2009年11月29日日曜日

自立援助ホーム かんらん舎

 

 福岡に視察に行ってきました。今回は、以前に訪問した子ども総合センター「えがお館」と自立援助ホーム「かんらん舎」です。えがお館の中には一時保護所といって、虐待を受けた子どもたちがすごすスペースがあります。そこから社会の一員となるため、次のステップに進みます。



 そのひとつが自立援助ホームで、中学校卒業から20歳までの間、就労を支援しています。現在16歳から18歳までの男女5名が、スタッフとともに共同生活を送っています。各自がアルバイトをして得た収入から35,000円を生活費として納め、高校に通う場合は月謝も負担しなければなりません。



 スタッフの方々が親身になって就労を支援しておられますが、中卒での就職は大変厳しい状況です。精神的にも落ち着かない子どもが多く、アルバイトも長く続かないということでした。学力不足も深刻な問題だそうです。うどん屋に勤めた子が、うどん一杯のおつりが計算できず、クビになったと聞きました。



 家庭の悲惨な状況で大きくなった子どもたちにとって、社会の風は冷たいと言わざるを得ません。



 広島には自立援助ホームはありません。児童相談所の一時保護所を出た子どもたちが、どういう生活を送っているのか・・・。大変気になるところです。

自主性とは何か

 今日は私が住んでいる町内会のいのこ祭りでした。特に子どもの多い町内会で30名ほどの子どもと、ほぼ同数の大人が参加しました。揃いのはっぴに手ぬぐいを首に巻いて練り歩きます。
 私にも受け持ちがあり、短冊を結び付けた笹竹を持って、「いーのこ、いのこ。」の掛け声と同時に、笹を上下に揺らします。


 子どもたちはみんな綱を引っ張って掛け声をかけて進みますが、1時間もするとだんだん飽きてきます。女の子たちが短冊を見て、書いてある家内安全とか商売繁盛といった文章を読み始めました。
 その相手をしていると笹竹を持ちたいというので、三人の女の子に持たせてやりました。小学校の三年生くらいでしょうか。非常に喜んで、上下させていました。これも飽きてやめるのかと思っていましたが、もう一本の笹竹も持って、二人ずつで二本をわっしょいわっしょいやっていました。


 私は手ぶらになったので楽ちんと思っていたら、会長さんが拡声器を持ってきて掛け声をかけろと言います。歩くときはわっしょいわっしょい、餅をつくときはいーのこいのこ。子どもたちも飽きてきますと掛け声に反応しません。それで私がわっしょいと言って、ひとりの子どもの口のところに拡声器を持っていくと大きな声でわっしょいと言います。つぎつぎと拡声器を向けるとわっしょいと言ってくれます。


 ひとりの男の子が、拡声器を持ちたいというので使い方を教えて持たせてやりました。拍子に合わせてわっしょいわっしょいと、すぐにマスターしました。
 上手いとか、いいぞいいぞと声を掛けながら、わっしょいわっしょいとやっていると調子が出てきました。60人ほどの隊列の先頭に立ってリードして行く姿は、本当にかっこいいものでした。この子は小学一年生でした。


 笹竹の女の子も拡声器の男の子も、11時半までずっと私が割り当てられた仕事を最後までやってくれました。自分でやってみたい仕事は、やってみて楽しかったのでしょう。小さい子どもたちも、やらせれば立派に出来るということを教えられました。

2009年11月28日土曜日

白鵬の優勝

 大相撲九州場所は、横綱白鵬が14戦全勝で12回目の優勝を決めました。これで昭和の名力士、横綱双葉山の通算優勝回数に並びました。しかし双葉山が優勝した昭和11年5月場所から、18年5月場所までは年2場所制でした。年6場所制の現在と比較すると、双葉山は36回優勝したことになります。


 それくらい双葉山は強い力士で、白鵬はまだその領域に達していません。双葉山は11年5月から13年5月まで5場所連続全勝優勝を果たしています。2年以上本場所で負けなかったとは、信じられません。


 その双葉山に立ちふさがっていたのは、横綱玉錦です。玉錦は優勝9回、昭和7年5月から11年1月まで双葉山に六連勝しています。11年の5月場所、横綱玉錦と関脇双葉山が9日目全勝同士で対戦しました。双葉山が低く当たってそのまま押し込み、玉錦が残そうとするのも構わず寄り倒しました。


 この一戦は、覇者交代の一番と言われ、以後玉錦は双葉山に勝つことなく、双葉山は不滅の金字塔69連勝に邁進するのです。


 イメージとして若い頃けんか玉とか、ボロ錦と呼ばれ喧嘩早く、粗暴であった玉錦は朝青龍にイメージが近く、おっとりして相撲の型も右四つの白鵬は双葉山に近いといえますが、双葉山ほど無敵ではありません。もっと力強さを求めたいと思います。


 朝青竜もまだ29歳です。玉錦が横綱になったのは31歳、昇進以降年2場所制のもとで4回の優勝を果たしています。玉錦にならってもっと精進してもらいたいものです。

2009年11月27日金曜日

長崎県のがん対策

 平成20年7月、長崎県がん対策推進条例は全国で5番目、九州では初めて制定されました。昭和60年、長崎県のがん死亡率は全国ワースト1となり、平成 18年までの統計でも常にワースト10に入っています。平成18年6月がん対策基本法成立をうけて、長崎県も20年3月にがん対策推進計画を策定しまし た。そしてこの条例が計画の後押しになっています。
 計画には3つの目標があります。

1・がんによる死亡者の減少
2・すべてのがん患者と家族の苦痛の軽減と療養生活の質の向上
3・離島地域におけるがん診療の向上

の3つです。
 3点目は条例にも「居住する地域にかかわらず等しく医療を受けることができる。」と明記されています。長崎県では、離島地域での医療スタッフの 確保についても昭和40年代から奨学金制度を設け、先進的に取り組まれていました。広島においても様々な制度やシステムの整備など課題が山積みになっていると痛感しました。


長崎県庁の玄関です。



眼鏡橋にも行って来ました。

山口県の観光


「おいでませ山口」
これは山口県の観光キャンペーンの標語です。観光に力を入れている山口県を訪ね、観光交流課の林さんと兼清さんから観光行政について教えてもらいました。
 山口県は平成20年7月から9月にかけてデスティネーション キャンペーンを実施し、この間757万人の観光客を数えました。前年に比べ5.1%増になり、経済波及効果は74億円。最終的には、年間の観光客も2451万人と16万人増加しました。
 キャンペーンの成功を受け、県は平成24年を目標に「年間観光客3000万人構想」をこの10月に策定したばかりです。平成21年も観光は好調で、説明に力が入っていました。
 県内では来訪者が多い順に、下関・山口・岩国・萩の順です。県で発行するパンフレットは、各市町から最新情報を盛り込んで年4回発行します。し かも、シーズンの6か月前には観光施設や旅行業者に配る、というきめ細かさです。訪れる側は、新しい情報をキャッチすることで、旅行がずいぶん輝くと感じ ました。
隣の山口県には、たくさんの魅力があります。もちろん広島県にも、山口県に負けない魅力があります。
これをホスピタリティ(もてなし)の精神で発信して、受け取ってもらう。そうすれば、訪れてくれた人が大いに満足をしてもらえると感じました。

亥の子まつり



 亥の子まつりは、広島の風物詩とも言えるお祭りです。鬼と大夫さんと獅子とが、先に各家々の玄関先に上がります。それに続いて子どもたちが家の前で、石の杵で餅をつく真似をします。
 杵には綱がついており、それを引っ張ったり緩めたりします。この時に、
「いーのこ、いのこ。亥の子餅ついて、繁盛せぇ繁盛せぇ。」
と一斉に声をかけるのです。
 大夫さんは家内安全と商売繁盛を唱えて各戸を回るので、商売の神様である恵比寿さまのお祭りとも言われています。
 私の住んでいる段原でも亥の子まつりは盛んで、この時期には町内会ごとに集まって祝います。毎年、いくつかの町内会の皆さんと一緒に、まつりのひとときを過ごします。
 子どもたちがたくさん集まるので、自然とその親や祖父母の方も集まります。町内をゆっくりと回るので、のんびりした空気の中でおしゃべりして練り歩くことも楽しみです。

自治体議員フォーラム

 先週は土曜日から3連休でした。その初日、広島で民主党自治体議員フォーラムが開催され、中国地方5県から総勢100名が集結しました。以前はどの自治体も自民党系の議員ばかりだったのですが、民主党もようやくここまで人数が揃いました。
 講演のあと、夕方から懇親会が行われました。立食の形式で、テーブルを共にしたのは鳥取県から来られた2人の議員でした。1人は鳥取市議の秋山さん、もう1人は北栄町議の津川さんです。
 私の大学時代、野球部の1年後輩に鳥取県大栄町出身の面白い男がいました。彼は鳥取西高の出身で、彼のことを話すと秋山さんと津川さんからも地元の話題が出てきて、大いに盛り上がりました。
 そのような雰囲気の中で年齢の話になり、津川さんが私に年齢をたずねてきました。私が50だと答えると、何年生まれかと聞いてきました。
「34年の3月です。」
すると津川さんはニヤリと笑い、
「私は2月です。」
と言いました。

「じゃあお兄さんですね。」
と頭を下げると、はっはっはと楽しそうに笑っていました。

 再開を約して別れましたが、とてもいい気持ちになれた懇親会でした。

東京へ陳情に(後編)

 昨日のブログに書いたように、翌日は東京へ行ってきました。午後4時に永田町の民主党本部で行われる、陳情のための懇談会に出席してきました。午前中の広島市議会本会議の終了後、リムジンバス→飛行機→京急→JR→地下鉄と乗り継いで、党本部にたどり着いたのが午後3時45分でした。
 党本部には、各政令指定都市の議員が揃っています。国会議員も20名近く、会議室に陣取っています。広島県選出の菅川、佐藤、空本といった各議員も出席されていました。
 民主党の高嶋副幹事長のあいさつの後、幹事である川崎市の伊藤議員から、政令市の共通課題について要望がありました。次いで懇談にうつり、伊藤議長が
「各都市の個別要望について、特に発言のある都市は挙手をして下さい。」
と言いました。しかし、その「都市は」の言葉が終わるかどうかといったタイミングで、大阪市の議員が「ハイハイハイ!」と挙手をして、構わずにしゃべりはじめました。「フライングじゃないか。」と思わずつぶやいてしまいましたが、「さすが大阪、ここまでしないと発言できん。」と感じました。
 大阪市の質問が早く済んだので、伊藤議員の次の言葉「次の都市の方どうぞ」の、「次の」の言葉を聞いたところで素早く挙手しました。そこで「広島です。」と発言し、何とか当ててもらえました。明るいグレーのスーツも目立っていたので、役に立ったようです。
「NPT検討会議へ岡田外相に出席いただき、2020年までに核廃絶することについてを議題としていただきたい。」
と発言すると、左隣の北九州市の議員が「なるほど。」とつぶやくのが聞こえました。高嶋副幹事長からは、「優先順位をつけて政府に伝える。」と返答がありました。
 予定通り懇談会は午後5時に終了し、来たときと同じように帰路に着きました。広島に着いたのは午後10時でした。1時間の会議に参加するために、11時間を道中に費やしました。自分はせいぜい1分程度しか発言できず、広島より遠方の札幌市、福岡市の議員は発言されませんでした。
 地方分権という言葉はありますが、これではまだまだ遠い先のことだという思いを持ちました。

野球部追い出しコンパ

 東京から戻った翌日、母校である広島大学医学部野球部の、追い出しコンパがありました。医学科は6年生、薬学科や保健学科は4年生が追い出される側として、現役部員やOBから祝福を受ける会です。普段は現役の学生と接する機会はほとんどないので、直接話しをすることができる貴重な会です。
 いまどきの学生はスーツ姿もかっこよく、髪もパーマをかけたり色を染めたりとオシャレです。私が学生の頃と比べて、上品で洗練されています。追い出される5人の学生のあいさつも様になっており、「へーっ。」と感心させられました。
 OBも挨拶をするのですが、学生時代に面白いエピソードをたくさん残したあるOBが立派な挨拶をしました。これにもまた感心してしまいました。そのOBもいつの間にか34歳で、コンパへは久しぶりの出席でした。彼が部屋に入っていた時、見た目が変わっていたので気付かないほどでした。
 追い出しコンパの2時間は楽しくて、いつもあっという間に終わってしまいます。帰ってきたら暖かく迎えてくれる、まるで故郷のような所です。

東京へ陳情に(前編)

 先日のことです。
 東京の民主党本部へ、陳情に行くことになりました。陳情とは、政府や各政党へ政令指定都市の課題について、予算をつけたり政策を実施したりしてもらうよう、お願いをしに行くことを指します。民主党本部には、全国の政令指定都市の議員が一堂に会します。
 私は、広島市議会の大都市財政対策等特別委員会の副委員長を務めており、さらに民主党籍を持つ議員2人のうちの1人です。そこで、広島市議会を代表して民主党本部へ向かうことになったのです。
 広島市の要望項目は6点ありますが、これを1項目に絞る必要があります。どの項目にするのか、出発前日に秋葉市長とも打ち合わせをしました。その結果、来年ニューヨークの国連本部で開催されるNPT検討会議に岡田外相に出席していただいて、2020年までに地球上の核兵器廃絶を目指す「広島・長崎議定書」を、会議の議題に取り上げてもらいたい、という要望について発言することにしました。
 しかし、陳情の席でそのような機会や時間があるのか・・・。あったとしてもタイミングよく挙手して、進行役に当ててもらわなければなりません。

「明日は東京に出てゆくからは、何が何でも勝たねばならぬ。」

 こういう時には村田英雄の「王将」が、頭の中に浮かんできます。
 今まで核廃絶に消極的だった、政府外務省をつき動かさねばならない。決意を固めて東京へ向かいます。

AEDの付いた信号機

 以前、新球場近くの信号機の話を書きました。信号機に関しては「見えづらい。」「右折時間が短い。」などと、相談される機会が少なくありません。3年ほど前ですが、南千田橋交差点の信号は「見えづらい。」と、スタッフから相談を受けました。宇品方面から北上した際に方向を示す矢印信号の右折矢と左折矢で明るさが違い、見えづらく感じるとのことでした。
 
 実際に現場に訪れると、左折矢と右折矢で確かに明るさが違います。右折矢の方が暗く見えづらいため、右折出来るのかどうか少し迷ってしまいました。よく見ると、左右で違う種類の信号機がついていました。
 これを市の道路交通局に伝えたところ、警察署から出向してきた課長補佐が出てきて
「元々は右折信号のみだったんですが、要望があったので左折信号を増設したのです。それで左右で明るさが違うんです。今は予算もないことだし、見えてるんだから、まだ改修しなくていいでしょう。」
とのこと。信号機の改修はひとまず見送られることとなりました。

 最近その交差点を通ると、信号機が改修されていたことに気付きました。このことを相談してくれたスタッフに伝えると、見えづらかった場所なのでよかったですと喜んでいました。私が

「AEDになって見えやすくなっていましたよ。」
と言うと、スタッフは冷静に

「心臓が止まりそうになるほど変わったのですか。」
と、ツッコミを入れてきました。

 信号はLEDになって見えやすくなっています。

2009年11月24日火曜日

市政ニュース

市政ニュース

2009年11月16日月曜日

えん罪事件

足利事件という、女児殺害の事件がありました。犯人とされた容疑者のDNA鑑定をやり直してみると、別人のDNAであることが判明し、無実という結果に なりました。福岡県の飯塚事件でも、同様にDNA鑑定が誤りである可能性が生じましたが、それは被疑者は死刑に処せられた後でした。

 マスコミは、いかにもこの人物が犯人だなどと断定した報道をします。警察も、事情を聴く前に警察署に連れていきます。なにもしていない人が痴漢 容疑で逮捕され、拘置所に入れられるというえん罪事件も多いと聞きます。マスコミには事実に基づいた報道が、警察には事実に基づいた逮捕や拘引が求められ ます。

 私も無実の罪を着せられそうになったことがあります。ある大型古書店の自転車置き場の前を歩いていたところ、「こりゃ。そこへ置いちゃいけ ん。」と後から大きな声がしました。構わず歩いていると、古書店の腕章をつけた男性が追い掛けて来て、1台の自転車を指差しながら「置いちゃいけん。」と 叫びました。

 「自転車を置いてはいない。何を証拠にそう言うのか。」と反問すると、「見りゃあ自転車が置いてあって、あんたが向こうへ歩いていったけえ。」 と男性。私が置いたところを見てもいないのに犯人扱いです。「古書店に言いに行きましょうか。」と言い返すと、ひるんで引き返して行きました。

 もしこれが違法行為の疑いをかけられ、警察署に連れて行かれたら・・・。
さらに周囲にマスコミがいたら・・・。大いに報道されたことでしょう。

 現代社会は、一瞬にして犯人にされ無実の罪を着せられる、という恐ろしさをはらんでいます。
 しかもそれは簡単に、誰にでも起こることなのです。

2009年11月15日日曜日

野球で日本一

今日は年に1回の大事な試合です。私の所属する広島県医師会野球部(愛称バッカス)と、大阪府医師会野球部との一戦です。以前は多くの医師会が参加した大 会でしたが、一つ欠け二つ欠けして、今では2チームだけになりました。医師不足のあおりを受け、両チームとも9人を集めるのにきゅうきゅうとしています が、大会の灯を消してはならぬと続けています。
 一昨年、昨年と負けていますので、今年こそはリベンジしなければなりません。1年間練習試合を繰り返してきました。ひとりひとりも、走って投げて打っての練習を続けてきました。
 ついに大試合にプレイボールがかかりました。広島は真田投手が1,2回を抑えました。2回ウラの広島の攻撃、無死で真田選手がヒット、続く児玉 選手が三塁打で先制しました。一人倒れた後、1死三塁で私に打席が回ってきました。「何とかして1点を追加せねば。」と緊張して打席に立ちましたが、大き く落ちるカーブでストライク。
「こりゃーヒットは打てん。」
そこで私はサインを出しました。投球と同時にランナーが走り、打者はどんな球でもバットに当てるというサインです。
 次の投球、内角高めにストレートが来ました。無心でバットを振ると、打球はライナーでレフト線へ。タイムリーヒットで1点追加です。ここしか打てないという所へ投げてくれた、大阪の渡辺投手に感謝です。
 この回さらに2点を追加し、最後は5対3で3年ぶりの勝利でした。試合がすんだ後、
「あー、勝ってよかった」と何度も繰り返しました。
 その度に、チームメイトも笑顔で何度も応えてくれました。


2009年11月14日土曜日

ちあきなおみ

明日は野球の決戦ということで、夜は家で休んでいました。新聞のテレビ欄を見ていると、番組欄にちあきなおみの名前がありました。子どものころから歌番組はよく見ていましたが、アイドルに混じってひとり歌が上手かったという印象が残っています。

 ちあきなおみは今、一切の芸能活動を休止しています。5年くらい前にNHKのラジオを聞いていたときのこと。アナウンサーとゲストがやり取りし ていたのですが、アナウンサーが「今日はゲストのOO先生にちなんで、数式の曲をおかけします。」と言いました。ゲストは数学の権威で、数式の曲は唯一こ の曲だけだと言うのです。

 数式の曲とはちあきなおみの「X+Y=LOVE」でした。曲が始まりましたが、私は車を運転しながら、へぇーと驚いたままでした。しばらく唇は 「え」の形をしたままでした。唯一の数式の曲とはこれか!という驚きで、口が塞がりませんでした。よく知っている曲なので2番からは歌いました。

 この曲は昭和45年の作品で、私が小学校6年のときのヒット曲です。あまり勉強が好きでなかったので、歌謡曲でも算数をさせられるのかと、うんざりして聞いた記憶があります。それでも歌を憶えているということは、よく聞いていたのでしょう。

 今日のテレビでも、この曲は流れていました。Xが私でYがあなた、愛し合っていればふたりはいつもプラスという、甘い甘い恋の歌です。それをプ ロの歌声で思いを込めて歌うちあきなおみと、意味もわからず小学校で歌っていた自分を思い比べると、妙におかしくなって決戦前夜の緊張も解けてしまいまし た。

2009年11月13日金曜日

デパートで投票

松山市は、今年8月30日投票の衆議院総選挙に、市内の商業施設で期日前投票所を設けました。有権者に大変好評だったということで、松山市を訪問して投票所となったスペースを直接視察してきました。

 商業施設に投票所を設けたそもそもの動機は二つあったそうです。20歳代の投票率をいかに向上させるかということと、主婦層の投票の利便性を高めるということでした。

 松山市では、パソコンの専用回線が引いてある3つの施設のうち、同意した「いよてつ高島屋」と「フジグラン松山」に投票所を7日間設置しまし た。期日前の投票者数は高島屋が10,509人、フジグランが16,951人。合わせて27,460人でした。これは市全体の期日前投票者数の41.2% にも上りました。20歳代に限ると2施設での投票者数は47.3%で、他の年代よりも利用率が高かったといえます。

 マスコミの報道もあり、最高100メートルもの行列ができるなどごったがえしました。しかし、松山市は他の部署の職員を動員して、さらに警備会 社へ警備を委託するなど、市を挙げてこのプロジェクトに取り組みました。総勢460人をつぎ込んだ甲斐もあり、69,154票の期日前投票につながりまし た。

 次回も実施しますかとの問いかけに、市選管の八木次長と郷田主幹は「ぜひやります」と力強く答えておられました。


2009年11月11日水曜日

毛利輝元

大河ドラマ「天地人」は戦国時代の大名、上杉景勝と家老直江兼続の物語です。あまり知られていなかった景勝と兼続は、一躍スターになりました。
 「天地人」には、広島の大名毛利輝元も登場します。輝元の祖父元就は、吉田郡山城の小名から中国一円を支配する英雄として、大河ドラマの主人公としても描かれました。
 わが広島市にとっては、1591年に広島城を築いた毛利輝元こそ郷土の英雄です。しかし、関ケ原の敗戦の後1601年長州に移封され、120万石が36万9000石に減らされました。華々しい元就に比べ、輝元はいかにも地味な扱いを受けていました。
 わずか10年の広島滞在でしたが、最盛期は120万石を有し、西軍の主将として徳川家康に対峙しています。古文書によると石田三成、大谷吉継と 結んでいたことはもちろん、上杉景勝とも連携していました。さらに西日本の東軍の所領へも侵攻し、毛利家の領土拡張にも努めています。
 関ケ原では自ら戦場に臨み、捨て身の勝負に出た家康に対して、大坂城に留まっていたことが輝元の弱さだといわれています。輝元も自ら出陣し、 南宮山から家康本陣の後方を衝けば、西軍の勝利は間違いなかったでしょう。そうなれば広島市の歴史も、大きく変わっていました。輝元は東の家康と並ぶ、歴 史の重要なキーパーソンなのです。
 郷土の英雄毛利輝元に、もっと光をあてて大いに顕彰すべきでしょう。郷土の英雄とされている仙台市の伊達政宗や、熊本市の加藤清正よりは、よっぽど輝元の方が大人物だと思います。地元でも評価が低いのが、ちょっと残念です。

2009年11月10日火曜日

秋の色

今年もすでに11月、晩秋です。秋になると木々の色も変わります。これは植物公園の紅葉ですが、紅色、茶色、黄色、それぞれが緑に映えています。錦秋と いう表現がありますが、雨天で光が足りない、カメラマンの腕がいまひとつという問題で、ちょっと錦秋には及ばない残念な写真になりました。



木々の葉は、急激な気温の変化で緑から紅色に変わります。急に寒くなるほど、色あざやかな紅葉になるといいます。
 色は、色相・明度・彩度の三要素からなります。色相とは単色光の波長に相当するものです。明度とは明るさ、すなわち光の強弱。彩度とは白みを帯 びていない度合いです。文章だけではよく分からないと思いますが、「あざやかな色」とは、白みを帯びていない色のことです。つまり白みを帯びると彩度が落 ちることになります。
 デパートで青いネクタイを探しましたが、あざやかで明るい原色の青いネクタイにはなかなかめぐり会いませんでした。青色一色といっても、一言では言い表せないぐらい多くの色があります。
 微妙な色合いを探して合わせていくのは難しい・・・。しかし、秋には秋の色、春には春の色があり、服装に季節感を持たせてオシャレをするのは、難しいながらも楽しいことです。

2009年11月9日月曜日

名古屋のノリ

先日名古屋でミュージカルを観ました。2500席の愛知県芸術劇場大ホールは満員で、そのほとんどが女性でした。「ALL Shook Up」というブロードウエーミュージカルの日本語版で、プレスリーのヒット曲をちりばめています。
 名古屋の人はミュージカル公演に慣れているようで、ロックンロールに合わせての手拍子も、揃って4ビートを刻みます。終演してからのスタンディングオベーションも、全員いっせいに立ち上がっていました。まるで事前に打ち合わせていたかのようなノリでした。
 出演者の熱演で賞賛の拍手が止まず、出演者とバックバンドのメンバーが何度も応えていました。外で待っていた友人によりますと、観客がホールから出てきたのは、予定時刻を30分も過ぎていたのだそうです。カーテンコールだけで30分とは驚きました。
 この熱心さとノリの良さは、コンサートやミュージカルなどの公演を見るチャンスが多いからに他ならないと思います。広島でも公演の機会はありま すが、残念ながら多いとは言えません。観たい公演が広島に来なければ、大阪や福岡といった他都市に出かけるということになります。
 ミュージカルのあと、街を歩くと男性も女性もかっこよく着飾って華やかですね。美男美女ばかりではないけれど、自分なりのおしゃれにひるまず、堂々としていました。みんなおしゃれなので、街ごとノッていると思いました。
 
 広島のノリはどうでしょうか。となりがするなら自分もというかんじでしょうか。ともかく、名古屋は広島とは違うノリでした。

2009年11月6日金曜日

色の話

今広島県知事選挙の、真っ最中です。商店街と電車通りの交差点やデパートの前などで、街頭演説を開いています。私も動員され、「3時半に集合せよ。」などと命令されて行きますが、なかなか始まらないこともしばしばです。
 選挙カーが到着するまで、街頭に立って待ちます。待ってる間に街行く人たちのファッションを見てみると、女性はなかなか着飾って楽しそうです。

 さてわれわれ男性はどうでしょうか。なかなかおしゃれさんには、めぐり会いません。晩秋なのに半そでTシャツの人。ジャージ姿の人。信号待ちの 男性が30人ぐらいいますが、おしゃれさんが1人もいないこともありました。ファッションを楽しんでいるのは、10代の若者とカップルぐらいでした。
 若者は自由に色使いを楽しんでいます。カップルは女性が気合入っているのに対抗して、男性も頑張っています。女性がロングのブーツで主張すれば、男性も負けじと長めのブーツにデニム。ブーツは黒のおそろいでした。

 色使いはなかなか難しそうですが、ファッション・コーディネーターの友人から色の使い方を教えてもらいました。色は赤から順に橙、黄、緑、青、藍、紫、赤と並びます。
 アウター、インナー、ボトムの3つのうち、2つに色を使うとします。その時は、2色のうち黄色に近い色を明るく、遠い色を暗くすると調和するそうです。緑と赤なら緑を明るく、赤を暗めにするといった感じです。この理論はまた詳しく触れます。

 間もなく冬が来ます。それぞれの個性を表す色で、広島の街が明るく染まればいいなと思います。

2009年11月5日木曜日

ショッピングセンターの開店

南区宇品に大型ショッピングセンターが完成し、そのお披露目に招待されました。同じ会社のお店が皆実町にもあるのですが、社長の挨拶では宇品店が皆実店 を補完する役割を担うとのことでした。実際、祝日に皆実店に行ったこともありますが、食料品売り場はすごい人出でした。おまけに狭い通路なので、すれ違う のもままならず、落ち着いて買い物ができませんでした。二つの店に分散させて、ゆっくり買い物してもらおうという狙いなのでしょう。

 宇品店の方は子ども連れのお客さんを対象にして、子ども服売り場やオムツなどのベビー用品の売り場を広く取っていました。食料品売り場も、子どもが直接手にしたくなるようなお菓子やおもちゃをずらりと並べていました。

 お店が小さい子どもをお客さんとして見ている、そこに新しい視点を感じます。私の子はもう成人していますが、まだ小さければここで楽しく買い物をするだろうなと思いました。

 子ども連れでの買い物はいろいろ大変です。けれども、子どもにとっても親にとっても、ショッピングが楽しいお店が増えるのはいいなと思います。

2009年11月4日水曜日

教員の健康管理

今日は決算特別委員会があり、文教関係の審査でした。平成20年度に60日以上欠勤した教員は158名で、うち精神疾患は110名です。2回目以上の教員がそのうち50人で、45.5%にのぼります。

 復職する際、審査会で精神科医2名の意見を聞き、本人に対して配慮すべき事項を決めます。その配慮事項をどう校長に伝達するのか問うと、教育委員会の担当課長は、電話で伝達するのだと答えました。その後、校長が本人を呼んで配慮事項を伝達するそうです。
 なぜ、書面を本人・校長・教育委員会で共有しないのかと問うと、きちんとやっているから口頭で良いのだとの答えが返ってきました。この根底には、「校長の職務命令は、精神科医の意見より優先されなければならない。」という意識があります。

 精神科医を産業医として任用し、単なる「意見」から「勧告」に格上げするよう制度を変えてはどうかと提案しました。そうすれば、校長といえども 精神科医の尊重しなければなりません。しかし今の制度ままでよいと、全く改める様子はありません。このままでは、毎年100名を越す精神疾患での長期病欠 者は増えるばかりでしょう。
 
 「教育に携わる人間がこのような認識では、広島の教育は悲惨なことになります。」
と発言し、質疑を締めくくりました。


 心の健康は軽視されがちですが、見えにくい部分だからこそ 注意を払わなければなりません。

2009年11月2日月曜日

フットサル

趣味でフットサルをやっています。ルールに違いはありますが、5人でするミニサッカーといったところでしょうか。人数が少ないだけに、たくさん動かなけ ればなりません。攻め上ったり守りに下がったりと、忙しいスポーツです。月に2回程度練習しており、先日はチームを組んで試合に臨みました。

 試合は練習と違う曜日に行われたため、いつものメンバーが参加出来ませんでした。私以外の選手は若者たちで、中学のサッカー部で一緒だった6人組です。夜の練習は一緒にやっていましたが、言葉を交わしたことは、ほとんどありませんでした。

 ユニフォーム代わりにビブスを着て試合に出ます。しかしメンバーは7名ですので、試合に出ない2名が残ることになります。若者はみんな上手で走力もあるのに比べ、私が下手なのは自他共に認めるところです。

 最初の試合は、私がビブスを配った流れで出場しました。試合時間が半分過ぎたくらいで、残っていた若者にビブスを渡して交代しました。
 1試合終わって次の試合まで待つのですが、6人組は仲良くしゃべっています。私は、ひとりでぼんやり他チームの試合を眺めていました。ビブスは若者が着ており、もう出れんかもしれんなどと考えていたのですが、そこへ声が掛かりました。
「お先にどうぞ。」
 振り返ると、私が交代したときにビブスを渡した青年が、にっこり微笑みながらビブスを差し出してくれていました。しかも、きちんとたたんであるのです。
「ありがとうございます。」
 心の中は嬉しさでいっぱいでした。

 次の試合の前も別の青年が、不器用にたたんだビブスを持ってきて
「どうぞ。」
と言ってくれました。張り切ってプレーしましたが、上手くいかないことばかり。それでも若者たちと楽しくフットサルをできて、とてもさわやかな一日でした。

2009年11月1日日曜日

ケナフの花

昨日、事務所のベランダにケナフが咲きました。


翌日には新しい花が咲き、昨日の花はしぼんでいました。


ケナフの花の色が、盛者必衰の理をあらわしています。