2009年12月30日水曜日

恐怖の道路工事

 年末の挨拶周りも一段落しましたが、はっとするようなご意見やご要望を聞くことがあります。先日、江田島市に住んでいる知人からこんな話を聞きました。
 知人のお母さんが急病で倒れ、救急車で県立広島病院に搬送することになりました。フェリーで広島港まで着きましたが、現在建設中である広島南道路の地上部分(これは海岸通と呼ばれています。)に入った途端、渋滞で一歩も前へ進めなくなりました。
 一刻を争う病状に知人も救急隊員も気が気では無かったそうですが、パトカーの先導によりようやく病院に到着し一命を取り留めたそうです。
 
 道路工事は国交省広島国道事務所の管轄です。この件について説明を求めると、中年の共同溝課長と若い建設監督官がやってきました。
 救急車が通った日は12月16日は確かに片側1車線しか通れなかったが、説明に来た12月25日は片側2車線で広くなっているから大丈夫だという説明でした。「完成予定の22年4月まで狭くなることは無いのか」と問うと、1月4日から1月末日まで再び片側1車線ずつになるとのことでした。
 
 「工事で狭くなることを誰かに言うことになっているのか」と聞くと、所轄の消防署と警察署に報告が義務づけられているという答えでした。その場で消防局の救急部長に聞くと、そんな話は聞いていないと正直に答えました。
 部長が所轄である南消防署に聞くと、6月に道路工事の話は聞いていたとのことでした。その情報は、広島市内のすべての消防署に情報を流したそうです。
 その一方で、江田島市などの近隣の市町へは伝えていないとのことでした。広島市の救急車は工事現場の渋滞を迂回して進むことができます。しかし、他の市町の救急車は知らずに渋滞に突入してしまい、この度のようなことになるのです。
 
 工事の時期と車線の数が変わる事については、市の南道路担当課長も知りませんでした。国も市も広島市内の道路工事をやっていますが、お互いにどこでどんな工事をやっているかは秘密にしているとしか言えないほど、それぞれが勝手にやっています。
 消防も、市の消防車や救急車だけが円滑に走行できれば良いと思っています。他の市町のことは知ったこっちゃないという様子です。
 万一、事故が起きたときには、みんな「私のせいではありません。」と口々に言うでしょう。
 
 1月4日から片側1車線で工事が再開されますが、何かトラブルが起きないか心配です。
 このようなことは二度と繰り返してはならない出来事であり、待避のための路側帯を確保するなど、手段を講ずれば防止できることだと思います。それにしても、その救急車に乗り合わせていたらと思うと、恐ろしい気持ちでいっぱいです。

2009年12月27日日曜日

時間

 朝日新聞の26日付けのコラムに「時間」について書いてありました。幕末から明治の初めに欧米からやって来た「お雇い外国人」を悩ませたのは、時間にかまわぬ日本人の習慣だったそうです。「呆れるくらいの悠長さだ」とあるオランダ人は語っています。
 
 そんな日本人でしたが、今では時間に対してとても几帳面になりました。これは、時計の普及と鉄道の発達がそうさせたそうです。幕末の日本人は時計など持っていませんので、待ち合わせに遅れることも、またそれを悠長に構えるのも当然だったと言えましょう。
 
 ところで私には時計を持っていない友人がいます。いつも10時に待ち合わせるのですが、彼は待ち合わせの時刻から、きっかり5分遅れてやって来ます。おそらく彼の体内時計は、明石天文台で刻む日本標準時からきっかり5分遅れて時間を刻んでいるのでしょう。
 
 朝日のコラムを読んで、私には彼が大変几帳面な人物に思えてきました。それで待ち合わせ時刻を10時5分に変えましたが、きっかり10時5分に来るかどうかは微妙なところです。
 しかし、何時何分に来たとしても気にならない悠長さをもてるようになったと思います。

2009年12月25日金曜日

壇ノ浦



                                     
 今読んでいる本は、岩波新書の「平家の群像」です。平家の公達の中でもイケメンの平維盛(これもり)と平重衡(しげひら)を取り上げています。重衡は清盛の五男、維盛は清盛の長男重盛(しげもり)の長男です。大河ドラマ「義経」では、維盛を賀集利樹、重衡を細川茂樹、重盛を勝村政信が演じました。

 重衡は「牡丹の花の武将」、維盛は「光源氏の再来」ともてはやされました。しかし、二人とも非業の最期をとげています。
 ここでとりあげるのはその二人の話ではなく、小松殿と言われた平重盛です。重盛は聡明で、父清盛をよく補佐し一門の隆盛に大いに貢献しました。残念ながら清盛より早く死亡してしまい、これが平家没落の一因となりました。

 ある会合で、呉市の市議会議員に重盛さんという方と一緒になったので、「ひょっとして平家の一門ですか。」と尋ねたところ「そうだ。」と答えられました。
 そこで「私の姓『松坂』は伊勢の松阪出身に違いないので、伊勢平氏の出でしょう。」と言ったところ、「こないだの戦(いくさ)に勝っとりゃー、お互い議員して苦労せんでもすんどったのにのー。」とおっしゃられました。
 不思議に思い、「こないだの戦たぁ、いつの戦のことですか。」と尋ねると、重盛さんはにやりと笑って「壇ノ浦よね。」と答えました。

 この瞬間、重盛さんこそ正真正銘の平家の末裔と確信しました。900年の遺恨忘れいでか、という気概を感じました。

2009年12月24日木曜日

偶然の旅行者

 昨日の記事のあとの話です。
 
 東京で地方議員の研修会を終えた帰途で新幹線に乗り込むと、臨席は若い女性でした。
 着席するや「電話をかけて良いですか。」と聞かれるので、「どうぞ。」と言いました。。そう言ったあと、私は良いけれど周囲の人は迷惑かなと思っている間に、電話で話し始めました。どうやらバイト先に電話をかけているようでしきりに頭を下げて謝っています。
 お祖母さんが突然亡くなられて、帰郷しないといけなくなったという内容だとわかりました。 電話が終わった時、やはりここは一声かけようと思い、
「ご愁傷さまです。大変ですね。」
とお悔やみを述べると、
「ありがとうございます。」
と返答がありました。
 
 彼女は関東の実家から大学に通っているが、今朝入院中の祖母が突然亡くなったので、中国地方にある祖父母の家まで行くとのことでした。両親も後から駆け付けるという話でした。
 
 もともと九州の出身で、父親の転勤で関東に引っ越したが、最初は言葉が通じなかったとか、今住んでいる所は見渡す限りの原っぱで何も無いところだとか、私は行ったことが無いので行ってみたい、などとたわいも無い話から、彼女の卒業論文のテーマに至るまで多岐に渡りました。女子大生の就職は難しく、彼女もまだ決まっていないということも聞きました。
 
 私は4時間楽しく話したのですが、悲しみにくれていたはずの彼女はどうだったのでしょうか。
 
 最後に4時間相手をしてくれたお礼を言うと、
「ひとりでいると、いろいろ考えてしまうのでお話できて良かったです。」
と言われ、少しほっとしながら新幹線を降りたのでした。

2009年12月23日水曜日

議員年金の問題

 12月21日に、東京で民主党政令指定都市政策協議会がありました。広島市議会議員で民主党員は森本と松坂の2名ですが、幹事である私が出席しました。18市合計で103名の参加でした。会議の議題は、議員年金の問題です。
 
 現在地方議員は報酬月額の16%、広島市の場合99,200円を年金保険料として天引きされています。ボーナス月は7.5%です。市議会議員共済は会員が21,766人に対し、受給者数は61,716人と、1人の議員の掛け金と国庫負担とで3人弱の議員OBの年金を賄っています。議員の掛け金と国庫負担の割合は、6対4です。
 平成14年と18年に、議員負担の引き上げと給付の引き下げを行いました。しかしすでに破綻しており、積立金は23年度に枯渇します。それ以降にどうするかということで、地方議員年金制度検討会が21日に報告書を提示しました。
 
 A案とB案はいずれも、
「年金制度を存続させるが、議員負担と国庫負担は大幅に増やし、給付額は減額する。」
というものです。
 もうひとつは廃止すると言う案です。12年以上勤続の議員は、65歳になったら現行の年金額が支給される。一方12年未満の議員は、掛け金総額の64%を一時金で受け取ると言うものです。
 
 幹事会や総会では、もっぱら勤続12年を過ぎた議員団長のような人たちが次々に立って、
「3つの案には反対で、国庫負担を大幅に増額して存続させよ。年金制度が無くなれば若い議員の生活設計はどうなるのか。」などと発言しました。 
 
 そんな中、京都市の一期目の若い議員が、「沈み行く泥舟から、早く降ろして欲しい。私は、議員年金が欲しくて議員に出たのでは無い。」と意見を述べました。
 
 その後、会長が急きょ幹事会を再招集しました。しかし、千葉市の1期目の議員が、「民主党政権のもとで新しく生活保障年金に組み込まれるのだから、議員年金も新しい制度の中で考えるべきだ。」と発言し、あくまで現行制度を存続させようというベテラン議員と意見を異にしました。いずれも勇気あるひとことです。 
 私自身のの意見も、この京都と千葉の議員に近いもので、さっさと廃止すべきだと思います。それでも、受給資格のある人たちがいなくなるまで公費負担は引き続きます。しかし、どこかでおしまいにしないと国民の理解は得られないものだと思います。

2009年12月21日月曜日

映画の映像

 議会が済んだので久しぶりに映画に行きました。本当に久しぶりでした。観たのは「ゼロの焦点」です。松本清張が金沢を舞台に書いた推理小説を映画化したものですです。戦中戦後の暗い世相を背景にしていましたが、連続殺人を題材にしているとは言え、映像が恐ろしすぎました。犬童一心監督の演出はややオーバーでしょう。
 
 その一方で、優れた映像美を感じたのは女優さんのアップです。広末涼子・中谷美紀・木村多江の3人が、アップ、またアップ、とにかくアップの連続で、それはそれは美しい映像でした。原作を読んでおり、ストーリーは分かっているので、ひたすらスクリーンを見つめていました。
 特に中谷と木村の演技には、以前見た「嫌われ松子の一生」や「ぐるりのこと」で感動していたこともあり、ついつい二人に見とれてしまいました。二人が夜、車で走りながら前の座席と後で会話するシーン、中谷が車を停めて木村を殺そうとするシーンで、語る側がアップになるのです。ここが映画のクライマックスだったと思います。
 
 ちょっと気付いたのですが、広末は鼻梁の線が途中から角度が上向きになっていることを発見しました。女優さんの顔というのは、どこか他人と違った特徴があり、そこにチャームポイントがあるのでしょう。
 3人とも旬の女優さんで、今後も良い作品を見せてもらいたいなと思います。

2009年12月20日日曜日

議会の最終日

 12月議会は18日をもって終わりました。最終日は市長の提案と、議員提案による意見書を採択するかどうか議員が判断します。
 
 まずは、提案者の市長や議員が提案理由を説明します。質問がある議員は市長や議員に対して行います。提案に反対の議員は、反対討論を行い反対理由を述べます。一方賛成の議員は賛成理由を述べます。それから採決をとり、出席議員の過半数をもって可決とします。採決は原則として起立で行います。誰が賛成で誰が反対かが一目で分かります。 
 しかし、反対討論をせずに反対されると、どんな理由があって反対したのかが分かりません。
 
 来年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議での「ヒロシマ・ナガサキ議定書」採択に向けた意見書案について、自民党・新政クラブと政和クラブ(自民党系)が反対しました。核兵器廃絶を目指す手順を示した議定書の趣旨に反対するということになるのですが、反対討論はありませんでした。つまり反対した理由は不明のままなのです。
 
 どうも議会が言論の府という意味を理解していないようです。他の議案でも、4人会派のうち3人は賛成しましたが、1人だけ反対しました。この議員も反対の理由を述べなかったため、何を考えているのかさっぱりわかりませんでした。
 
 近年になって、ちゃんと討論をして反対や賛成の理由を議事録に残そうという議員が増えてきました。一方で、討論せずに理由無く反対してきた議員や、討論の大切さも分からずバッジを着けた議員が存在し続けているのも事実です。

2009年12月18日金曜日

どうでもよい事

 今日は、所属する厚生委員会が10時から開会されました。まず健康福祉局、ついで子ども未来局から12月議会に提案された議案について提案理由の説明がありました。次は議案に対する質疑です。
 
 私は真っ先に、市の施設である老人いこいの家など、指定管理者がこのたびの選定で変更になった理由を質問しました。これに対し健康福祉局は、「今の管理者よりも新しい応募者のほうが良い提案をしてきたからだ。」と答えました。確かに、市の外郭団体が役所と同じ意識で漫然と管理するよりは、新しい風が通ったほうが良いとも言えます。
 
 しかし、「今の管理者を指導してきたのは健康福祉局ではないか。良い指導をしていれば市民サービスも向上してきたはず。新しい応募者におめおめ敗れることは無かったのではないか。」との問いには、「これからは十分注意して指導していく。」とそっけなく答えました。
 
 施設の指定管理者がどうなろうと知ったこっちゃ無いという意識が丸見えで、指導したり監視したりという手間のかかることはやっていません。市民がどれだけのサービスが受けられるかは、選定された団体や業者の自己努力にかかっています。
 つまり、役所にとっては団体が何をしようが、市民がどんなサービスを受けようがどうでもよい事なのでしょう。
 

2009年12月17日木曜日

新聞に取り上げられました

 15日一般質問に立ち秋葉市長に6項目に渡り質問しました。そのうちの1問について中国新聞が16日の朝刊の第3面で取り上げています。すでにお読みいただいた方もおられると思います。
 
 11月13日のブログで詳しく記載していますが、松山市でおこなわれたデパートなどの商業施設での期日前投票所を、広島市でも設置してはどうかと聞いたところ、市選管は各区選管と調査研究をするという答弁でした。設置の目的は若年者の投票率の向上です。
 
 市民の方から、松山市の商業施設や長野県のJR松本駅に期日前投票所が設置された、という情報が寄せられたので、調査を始めました。多くの市民が選挙や期日前投票に高い関心を示し始めたことが、便利な場所に期日前投票所を設置することになったと思いますし、新聞記事にも取り上げられるほどの旬の話題といえましょう。
 
 情報をお寄せいただいた市民の方に感謝したいと思います。また、広島市の8区すべてに期日前投票所を設置し、たくさんの方々に投票していただきたいと思います。

議会で質問しました


 今日15日、広島市議会本会議が開かれました。私は10時から一般質問に立ち、秋葉市長に6項目に渡って質しました。多くの皆様に傍聴に来ていただきありがとうございました。
 秋葉市長は、文化と観光について答えました。広島城中堀跡から発掘された鯱形の金箔瓦は、毛利輝元が築城した安土桃山時代の貴重な出土品です。この瓦の展示と併せて、来年の秋に輝元の展覧会を開くことになりました。
 また再来年の2011年は、輝元が去ったあと広島に入城した、福島正則の生誕450年に当たります。これを祝うための展覧会を開き、5月のフラワー・フェスティバルには武者行列を繰り出すことになりそうです。
 そして広島の歴史をひとつのパッケージとした観光資源と捉え、旅行会社へ展覧会を盛り込んだ旅行の企画・販売を働きかけていくことになりました。
 
 広島といえば被爆都市や平和都市のイメージが強く、広島市も平和学習のための来広を働きかけてきました。しかし、第二次大戦以前の広島の歴史についても、もっと顕彰し観光資源として活かすべきだと思います。
 歴女という流行語がベスト10に入ったように、現在は大変な歴史ブームです。輝元や正則をはじめとして、多くの先人を顕彰することにより、たくさんの観光客が広島を訪れるよう願ってやみません。


広島市議会のホームページから、動画でご覧いただけます。

2009年12月13日日曜日

12人の怒れる男-------------裁判員制度

 少し早いですが、年末のご挨拶に回っています。そこで話題に出たのが、裁判員制度です。

「うちの会社の人間も選ばれそうになったんだ。」
「選ばれたらと思うとドキドキするぜ。人を裁くって。」
 
 ちょっと待ってください。どうも皆さん真面目に考えすぎなのではないでしょうか。
 そこで紹介したいのが、ハリウッド映画「12人の怒れる男」です。アメリカの陪審員制度をうまく表現した映画です。大学の法学部の教材に使われたのですが、陪審員制度では陪審員の評議が一致しないと、陪審員は交代することになることが描かれています。
 殺人の疑いで逮捕された少年を陪審員が一室にこもって評議するというストーリーですが、最初に表決を取ると11対1で有罪が多数です。このときそれぞれどちらにしたか、ひとりずつ理由を話します。野球好きの陪審員がいて理由を話します。

「なんてったってあのガキは死刑だ。さっさと終わっちまおうぜ。今日はヤンキースの試合があるからな。」
 
 その後、無罪を主張する陪審員がひとりひとり説得して行き、無罪に変えていきます。無罪が多数になると、ヤンキースファンの陪審員は無罪へと意見を変えます。有罪を一貫して主張する陪審員が、彼をなじります。すると彼は、

「有罪だろうと無罪だろうと俺の知ったこっちゃねえ。俺は早く野球に行きてえんだ。」

 当然彼は他の11人から呆れられます。しかしこの男も立派なアメリカ国民であり、選ばれた陪審員なのです。12人いれば、こんな人間が1人いても不思議ではありません。
 
 この男を見習う訳にはいきませんが、様々な日本国民が裁判員として選ばれます。無理に堅苦しく真面目な人間を演じるのではなく、肩の力を抜いて自然体で参加してもらいたいと思います。
 

2009年12月12日土曜日

児童相談所の中での教育

 広島市の児童相談所には、虐待された子どもたちを保護する一時保護所があります。定員は20名で、小学生と中学生が6割をしめます。
 しかし10月30日のブログにも書いたように、子どもたちの勉強時間は実質週3日1時間ずつの、計3時間です。一般校へ通う子どもたちと比べれば、教育の機会は大いに損なわれていると言わざるを得ません。
 
 この問題を11月2日の決算特別委員会で取り上げた結果、児童相談所が教育委員会生徒指導課と協議し、勉強時間が格段に増えることになりました。午前中は40分の授業を3コマ、午後は同じ敷地内にあるふれあい教室東。これは不登校の子どもたちが通う教室ですが、そこに通って90分勉強します。合計すると、週に15時間ほど勉強できることになります。
 
 何かともったいつけて動きの鈍い教育委員会ですが、生徒指導課はひきこもりの子どもたちへの対策で5年以上も協議しています。そのこともあり、私の主張を素早く理解してくれたと思います。
 あとは、教育の内容です。一時保護所の先生も、ふれあい東の二人の先生も、中学校の教員免許を持った先生です。子どもたちの半分以上は小学生ですから、やはり小学校の教員免許を持った先生に教えてもらいたいなと思います。中学生の場合は、専門教科の先生に教えてもらいたい。
 
 一時保護所から家庭に帰るにしても施設に入るにしても、また学校に通うことになります。その日に備えて一時保護所でしっかり勉強して学力を身につけて、楽しい学校生活を送ってもらいたいと思います。
 今までの辛かった日々を忘れるくらい、楽しく過ごして欲しい。心から願ってやみません。
 

2009年12月11日金曜日

健康管理を競う

 12月議会もいよいよ11日から3日間一般質問が行われます。私の質問する日は、15日(火)午前10時に決まりました。
 
 先日6つの質問項目をご紹介しましたが、事前の打ち合わせに時間を掛けているのは、「職員、教員の健康管理」です。広島市では5つの部局ごとに任免権者が違います。つまり健康管理の方法も5通りあり、5名がそれぞれに答弁します。
 
 市長部局は常勤産業医が配置されているものの、復職職員への面接はありません。水道局は基町庁舎の職員は手厚く処遇されているのですが、高陽浄水場は職場巡視も面接もありません。消防局は、産業医が職場巡視するものの面接はありません。病院は巡視、面接とも産業医が行っています。しかし、ひと月の間に全く休みが取れない職員に対しては、産業医はノータッチです。
 
 教育委員会はそもそも産業医がいません。そのため休職者が職場復帰しても、学校現場での配慮が全くなされず、巡視も面接もされていません。そのため40歳代の教員の死亡退職は毎年数例見られますし、2度、3度、4度・・・と、長期休職に追い込まれてしまうのです。
 
 消防局の職員課長に、「職場巡視に行くなら、その職場にいる復帰職員の面接をしなさい。」と強く言うと、職員課長はすぐに産業医と面談し、巡視と面接と併せて行うことになりました。 面接をしない市長部局よりは、消防局が充実したことになります。
 
 どの部局にも言えることですが、健康に対する重要性をもっと認識してもらいたいものです。
 健康管理について5つの部局で競うのが悪いとは言いませんが、市全体を統一した方法で健康管理を行うべきではないかと思います。
 

2009年12月9日水曜日

事業仕分け

 事業仕分けは、流行語になるほどの注目を浴びています。
 
 事業仕分けとは、ワーキング・グループに所属する国会議員・首長・民間人などが、平成22年度の予算編成に向けて、各省庁の役人から聴き取りを行います。
 これを公開のもとに行い、テレビでもワーキング・グループのメンバーが激しく役人に迫っていた場面をご覧になったと思います。その結果、たくさんの項目が廃止もしくは見直しといった結論に至っています。
 
 一方、陳情のスタイルも変化しました。今までは、地方自治体や業界団体が直接各省庁に陳情していました。民主党政権の下では、要望を県連でとりまとめて党本部の幹事長室に送り、その後各省庁の大臣・副大臣・政務官で協議し、内閣で決定することになりました。
 
 12月5日に広島県連での第1回地域主権委員会が開かれ、私も委員の1人として出席しました。仕分けの内容については、ここで詳しくは触れません。しかし、各総支部の支部長である衆議院議員が、地域団体や自治体の要望をしっかり集めていました。よく活動しています。
 
 予算編成や陳情の方法は大いに変わっています。始まったばかりですが、世の中が変わっていくきざしが感じられます。

2009年12月5日土曜日

課長は絶句した

 12月議会に向けて質問の準備をしておりますが、広島市の教員と職員の人事管理について、早速やりとりを始めました。今日12月3日に私の部屋を訪れたのは、人事課長、福利課長、職員健康管理担当課長、そして教育委員会の服務・健康管理担当課長です。病気で長期に欠勤した職員と教員について、復職後にどのような配慮がなされるのか議論しました。
 
 職員については、産業医も含めて本人と人事課の職員とで復職後の配慮事項が決定され、その内容は人事課と本人と直属の課長に文書で知らされます。課長は労働安全衛生法上の配慮義務がありますから、配慮事項を守らなければなりません。
 
 では、本人が別の部署に配置換えになったとき、どうなるのでしょうか。
 
 10年前は、配慮事項を次の課長に知らせなかったため、外勤をさせてはいけない職員を炎天下で働かせ、病気にさせた課長もいました。このようなことは繰り返されてはなりません。私は7年ほど前の予算特別委員会で、配置換えになった職員については、配慮事項を新しい課長に申し送ることを答弁させました。
 
 この引継ぎは、今もきちんと申し送られているのかとの問いに、人事課長は、「そんなことがとりきめてあるのですか。」と発言しました。「これは、予算委員会の議事録に残っています。前の人事課長は、こんな大事なことをあなたに申し送らなかったのですか。」とたずねると、「議事録を調べます。」と答えました。 
 詳しく調べた結果、議事録には記載されており、引継ぎも実際にされていると言うのです。「引継がれていることを誰に確かめたのですか。」と聞くと、課長は、「引継ぎ先の課長に確かめました。」と答えました。 
 そこで、「職員本人には聞かないのですか。」と聞くと、課長は絶句しました。そこで、続けて「配慮されるべきは、職員本人ですから本人の立場に立って健康を守るのが、人事課の仕事ではないのですか。本人にも聞いて下さい。」と意見をする、というやりとりとなりました。
 
 教育委員会については、もっと深刻です。そもそも復職審査から産業医が参加していない、非常に心細い審査になっています。配慮事項の遵守も、校長と教員本人とで決めるといういい加減なものです。ましてや転勤先の校長は、配慮事項についてなどは全く知らされていないと思われます。
 
 人事管理については10年かけて議論し、地道に改善に努めてきました。しかし、人事課長の発言を聞いて、ふりだしに戻ったと感じざるをえませんでした。
 

2009年12月3日木曜日

いよいよ12月議会です

いよいよ12月の定例議会が、1週間後から始まります。 
日程は
12月8日(火)・・・・・・・・・・・・・・市長の提案理由の説明
12月11日(金)14日(月)・・一般質問
12月15日(火)・・・・・・・・・・・・一般質問と、議案に対する質疑
12月16日(水)17日(木)・・・常任委員会の審査
12月18日(金)・・・・・・・・・・・・最終日。議案に対する討論と採決

となっています。

 市長の提案は、補正予算から条例案、副市長の人事などに及び、いずれも最終日に採決されます。

 私は、15日(火)に一般質問に立ちます。30分質問し、市長以下各局長が30分答弁し合わせて
計60分のやりとりです。その項目だけ紹介しますと、

1.交付税
2.子どもの権利と児童相談所
3.出島産業廃棄物処分場
4.選挙事務
5.広島市の職員と教員の健康管理
6.文化と観光

の6項目です。
詳細はあらためて紹介します。

また、17日(木)の厚生委員会でも質問します。
15日、17日ともに午前10時からの開始です。
どなたでも傍聴できますので、お越しいただければ幸いです。

友達

 このブログのタイトルは「坂」、これは松坂の坂から取りました。したがって先日NHKであったドラマ「坂の上の雲」とは関係ありません。
 
 「坂の上の雲」の主人公のひとり正岡子規は、おせっかいで面倒見が良く、いつも多くの友人に囲まれていました。いち早く、野球を導入しクラスメートと一緒に始めています。親友の中には、文豪夏目漱石、俳人高浜虚子、河東碧梧桐、画家の中村不折らがいました。、巨人といわれている南方熊楠は同級生です。
 
 ところが子規は、20歳代で結核にかかりました。当時不治の病と恐れられていた結核は、みな患者に対して接触しないよう努めたものでした。しかし、夏目漱石は松山で子規と同居し、そこで俳句を学んだそうです。
 
 子規の結核はさらに進行し、脊椎カリエスにかかりました。カリエスは痛みが強く、骨は侵され立てなくなりました。しかし、寝たきりになっても、子規のもとには毎日友人が訪れたといいます。時には闇なべパーティーなどもやったそうです。大福を口にした友人が悲鳴を上げたのを、子規も皆と共に大笑いして、束の間ですが痛みを忘れたそうです。
 
 私には、車椅子で生活している同級生がいます。彼のために・・・というよりも、彼をだしにして二か月ごとに同級生で会う機会を作っています。高校時代の秘話が明かされることも多く、みんな大笑いのうちに3時間が過ぎます。本当にあっという間です。
 
 何の遠慮も無く語り合える友人は、何よりも大切な宝物だと思います。