2014年9月28日日曜日

バリアフリー

9月27日は、友人の付き添いで神戸まで放射線科の学会に行ってきました。

 新幹線での往復で、駅の構内では駅員の方が乗車まで友人の車いすを押してくれました。      
 新幹線に乗る際は車掌さんがホームに出て、多目的室まで押してくれました。多目的室は二人がゆったりすごせる広さで、トイレも友人が一人で用を足せるだけの広さがあり不便は無かったそうです。

 新神戸駅からは車いすのまま乗り込める介護タクシーを利用しました。運転手さんが車いすに乗った友人を車内に乗り込ませてくれました。  

 10分ほどで学会会場です。そこからはわたしが車いすを押す役目です。
 友人が受付をすませ、講演会場に入りました。部屋の両サイドは通路として広く取っており、通路のすみに車いすを止めて受講しました。
 三つの講演あわせて3時間半ほどでした。X線やMRIの画像などが映され、わたしにもなじみのある講演でした。
 友人が聴講したい講演もすべて聴くことが出来、満足した様子でした。

 ただ、会場であるホテルのトイレは旧式でした。車いす用の多目的トイレは無く、通常の個室トイレを二部屋ほど車いす用に改造したものでした。便器の長軸方向と部屋の長軸方向が平行に設計されていたため、車いすから便器の上に移ることが出来ず、たいへん困ったと言っていました。
 しかも、狭い男性トイレの一番奥に設置されていたので、トイレが空くまで待っていなければなりませんでした。

 新幹線が広島駅に着き、新幹線口に介護タクシーが待っていたのでほっとしていると、友人が一言。

「介護タクシーの乗り場に屋根を付けてくれ。」

 その日は晴天でしたが、たしかに雨の日であれば友人もわたしも運転手さんも雨に打たれながら車いすを車内に乗り込ませたことでしょう。

 一般のタクシー乗り場には立派な屋根が付いていました。このようなことは、誰かが声を出さないとそのままなのだと思いました。

西高校の卒業式

 9月28日の日曜日は、広島県立西高等学校の前期卒業式でした。
 西高校は、広島県の西部にある通信制の高等学校です。

 通信制とは「自学自習」を基本として学ぶ学校です。学習は授業・レポート提出・試験からなり、所定の単位数を獲得すれば卒業資格を得ることができます。
 仕事の都合により午前のみ履修する、体調の関係で午後からのみ履修するなどの多様なニーズに応えたカリキュラムになっています。

 広島市立の中学校では、毎年数名の生徒が引きこもりの状況になります。その引きこもりから脱するために家族や教師と進学を考えますが、通信制の高校に進学する生徒が多数います。進学をきっかけに、ひきこもりから脱出するそうです。

 中学校のように毎朝8時半に出かけないといけないのではなく、通信制は自分のペースで時間割を組むことが出来るため、通学することへの苦痛がずいぶん軽くなっているのでしょう。

 28日は7名の卒業生のうち3名が出席していました。
 進学して工学系の仕事に就きたいと挨拶した若者、仕事をしながら通った若者、病気で少し時間はかかったが卒業できてとてもうれしいと語った若者。

 三人とも立派で晴れやかな表情でした。クラスメートや保護者のみなさん、先生方も喜んでおられました。

 ひとりひとり卒業までの年月は必ずしも平坦だったわけではないと思います。しかしそれを乗り越えての卒業です。わたしもこころからおめでとうと言葉をかけました。

2014年9月2日火曜日

延長50回の死闘

 8月31日、延長50回の死闘についに決着がつきました。

 第59回・全国高校軟式野球選手権大会の準決勝、広島県代表・崇徳高校と岐阜県代表・中京高校の一戦は、3対0で中京に凱歌が上がりました。

 一日15イニングを三日間闘って45イニング。さらに四日目に5イニングを闘っての決着です。
中京の松井大河投手は709球、崇徳の石岡樹輝弥投手は689球を投げ抜きました。

 この空前絶後の熱戦は、テレビもラジオも中継しませんでした。残念です。ニュースでほんのさわりが流れただけでした。

 わたしは軟式野球を中学高校とやっていましたので、この試合は非常に気になっていました。もちろん広島県代表である崇徳を応援していました。石岡投手は長髪で、坊主頭がほとんどの高校野球にあってひときわ目を引きました。

 首位に迫ろうとする広島カープと同様に、崇徳の健闘は大規模土砂災害に被災した人たちを勇気づけたことでしょう。おおいに顕彰されるべきだと思います。

 硬式の延長戦の記録は、前身である全国中等野球までさかのぼります。

 1933年(昭和8年)の準決勝は、愛知代表・中京商業と兵庫代表・明石中学の一戦でした。
中京は吉田正男投手、明石は中田武雄投手の投げ合いで、ついに延長25回を迎えました。

 25回表の明石は無得点でした。その裏中京の攻撃、無死一塁からのバントが野選となりました。その後無死満塁となり、一番・大野木のセカンドゴロをセカンドがホームへ高投 。三塁ランナーが生還し中京のサヨナラ勝ちです。

 当時のラジオはこう放送しています。
「二塁セーフ、二塁セーフ」「セーフセーフ。ホームイン。ホームイン。1アルファー対0、1アルファー対0。熱戦25回ついに中京勝ったのであります。」

 25回を超える延長戦は、その後のルール改正のためありません。空前絶後の大記録です。吉田投手は336球、中田投手は247球の熱投でした。

 軟式50回、硬式25回の熱戦は不滅の金字塔と言えましょう。