終えて我が家の前まで戻ると、騒音をけ立てて疾走するパッカー車がいました。パッカー車とはゴミ収集車のことで、民間業者のゴミ収集車を広島市が登録・管理しています。

 そのパッカー車が、ぼとんぼとんと2回大きな音をたてました。大きなゴミ袋が、車の後部から落ちたのです。
 車線の中央に、10メートルの間隔をおいて2個のゴミ袋。放置するわけにもいかず、車道に出て最初に落としたゴミ袋を歩道に引き上げようとしました。

 しかしこれが思いのほか重く、持ち上げられません。今、車が走ってきたら轢かれてしまいます。
 一瞬、横浜市でおきた踏切での人身事故を思い出しました。ゴミを引き上げようとして、車にひかれたら、みんなどう思ってくれるのだろうか。
 さいわいにも車は来ず、ゴミ袋を引きずって道路端まで移動させました。二つ目は軽く、我が家の敷地内へ置いておきました。

 回収に来させないといけないのですが、午前7時では、どこにも連絡がつきません。
 8時半になって環境局に電話をし、事情とパッカー車に明記されていた4ケタの登録番号を伝えました。応対された業務第一課長はお礼を言われ、収集業者に連絡すると返事されました。

 11時に議会へ行くと、さっそく業務第一課長と指導担当課長が来て、業者の社長を呼んで口頭で注意をしたと報告がありました。社長は運転手に連絡し、落下したゴミ袋を回収するように指示したそうです。

 パッカー車の後ろはゴミ袋が落下しないように、幌やシャッターなどの覆いが付いています。二人の課長によると、走行中はその覆いをすることが義務付けられているそうです。

 わたしが見たパッカー車は、覆いをせずに走っていました。うっかり忘れて走っていたのか、装備不良で走行中に開いたのかは、わかりませんでした。

 市で検査しているのかと聞くと、年に2回行っているとのことでした。この会社にも立ち入っており、その記録を見てみると、覆いについて検査がされていました。良・不良と書いてあり、良のほうに丸印の印があります。検査員の印鑑が二つ押してありました。

 しかし、実際に行われる検査は目視検査だけで、覆いの留め金を引っ張ったり、シャッターが軽い力で開いたりするかどうかは検査しないそうです。

 見ただけで良の判定をしているが、そんな甘い検査では今日のような事故は防げないではないかというと、二人とも何も言いませんでした。

 パッカー車の整備が不良だと、収集にあたる人がうしろのコンベアーに巻き込まれて死んでしまうこともありますし、落下したゴミ袋を拾おうとして後続車に轢かれることもあります。

 環境局は、これが人命にかかわることだと理解できているのでしょうか。

2013年10月2日水曜日

広島カープ、クライマックスシリーズに進出(その2)

前回のつづきです。

 1968年のセリーグのペナントレースは、広島カープの快進撃で大混戦になりました。7月までは首位戦線に食い下がっていたように記憶しています。

当時のラインナップです。
          
           試合  打率                

6.今津 光男 128  .234
4.古葉 竹識 116  .223 古葉は、盗塁王になりました。
8.山内 一弘 134  .313
7.山本 一義 124  .256
3.衣笠 祥雄 127  .276
9.小川 弘文  63  .219
5.朝井 茂治 113  .201
2.田中 尊   103  .144
1.


外木場、安仁屋以外の投手成績は

         試合   回数   勝ち   負け
大石 弥太郎 20   82     6     5
大羽 進    38  110.2   6     7
白石 静生  29   114    5     8
三好 幸雄  30   50.1   2     2
池田 英俊  11   37.2   1     5
竜  憲一   34  57.2    1     3
城野 勝博  20   52.2    1     3
西川 克弘  11   21.1    1     3
西本 明和   3   8.2     1     0

 外木場、安仁屋の二人で44勝をあげましたが、他の投手で24勝しかあげられませんでした。
 特に期待の大石は故障で1年通して投げられず、若手の白石も1年間安定しませんでした。

 打線も、山内、山本、衣笠以外は極端な低打率でした。それでも今津、古葉、衣笠は足をからめて抜け目のない野球を見せました。
 しかし、いかんせん6番以下は低打率で、とても得点は見込めませんでした。

 今でも目に浮かぶのは、内野の守備陣のプレイです。特にサードの朝井はどんな痛烈なゴロも簡単にさばいて、タイガースのレギュラーだった実力を発揮しました。
 安仁屋も外木場も、朝井のおかげで内角にシュート、ストレートを投げ、三振や凡打の山を築いていきました。
 ショートの今津は軽快な守備で華麗さを見せつけ、セカンドの古葉との連携もよく、多くのダブルプレイで、ピンチを救いました。

 ファーストの衣笠は根本監督の抜擢に応え、若々しいプレーでカープに新風を吹き込みました。ホームランか三振かという猛烈なスィングは、今も目に焼き付いています。

 いちばんわたしの目を引いたのは、山内です。タイガースでの山内は、オリオンズ時代にくらべ成績も下降していました。
 しかし36歳で広島に来て、3番に座り開幕からサヨナラホームランを放つなど大活躍。多くの投手戦を制したのは、山内の一発によるものでした。6年ぶりに打率3割をマーク(.313)、21本塁打、69打点をあげました。ただひとり134試合全試合に出場し、多くのカープ選手に「プロとはこうあるべきとだ」いう模範を示しました。

 わたしは、何度となく市民球場で強いカープを観戦しました。
 安仁屋や外木場が築く三振の山、朝井の華麗な守備、今津の粘りのサヨナラ打、衣笠の豪快な三振。山内の滞空時間の長いホームラン。

 この年から、カープファンは毎年優勝することを期待して応援していきます。その熱気が1975年の初優勝につながっていくのです。

 カープの好調が街に活気を与え、市民が元気に与えたのは、この1968年からです。
 以後、強いカープは広島市民に自信を与えてゆくことになります。