2012年2月26日日曜日

消防上下水道委員会(その2)

前回に続き、2月22日の消防上下水道委員会でのやりとりです。
 
 消防局長に続いて、下水道局長が説明に立ちました。下水道局は経営健全化計画を4年ごとに立てており、今回は平成24年度から27年度まで4年間の計画を立てました。

「このたび、ようやく汚水処理にかかる広島市の一般会計からの繰り入れ金がゼロになりました。」と、局長は胸を張って説明しました。

 下水で処理する水は、雨水と汚水とがあります。市民に直接負担を求めるのは、汚水処理に関する費用です。23年度以前の4年間では、下水道料金から80%、一般会計から20%を負担して処理費を賄っていました。
 これには処理経費の無駄が莫大ありました。私は抵抗に遭いながらもやかましく追及し、ようやく一般会計からの繰り入れをやめさせました。

 それでは一般会計からの繰り入れ金は24年度以降減少するのかと,新しく作られた計画を見たところ、我が目を疑いました。なんと23年度以前よりも繰り入れ金が増加していました。
 
 私は当然のように質問しました。

「汚水処理に繰り入れる必要が無くなったのだから、当然繰り入れ額は下がるはず。なぜ上昇するのか。」

「企業債の返還のための繰り入れが増しているので、こうなりました。」

「企業債の返還は一般会計、つまりわれわれが納めた税金で行い、新たな企業債を発行して事業を進めていく。これもわれわれの税金で返済していく。これで、独立採算制の企業会計と言えるのか。」「雨水処理の経費も、当然節減させていくべきではないか。」
 そう迫りました。

 局長はこう答えました。
「雨水の経費節減も当然行う。ただし今回の資料は、汚水処理に税金を繰り入れなくてもすんだという視点での資料ゆえ、雨水については触れていない。」「再度資料を作成する。」

 太平洋戦争時の日本軍大本営発表のようです。一箇所勝った勝ったと宣伝していますが、実際全体では大敗しているという資料を配っているのです。
 
 われわれはいつまでたっても、税金を下水道に流し続けなければならないのかと、開いた口がふさがりませんでした。

2012年2月25日土曜日

消防上下水道委員会

2月22日、広島市議会・消防上下水道委員会が開催されました。議題は、平成23年度補正予算、下水道局の経営健全化計画です。

 まず、補正予算について質疑を行いました。消防局が151ある消防団にボートを配置すると言う予算で、総額2000万円ほどです。このボートは洪水などで孤立した家庭へ救援にいく際に使われるそうです。この点について質問し、消防団室長が答えました。

「何人乗りで、消防団員は何人乗るのか。」
「4人乗りで、2名の団員が救助に向います。」
「孤立している住民を、2名乗せるということだが、救助を求めている住民が、10名いたらどうするのか。」
「重傷者から、2名選んで救助します。」
「誰がその2名を選ぶのか。またどういう基準で選ぶのか。それが消防団員にできるのか。」
「・・・・・・。」

結局、次長と局長がたくさん答弁に立つことになりました。

「消防署員の同行の下、署員の指示で団員には動いてもらいます。」


 私は以下のように持論を展開しました。

「消防団の施設を整備して前線に送り出し、消防署員は後方に待機し安全な箇所にて安全に過ごす。過去二回の集中豪雨で、3名の団員が犠牲となる一方で、署員の死亡は無かった。
 これでは、消防団員は消防署員の楯であり、弾除けである。今回も水害地に先に団員を派遣して犠牲とするような予算なら、私は反対する。」

 たくさんの幹部が答弁しましたが、一緒に救助に出かけると言うことをマニュアル化し、消防団に周知することで賛成しました。
 いたずらに消防団員の命を犠牲にしてなるものか。

2012年2月16日木曜日

広島市援護課と業者との紛争(後編)

前回の続きです。

 業者は23年1月から3月にかけて、1コマ16秒ほどの速度で作業しました。しかし、全部を終了することはできませんでした。業者は、やむなく期間の延長を提案しましたが、健康福祉局・原爆被害対策部援護課の課長補佐Mは、まったく受け付けませんでした。

 被爆者健康手帳交付申請書は、援護課の設計は100万コマでした。ただ、実際は74万コマでした。業者は機械の故障や停止が頻発する中で49万8千コマを仕上げました。

 援護課の課長Nも課長補佐Mも、実際のコマ数74万コマを仕上げたら契約金額の100パーセントを支払うと業者に言っていました。

 その後NやMが提案した契約変更案では、業務履行部分に相応する委託契約金額が示されました。その中で、次のような計算が基になっていました。
 
 74万コマ仕上げた場合に、契約金額の100パーセント支払うというのなら、49万8千コマ仕上げた場合

 契約金額X(49万8千÷74万) と計算すべきです。

 しかし、提示された金額は
 契約金額X(49万8千÷100万)となっていました。

 他にも不可解な点が多数見られる契約変更案でした。
 業者がこれを受け入れられないとみるや、NとMは「このままでは、裁判になりますよ」と変更案を呑むように言いました。

 その後、3月29日に契約が打ち切られ、業者は3年間の入札参加資格を取り上げられました。
 その理由は、「契約を誠実に履行する見込みがないと認められた」からだそうです。

 契約期間内に業務を終えられなかった理由は、援護課がリースしたパソコンやスキャナーの不調や故障による時間のロスが原因としか考えられません。また、この遅延を協議によって解決しようとした業者に対し、最初に話し合いの場に出た課長補佐Mは不誠実な対応に終始し、課長のNもこれに追随しました。MとNの上司である部長のOは、まったく役に立ちませんでした。

 業者は松井一實市長に直接会って、事情を説明しようとしました。しかし松井市長は文書でこう回答しました。

「(前略) 御社の御主張についても説明を受けています。
 このようなことから、私といたしましては、委託料の一部を返還していただきたい。
 したがって、仮に面会したとしても、今まで知り得た以外の新たな判断材料、あるいは特段の事情がないままでは、意味がないと考えています。」(一部表現の変更をしています)

 この文書を読んで、私は信じられない気持ちでいっぱいになりました。

 2月14日の質問の最後に、私は松井市長に聞きました。

「広島市民が、真剣に市との問題を解決しようとして、松井市長に会いたいと言っているのに、面会しても意味が無いとはどういうことでしょうか。市長は一介の市民、たったひとりの市民とは面会しても意味が無いということですか。」

 市長は答弁せず、健康福祉局長が市長から業者に宛てた文書を読み上げて終わりました。

 結局、広島市は業者に対し、委託金額の一部190万4729円と年10.95%の利息を支払えという訴状を広島地裁に提出しました。市の弁護士に払う着手金は37万円です。

 機械の不調が原因で作業が完了できなかった業者に対し、契約金額から大幅に割り引いた額を変更契約として提示し、これが呑めなければ訴訟になりますよと脅かし、そのとおり訴訟を起こしました。

 まるで、江戸時代の悪代官の所業です。民に泣き寝入りを強いているのです。

これでは、市の仕事を引き受ける業者は、いなくなります。とんでもない話です。市が入札をする資格を失ってよいほどの話です。

 その悪代官である広島市が提訴した結果、逆に松井市長の誠意の無さと、健康福祉局援護課のずさんな対応が法廷で問われることになるという、なんとも皮肉な結果となりました。

2012年2月15日水曜日

広島市援護課と業者との紛争(前編)

2012年の2月議会初日、私は議会で質問しました。

 報告第31号 専決処分の報告(委託契約を解除したにもかかわらず、支払済みの委託料を返還しない者に対する訴えの提起)についての質問です。
 これは、「被爆者健康手帳交付台帳等の電子化業務」を、広島市健康福祉局・原爆対策部援護課(以下援護課)が、業者との間で交わした契約についての事件です。

 期間は平成22年4月1日から1年間。設計金額1365万円に対し、委託契約金額は893万6550円でした。

 業務の内容は、マイクロフィルムに収められた被爆者健康手帳交付申請書と被災資料を、スキャナーで読み取って1コマずつパソコンに保存する作業です。もうひとつは紙の資料の被爆者健康手帳交付台帳を、同様に1枚ずつ保存する作業です。

 援護課の設計では、1コマを15秒で作業をこなしていって、期間内にようやく終了するというものでした。援護課がリースした2台のスキャナーと2台のパソコンとを使い、業者の職員2人で作業を開始しました。

 ところが、4月早々からスキャナーやパソコンの不調や停止、故障が頻発しました。マイクロフィルムのデータの大きさも不揃いでした。作業は大幅に遅延し、4月から7月までは1コマの処理に30秒前後かかっていました
 なんとかこれを8月から挽回して、1コマ14秒から17秒で消化していきました。

 私は、市の職員が23年の12月に同じ作業をするところを見学しました。てきぱきとこなしておられましたが、それでも1コマ32秒程度のスピードでした。
 業者のスピードは、この倍の速さで信じられないほどの高速だったのです。

 22年8月に、業者が「このままでは期間内に作業が完了しない」と訴え、2台のスキャナーとパソコンを3台に増設させてくれと提案しました。
 しかし、援護課の課長補佐Mはこれを拒絶しました。逆に「早朝や夜間、そして土曜も日曜も出てきて働きなさい。」と提案しました。
 市庁舎は、時間外にはエアコンが切れます。そのことも承知での提案でした。業者はやむを得ず、2名のままで作業を続けました。

(次回につづく)

2012年2月10日金曜日

脱走その後

1月26日、法務省矯正局成人矯正課の島 孝一・企画官ら3名が市議会市民連合の控え室を訪れ、脱走に対する再発防止策の中間報告を説明されました。
 1月21日に自宅へ謝罪に来た際、「囚人を囲うべき刑務所が、囚人を解放するとはどういうつもりですか。」と刑務所長を一喝したためだと思われます。

 その時、私が「広島市にも消防局や上下水道局、各区役所など業務のため巡回している職員がいるので、いざ脱走と言う時にはご協力できるかも知れませんね。」と言うと
「今までは刑務所の周辺の人たちとの連携が取れていなかった。よろしくお願いしたい。」
 と言われました。

 その後の2月7日のことです。
 消防局に「脱走事件のあと、刑務所と連携を取ることになったのではないか。」
 と問うと、消防局危機管理課長は「2月2日、刑務所と市とで再発防止策を検討したいとのことであった。内部で協議して市民局の安全推進課長を窓口とすることに決めた。」と答えました。

 その検討の詳細を聞くため、2月10日に危機管理課長を呼びました。着席して数分後、職員が駆け込んできました。危機管理課長(以下、消防局の課長)のとなりに座り、市民局の市民安全推進課長(以下、市民局の課長)であると名乗りました。平成23年の4月に、安佐南署の生活安全課長から市民局に来たそうです。

 消防の課長が言うには、再発防止策を聞いたのは消防局長ではなく、市民局の局長と次長。それと課長だったそうです。

 まずは、脱走当日に、いつ、誰から広島市に情報が入ったのかたずねました。
 市民局の課長は得意そうに、「県警本部から、私に第一報が入りました。」と言いました。

「それは、何時何分でしたか。」と聞きましたが、午後の2時くらい、と曖昧な返事でした。

「その知らせを誰に知らせましたか。」と聞くと、
「安心安全メールを送りました。」と答えるので重ねてたずねました。

「何通ですか。」
「800メールです。」
「そのあと、どこへ連絡しましたか。」
「・・・・・。」
「市の内部の連絡網はあるのですか。あるのなら見せてください。」
「・・・・・。」
「あなたの机にあるのなら、後からみせてもらいます。あるのですか。」
「・・・・・・。」
「話にならんけえ、佐伯市民局長とよう協議してまた来なさい。」
「市と協議してまた来ます。」

 市に所属する職員が市と協議するという台詞にわが耳を疑いました。代表者として来ているという自覚が欠けています。

「あんたあ、国籍は警察か? 市の職員じゃあないんか。」
「市の職員です。」
「ええけえ、かえりんさい。消防の課長もかえりんさい。話にならん。」

これが、広島市の危機管理の現状です。

この絶望から、希望が見えるようにするのが、私の仕事かもしれません。

議会日程決まる

平成24年第1回広島市議会定例会と、予算特別委員会の日程が決定しました。
 主な議題は、平成24年度の当初予算と23年度補正予算です。いずれも、議会初日の2月14日に松井一實市長が提案します。

 日程は次のとおりです。

2月14日 本会議初日
2月17日 本会議総括質問
2月20日 本会議総括質問
2月21日 本会議総括質問
2月22日 常任委員会(消防上下水道、文教、建設)
2月23日 常任委員会(総務、経済環境、厚生)
2月24日 本会議平成23年度関係議案議決 予算特別委員会設置

以下、予算特別委員会の日程です。

2月28日 文教関係
2月29日 文教関係
3月1日  厚生関係
3月2日  厚生関係
3月5日  消防上下水道関係
3月6日  建設関係
3月7日  建設関係
3月8日  経済環境関係
3月9日  経済環境関係
3月12日 総務関係(午後1時開会)
3月13日 総務関係
3月14日 総括質疑
3月21日 討論・採決

そして、第1回定例会の最終日
3月22日 本会議 平成24年度関係議案の議決

 以上が議会の日程です。いずれも午前十時開会です。
 本会議は本会議場で、予算委員会は全員協議会室で開催されます。

 私は2月14日の議会初日で、市長の専決処分にかかる報告に対し、質疑を行います。次いで2月22日に消防上下水道委員会で質問します。
 予算委員会では、3回程度質疑に立つ予定です。

 どなたでも傍聴できます。どうぞ議会までお越しください。

2012年2月2日木曜日

人民の反乱

日本をはじめ、米国、欧州各国、アラブ諸国、中国や韓国など世界中でデモが活発に行われています。人民の施政者に対する抗議行動です。流血の惨事となることもありますが、人民に賦与された権利といえましょう。

 日本史上、人民が立ち上がった抗議行動といえば、大正7年に起こった「富山の米騒動」が有名です。富山県魚津の女性が、値上がりする米の船積みを拒否することに端を発した抗議行動です。これは普通選挙法の実現につながります。
 
 また、江戸時代や明治初期は、全国各地に一揆が勃発しました。

 明治時代、日露戦争の講和の内容に不満を持つ人民が、実力行使に出て交番や御用新聞を焼き討ちした「日比谷焼き討ち事件」も有名な抗議行動ですです。
 そして明治時代最大の騒乱は、生活困窮に陥った埼玉県秩父の農民が、自由民権運動の中心であった自由党員と一体となった「秩父事件」です。秩父地方は、人民によるコミューンが成立したのです。

 江戸時代に起こった人民による反乱の筆頭は、「島原の乱」です。
 江戸時代初期、三代将軍・家光の治世でした。飢饉に困窮した島原・天草の農民は、島原城を攻撃し、ついで原城に入城しました。その数なんと3万7千人。島原藩・天草藩の兵ではとてもかなわず、老中・松平伊豆守は直属軍12万人を動員し、さらにオランダの戦艦の出動を依頼。陣頭指揮を執り、4ヶ月の籠城戦の末にようやく落城させました。

 農民は3万7千人が全滅、幕府軍も1万2千人が戦死しました。関ケ原の合戦以来の大戦争だったのです。以後、幕府は武力で弾圧することを止めることになります。

 いずれの反乱も、生活困窮や施政者に対する大きな不満が原因です。大きなエネルギーとなって、その時代の施政者の政策変更にもつながりました。

 江戸時代、一人の農民がやりを取って幕府に立ち向かいました。現代の一本のやりは、一枚の投票用紙です。有権者のみなさんが持っている一票が、時の政権の政策変更をもたらし、さらには政権交代につながるのです。
 昔は血を流して勝ち取った政策変更が、今は一票の投票行動で勝ち得ることが出来るようになりました。先人の努力の賜物と思います。

 松井市政も市民の声を聞くと言いながら、私を初めとする市議会議員の質問に直接答えようとはしません。
 人民の代表である議員をないがしろにする施政者の命脈は、長くはないと思わざるを得ません。

2012年2月1日水曜日

ノロウィルス

先日、広島市南区の皆実小学校で食中毒が発生しました。参加した5年生99名のうち、54名が下痢や嘔吐を発症しました。参加した保護者や教員も発症したそうです。
 その件で、教育委員会の健康教育課長と健康福祉局の食品保健課長が説明に来ました。

 説明によると、5年生が授業時間を利用してPTC活動として餅つきをしたそうです。学校医からの報告を受け、食品保健課が調査した結果ノロウィルスによる食中毒と判明。餅つきの時に食べた餅に、ウィルスが付着していたと考えられました。

 子どもたちや保護者のみなさん、そして先生方に心からのお見舞いを申し上げます。1月31日時点では、子どもたちも軽快して終息に向っています。
 しかし、症状は軽症ではあったものの、拡大範囲を考えれば大きな食中毒と言えましょう。

 ノロウィルスはヒトの腸管に存在し、糞便から体外に放出されます。ノロウィルスを持った人が排便の後に手をしっかり洗わなければ、手にウィルスが付着します。その手から物や別の手などを介して拡大します。特に冬は流行の季節です。
 便1グラム中に、10万個のノロウィルスが存在します。人体に感染して下痢や嘔吐を発症するには、わずか10個のウィルスで十分だそうです。なんと恐ろしいウィルスではありませんか。
 一番の予防は、充分な手洗いです。排便の後や調理の前、そして食事の前です。

 食品保健課長は、こう説明しました。

「昨年の秋から、毎月1回注意を喚起する文書を市役所内の18部署に送っています。」

 教育委員会の健康教育課にも、その文書は送られていました。そこから各学校、幼稚園へ送付されていました。その文書を何通か読みましたが、「ノロウィルスを防ぐこと」「手洗いを励行しよう」と、どの文書にも書いてありました。
 その1枚に、手洗いの手順を6枚の絵で示している文書がありました。その中で気づいたことを食品保健課長に話しました。

「この絵は良く描けています。ただ、右手を使って左手を洗う絵しかないです。この通りにすると右手は洗わないが、それで良いのですか。絵の下に、次に右手を洗うと、書いたほうが良いのでは。まあ、ひねくれた人しかこんな指摘はしないでしょうね。」

 すると課長は答えました。

「はい、ひねくれた人くらいしか、こんなことは言わないでしょう。」

 こんな議員には付き合っておられんわ、という表情が垣間見えました。

 私はこう言って切り返しました。

「私が新米の外科医のころ、手洗いの手順を習いましたが、まず利き腕(以後右手)から洗えと教わりました。左手にブラシを持って、右手をごしごし洗え。そのあと右手にブラシを持ち替えて左手をごしごし洗えという手順です。
 その理由は、最初に洗う手はゆっくり丁寧に洗い、次に洗う手は少し雑に洗う傾向にあるからです。
 特に、右手を使って洗うと洗いやすいのできれいに洗えます。左手で洗うと力が入りにくく、洗いにくくなります。だから最初に左手を使って右手を洗うと、ゆっくり丁寧に洗うことになります。右手も左手も均等に、綺麗になるのです。」

 二人の課長は、この話は初めて聞いたと言いました。食中毒の注意を喚起するお知らせに活用したいと言っていました。

 ノロウィルスもインフルエンザも、予防はせっけんを用いた手洗いです。みなさん、面倒くさがらずに手洗いしましょう。まず左手を使って、右手を洗ってください。左ききの人は逆ですよ。