2010年7月27日火曜日

だまされるということ

 今年は2010年、日本が韓国を植民地にして100年が経ちます。NHKが1910年以降の日韓両国の動きについて、ドキュメンタリー放送を流していました。

 1937年に日中戦争が始まり、日本は朝鮮に皇民化政策を進めました。
 創氏改名や日本語教育の徹底、そして朝鮮人を志願兵として軍隊に押し込み、天皇の軍隊という教育を徹底させました。小学生にも教育勅語を暗誦させ、朝鮮人はすべて天皇の臣民であると信じ込ませました。

 ヤン(梁)さんは小学校6年生の女の子でした。優等生で特に日本語は満点でした。
 ある日、教室に校長と憲兵隊長が入って来ました。二人とも日本人です。
 
 「誰か日本の工場に行って働かないか。高い給料も出る。女学校にも進学させる。」 
 クラスの一人が、「本当ですか。」 と尋ねました。
 隊長は、「天皇陛下のおっしゃることに間違いは無い。」と答えました。

 ヤンさんは、梁川金子(やながわ かねこ)と日本風の名前を名乗り、大阪の工場で働くことになりました。一日10時間働きましたが、給料はいつまでたっても貰えません。女学校への進学も実現する気配すらありません。

 工場の配属将校に給料のことと進学のことを話すと、
「ばかもの、陛下のためこの工場で働くのだ。」とひどく殴られました。
 その時やっとだまされた事に気づき、友人と抱き合って泣いたそうです。父親の反対を押し切って日本に渡りましたが、本当にひどい目にあったのです。

 広島市でも、役所が民間人をだましたことがあります。
 南区の段原土地区画事業にあたって、市の職員が平成1年ごろ地権者に約束していた清算金の金額を、平成10年になって 「そんな清算金の額については、何も言っていない。」 としらばっくれたことがあります。
 住民が支払うことになっていた清算金が、1坪あたり53万円という約束が、何と100万円に変えられていたのです。住民が抗議すると、段原再開発部の向井洋一部長と広谷倉三課長は、「そんな約束はしていない。」と突っぱねました。
 その後、53万円の説明をしていたことは事実と分かりましたが、市は「坪当たり100万円支払って下さい。」と言い続けました。

 住民の人たちは、「あたしら、役所の人がゆうことじゃけ、53万がほんまじゃ思うとりました。」と口々に言いました。段原の住民は、広島市にだまされたのです。

 その後、住民が立ち上がり、市は方針を変え、平成1年の約束が守られた形になりました。しかし、平気でうそをつく役所だと言う不信感は残りました。
 向井部長は私に、「法律上100万円が正しい。過去に53万円と言ったか言わなかったかは、関係ない。」と自説の正しさを主張しました。
 過去の説明と違った説明をして、何が悪いのかと開き直ったように言っていました。
 正直なところ、信じられないおっさんじゃなとあきれてしまいました。
 
 日本に連れてこられたヤンさんのような人たち。
 広島市にだまされて、泣き寝入りさせられそうになった段原の人たち。 
 韓国人は日本政府に、段原の人たちは広島市に、同じ不信感を抱き続けることでしょう。
 
 私たちは、信用される政治を目指さないといけません。
 人をだまして平気でいられるような政治が、許されてはなりません。

2010年7月25日日曜日

白鵬の全勝優勝

 名古屋場所の千秋楽結びの一番。横綱白鵬が大関把瑠都を上手投げで破り、全勝で優勝を決めました。
 白鵬は通算15回目の優勝です。連勝記録も47と伸ばしました。

 今場所はテレビ中継がありませんでした。ニュースで映像を見ましたが、白鵬は勝利の瞬間、感慨無量といった表情で場内を見渡しました。
 しかし、表彰式で優勝旗を受け取るときは泣いていました。その後のインタビューでも、質問に答えながら泣いていました。
 白鵬の胸中は彼にしか分からないでしょうが、うれしくて泣いているのではないと思いました。
 不祥事が一気に噴出した相撲界です。この汚名を挽回するには、自分が土俵で勝ち続けることだ。白鵬の相撲はその気持ちを表していたように思います。横綱が取りこぼしていては、人気の凋落に拍車をかけることになります。最低限の仕事を成し遂げた白鵬は、緊張が解けた瞬間につい落涙したのではないでしょうか。

 相撲界を一人で支える形になってしまった白鵬。相撲界を包む暗雲はまだ晴れておりません。人気の凋落にブレーキを架け、暗雲が晴れる日まで、白鵬にはぜひ勝ち続けてもらいたいものです。

2010年7月20日火曜日

転職

 友人が転職するというので、話を聞きました。なかなか高い理想を掲げての再出発で、こころから応援したくなりました。
 
 かくいう私も、37歳の時に転職しております。医師から政治家を目指しての転職でした。
 患者さん自身の病気は治せても、患者さんの背景にある悩みや貧困、苦悩などが取り除かれない限り、患者さんは本当の意味では健康になれない。医療に従事している時にそう感じており、転職を決意しました。

 よく言われることがあります。
 「医者をやっているほうが、収入もええし良かったじゃろうに。」

 私はこの質問にはこう答えます。 
 「孫文もマラーも大村益次郎も、医者をやめて革命家になりました。彼らが医者をやめて、後悔していたとはとても思えません。」

 孫文は外科医を開業していましたが、外国人に侮られる清朝の惨状に憤り、革命を目指しました。その活動は、辛亥革命から人民中国の建設へと繋がります。

 マラーは、ダントン、ロベスピエールと並ぶフランス革命の三人衆です。ロンドンで開業していましたが、パリに帰り、新聞「人民の友」を発行し、大衆を革命へと扇動しました。フランス共和制のいしずえを築きました。

 大村益次郎は幕末の長州藩士です。医業を修めた頃、長州の桂小五郎から請われて軍事参謀となり、戊辰戦争に勝利。さらに新政府で徴兵制度を導入し、武士という階級を葬ったのでした。近代陸軍の基礎を築きました。

 マラーは50歳、大村は44歳で暗殺されています。孫文は暗殺されたのではありませんが、「革命未だ成らず、」と無念の一言を残し、54歳で病死しています。
 とはいえ、彼らの理想は実現したと言えましょう。

 私にとりましては、「広島市政の改革未だ成らず、」という心境です。
 

2010年7月19日月曜日

佐藤寿人選手

 サンフレッチェ広島のエース・ストライカーは、佐藤寿人選手です。笑顔が魅力的で、試合中のマナーもお手本にしたい好選手です。必死のプレーの中にも、ゆとりを感じるほがらかさです。

 18日の横浜Fマリノス戦も中島選手の先制ゴールの直後、2点目のゴールを決めました。森崎浩司選手が3点目を決めた後、佐藤選手はベンチに下がりました。
 試合はそのまま、サンフレッチェが3-0で勝ちました。
 
 終了後両チームの選手が整列して、メインスタンドに向って挨拶をしました。
 アウエーのマリノスの選手が審判に握手した後、サンフレッチェの選手ひとりひとりに握手を求めました。サンフレッチェの一番端っこの選手のところへ、ベンチから佐藤選手が走ってきて、やって来るマリノスの選手とひとりひとり握手して挨拶しています。ついで佐藤選手は審判の4名とも握手して挨拶していました。試合終了後、最大の礼で相手チームや審判に敬意を表していました。

 この光景は素晴らしく、胸を打つものでした。フェアプレーとはこういう行為を言うのではないでしょうか。W杯に出場したマリノスの中澤選手は、佐藤選手に応えてユニフォームを交換していました。

 最後は満面の笑みでファンに挨拶です。たまりませんね。次の試合も頑張ってもらいたいものです。
 

2010年7月18日日曜日

金子千尋投手

 14日、オリックス・バファローズの金子千尋投手が、千葉ロッテ戦で三試合連続完投シャットアウトで勝利をあげました。1日の楽天戦、8日の西武戦に続いての完封勝ちです。
 これはパリーグのタイ記録で、史上7人目。立派な記録です。

 金子投手は、入団六年目の26歳、今シーズン7勝をあげています。オリックスが混戦のパリーグを抜け出すには、金子投手の活躍が期待されます。
 オリックスは巨人や阪神、カープほどテレビに映るチャンスは多くありません。スポーツニュースなどで金子投手のピッチングやインタビューを見るぐらいです。
 その中で受けた印象ですが、いつも笑顔でニコニコと微笑みながらプレーしているというイメージがあります。微笑むことで余分な力を抜いて、リラックスして投げているのでしょうか。なんとも爽やかな印象ですが、150キロを超す直球が魅力の剛球投手です。

 一方で、歯を食いしばって全力で投げるのがエースというイメージもあります。
 しかし、金子投手にはいつまでも爽やかな笑顔で投げまくってもらいたいと思います。

2010年7月14日水曜日

愚陀仏庵の倒壊


 この写真は松山市にある愚陀仏庵です。以前見学した時に撮影しました。
 文豪・夏目漱石と、俳聖・正岡子規が暮らしていた建物です。街中にあった建物を、山の中腹に移築しました。
 
 この由緒ある建物が、7月12日の集中豪雨で倒壊してしまいました。残念なことです。
 7月14日には九州や中国地方を豪雨が襲い、死者や行方不明者が数人出ています。
 
 自然の猛威は、歴史的建造物も人間の一生も、一瞬にして奪い去ってしまいます。広島市も集中豪雨、浸水対策をとっていますが、なかなか困難な問題です。
 自然の猛威に対策するということは、永遠のテーマと言えましょう。

2010年7月13日火曜日

ワールドカップ閉幕

 サッカー・ワールドカップ決勝、スペインのイニエスタ選手のシュートがゴールに突き刺さり、スペインがオランダを1対0で退けました。スペインはワールドカップ初優勝です。オランダもロッペン選手の飛び出しで決定機をつかみましたが、今一歩及ばず。パスを自在に回すスペインのサッカーが勝利しました。

 初めてアフリカ大陸で開催されたワールドカップですが、成功だったと言えるでしょう。アフリカ大陸に住む人々が、貧困や政情不安の中、苦難を忘れてサッカーに声援を送ったことと思います。
 開幕戦で大会初ゴールをあげた南アフリカ。強豪ポルトガルと五分に闘ったコートジボワール。そしてベスト8に進出し、アフリカの代表として賞賛されたガーナ。
 いずれも強い印象を残しました。

 一方でアジア勢の活躍も目立ちました。
 第1戦で強豪ギリシャを破った韓国。そしてカメルーンとデンマークに快勝した日本です。G20サミットで韓国の李明博大統領は、菅直人首相に「アジアの代表として頑張ってください。」と激励しました。日本、韓国ともにベスト16に進出しましたが、惜しくも決勝トーナメント一回戦で敗退しました。

 アジア・アフリカ勢で、ベスト8に進んだのはガーナだけでした。あとの7チームはヨーロッパか南米でした。
 アジア・アフリカとヨーロッパ・南米には、まだまだ力の差があります。選手の育成に力を注いで、4年後のブラジル大会でも私たちを楽しませて欲しいものです。

2010年7月10日土曜日

ビデオ判定の導入

 FIFAのブラッター会長は、ワールドカップ準々決勝のガーナ対ウルグアイ戦で、ウルグアイの9番がガーナのアディアー選手のシュートを両手ではじき出して失点を防いだプレーに言及し、ルール改正を検討するよう求めました。
 これによりガーナ対ウルグアイ戦で起きたようなプレーは、今後認定ゴールとして得点が認められることになりそうです。
 
 これは当然のことだと思います。これで反則技を使ってゴールを守ろうとするプレーは無くなるでしょう。ウルグアイの9番も、頭や胴体を使ったサッカー本来のプレーで守ろうとするでしょう。

 数日前にブログに書いていましたが、早々とルール改正に及ぶとは、溜飲の下がる思いです。
 他にもイングランドのランパードのゴールが認められなかったり、アルゼンチンのテベスのゴールが実はオフサイドだったり、誤審が続きました。これについてもビデオの導入が実現しそうです。
 
 野球でも大リーグではビデオ判定が導入されており、日本もホームランの判定ではビデオが導入されています。テレビ中継を何台ものカメラで放映するようになった現在、ビデオが判定に導入されるのは競技を問わず当然の流れということなのでしょう。 

 私の好きな相撲にも、ビデオ判定は導入されています。
 
 昭和44年(1969年)3月場所2日目のことです。当時45連勝中の横綱大鵬が、前頭の戸田に押し出されました。
 しかし、立行司木村庄之助の軍配は、戸田の右足が踏み切ったと大鵬に上がりました。ここで物言いが付き、5人の勝負検査役が協議した結果、行司差し違えで大鵬の負けになりました。
 しかし、新聞各紙の写真では戸田の右足が出ており、大鵬の両足は残っていました。
 庄之助は差し違えの責任を取って辞職し、大鵬も途中休場しました。庄之助や大鵬の行動は検査役に対する抗議の現れでした。この判定は世紀の大誤審と言われました。
 
 正しい判定であれば46連勝となっており、双葉山の69連勝に迫っていたかもしれません。

 翌場所、相撲協会は世論の批判に応えて、判定にビデオを導入し今日に至っています。
 当時は判定に機械の導入など「へえー。あの古い体質の相撲界が。」という感じでした。が、今思うと先見の明があったのだと思います。
 今回のワールドカップに先立つこと41年ですから。
 世論に応える姿勢を持った相撲協会はどこへいってしまったのでしょうか。情けないことです。

2010年7月8日木曜日

動くマンション

 今回は6月1日のブログの続きです。
 広島市の条例に基づいて6月1日、9日と続けて開催されたマンションの建築説明会が、7月7日に開かれました。前回と同様に、マンションの近隣の方々と一緒に参加しました。

 前回、隣地の方から 「敷地境界とマンションの外壁との距離が狭い。圧迫感を感じる。」 と指摘があり、業者から今回説明がありました。

 「北側の境界から、外壁の位置を25ミリほど下げます。南側も同様に25ミリほど下げます。合わせて50ミリほどマンションの幅が狭くなります。いかがでしょうか。」
 と、検討結果を示されました。マンション側からすると、大きな譲歩という感じでした。

 しかし、住民の方が「マンションに住む人は、狭く感じるのではないでしょうか。」と素朴な疑問を出されました。
 業者の人が 「たかだか5センチくらい、何のことは無いですよ。」と言ったところ、別の住民から 「入居者にとって5センチくらい大したことは無いのなら、隣地の人にとっても5センチは大したことは無いですよね。」 突っ込まれ、黙ってしまいました。

 また、別の住民の方が「北側の境界と外壁との距離が25ミリほど小さくなるのなら、図面の寸法と違いますね。」と質問しました。

 業者は「先ほどは、南北の境界から外壁をそれぞれ25ミリ下げると言いましたが、実はマンションが25ミリほど北に動いて、南の境界と外壁との距離が50ミリほど広がるのです。」と説明しました。

 すると、別の住民が「30分前には北と南から25ミリずつマンションの幅を狭めるとおっしゃったが、 30分たったら北に動くんですか。動く城とはアニメの話かと思っていたが、動くマンションって実際にあるのですね。」と突っ込みました。

 住民の笑いにつられて、業者の人まで笑っていました。
 以後、このマンションは動くという前提でのやりとりとなりました。

 結局、何点かの要求に業者がまったく応えないため、またしても次回に持ち越しとなりました。

2010年7月7日水曜日

暴力団と大相撲

 先日、ハンドの反則ででウルグアイチームを勝利に導いた選手のことを書きました。
 手でブロックをしていなければガーナの勝利になっていましたが、反則をしたのでウルグアイが勝ちました。ハンドをした選手には退場というペナルティが課せられましたが、終了直前だったこともありチームに影響は無く、チームとしての負けというペナルティはありませんでした。負けたはずが勝ったので、反則をした選手は英雄扱いです。

 これがサッカーというものなのでしょうか。反則に対するペナルティが曖昧なところがあります。

 大いに疑問です。

 反則に対してのペナルティが分かりやすいスポーツ、といえば相撲です。
 土俵から外へ出るか、足の裏以外の部分が地面に付けば負けになります。反則は「こぶしで殴る、足の裏で蹴る、髷をつかむ」 です。これらは即座に負けになります。反則をした力士が勝って英雄になることはありません。

 ところが、その大相撲の世界が大変分かりにくくなっています。それは暴力団との関係です。
 
 野球賭博に関与した力士、親方、床山などが公表され、処分されました。しかし、暴力団との関係は分からなかったという説明です。真相解明に時間がかかるのか、それともこのままうやむやに終わらせるのか。真意がよく分かりません。

 暴力団に切符を売ってもらったり、部屋開設に資金援助をしてもらったり。また日々のお付き合いでごちそうになったり、おこずかいをもらったり。
 長年お世話になった親方や力士たちに、自浄能力は無いでしょう。

 一方で警察に捜査をまかせると、ずるずるといもづる式に発覚し、みんな出場停止となって興行が打てなくなる可能性もあります。
 相撲界全体に対するペナルティも、サッカーのペナルティ同様に、全く分かりにくくなっています。

2010年7月6日火曜日

街頭でビラ配り

 ある日の朝、街頭でビラ配りをしました。白神社前の交差点で7時半から1時間、通勤途中の市民に民主党のビラを配りました。
 横断歩道の向こう側では、候補者がたすきを着けて手を振っています。私以外にも県議会議員や市議会議員が参加しました。
 その日はありませんでしたが、街頭では罵声を浴びせられることがあります。その場は黙って堪えるしかありません。

 若い支援者の方がビラを配っていた時、50歳くらいの男性が食って掛かっていました。離れていたので、何を言われていたのか、内容までは分かりませんでした。
 時間が来たので、終了した後ビラ配りをした人が集まって話をしました。
「別に危害は加えられなかったんでしょ。」
「ええ、別に。」
「なんじゃゆうて、言われよったんですか。」
「朝鮮へ帰れ。ゆうて言われました。」
「へえー。ほいじゃ帰りますか。焼肉食べに。美味いですけー。」 「わしゃー、ビビンパがえーのー。」
「冷麺もいけますよ。」

 罵声の内容は意味不明です。冗談でも言わんとやってられません。

そんなことをしてもえーんかい

 ワールドカップも準々決勝の4試合が終了しました。その第2試合はガーナ対ウルグアイで、
私はアフリカ勢唯一の勝ち残り、ガーナを応援していました。

 90分間では決着がつかず、1対1で延長に入りました。そして延長後半の15分に迫ろうとする試合終了直前、フリーキックからガーナが猛攻をかけました。
 シュート、はね返す。シュート、はね返す。シュート、はね返す。
 ここで審判が笛を吹き、プレーが止まりました。ウルグアイ選手のハンドの判定で、ガーナにPKが与えられました。
 これを蹴るのがガーナのエース・ストライカー、ギャン選手です。ギャンはこの大会でPKを2回決めており、ここは決めてガーナの勝利で終わるものと思われました。
 しかしギャンはこれを外し、引き続き行われたPK戦でガーナは敗れました。本当に残念です。

 リプレイを見ると、延長後半のロスタイムの猛攻で、ガーナの最後のシュートをウルグアイの9番が両手を使ってはじき出していました。まるでバレーボールの選手がブロックしているようでした。
 「そんなことをしてえーんか」と朝の6時に叫んでしまいました。 
 当然9番は一発レッドカードで退場になりました。次の試合も出られません。しかしギャンがPKを外し、PK戦でウルグアイが勝ったため、この選手はチームを救った英雄として讃えられています。

 私には、ルール無用のこの選手を英雄に祭り上げる神経というか、風土が信じられません。どう考えてもフェアではありません。
 そのルール無用のチームの、最も対極にあるフェアなチームが日本だと思います。
 
 日本チームは必ずしも強いとはいえません。しかし、本田や遠藤がオランダやパラグアイのシュートを手でブロックしていたとしても、決して日本では英雄にはなり得ないことでしょう。