2012年7月31日火曜日

ロンドンオリンピック男子体操

ロンドンオリンピックが始まりました。4年に一回のスポーツの祭典を見逃してはなりません。

 男子の体操は、エースの内村航平選手は「個人より団体の金メダルが欲しい」と言っていました。
 しかし、7月28日の予選では、その内村が鉄棒とあん馬で落下。5位のスタートとなりました。試合中の内村は顔面蒼白、頬もこけた印象で、極度の緊張に陥っていました。あやうし日本。

 30日の決勝は、6つの種目を1チーム3人ずつ演技します。最初の競技の吊り輪で一番手をつとめた内村は、思い切った試技で15点台をマークして、上々の滑り出し。着地だけ一歩前に踏み出したところに、相当の重圧を感じている事がうかがえました。
 その後も内村は全ての競技で高得点を上げ、チームを引っ張りました。

 予選6位だった中国が5種目終わって1位。2位日本、3位ウクライナで、4位がイギリスでした。

 最後の種目はあん馬です。中国の3選手は14点台後半でまとめて、1位を確定しました。つづいて日本です。一番手の田中和仁選手が落下して大きく減点されましたが、二番手の加藤凌平選手が盛り返して14.766を出しました。最後が内村です。13.740以上を出せば、2位が確定します。
 予選で落下しているので、はらはらしながら応援していました。両脚の回転もスピードが落ちず、終盤まで上手くまとめて来ました。あとはフィニッシュだけと、少し安心しました。

 しかし、安心も束の間でした。最後に回転しながら両脚で倒立するのですが、内村は右脚からバランスを崩してしまいました。床に落下してしまうと思いましたが、バランスを取り直して両足から着地しました。このリカバーはすごかった。まったく驚きました。

 減点はやむを得ないと思っていましたが、点数は思いのほか低く、13.466でした。イギリスの2位に場内は大喜び。がっかりする日本ベンチ。内村は、こんな低い評価かと茫然としていました。

 その後、日本の監督とコーチが審判団に抗議、長い協議に入りました。5分ほどたって、内村の得点は0.7加点されて14.166。なんと日本は2位にすべりこみました。

 内村の談話です。
「4年前と同じ2位でした。4年間何をやってきたんだと、ふがいなく思います。」

 ひょうひょうと演技し勝利してきた内村が、いつのまにかすべての重圧を背負っていたように感じました。同時に、すべての重圧を背負いながら、チームを2位に押し上げた内村は素晴らしいと思いました。

 男子体操団体の闘いは、内村の闘いだったと思います。

2012年7月13日金曜日

大津中2いじめ自殺

大津市の中学校に通う中学2年の男子生徒が、自宅マンションから飛び降り自殺した事件について、テレビや新聞で連日報道されています。先日は、生徒の通っていた中学校や大津市教育委員会に、滋賀県警の捜査が入りました。教育長室のドアが映り、警察官がまさに部屋へ入ろうとするところも放映されました。大変はずかしい、情けないことになりました。

 生徒が自殺したのは2011年の10月11日。中学校は、10月中旬と11月に全校生徒からアンケートを実施しました。今年の7月3日になって、この生徒は3人の同級生から、「自殺の練習をさせられていた」ことが判明しました。
 「自殺の練習」とは、まったくむごいいじめです。

 これ以降、マスコミは連日この事件を報道し、この中学校の生徒らから話を聞いていました。報道を見る限りでは、たいへん恐ろしいいじめが行われていたこと、先生は見て見ぬふりをしていたこと、学校も教育委員会も、この恐ろしいいじめを隠ぺいし続けてきたことが判ってきました。

 生徒の家族が、いじめられていたことについて警察に三度被害届を出しましたが、警察は三度とも受理しませんでした。この件について、まったく無関心だったのです。
 しかし、今年の7月になって、ようやく捜査を開始しました。マスコミの報道や世論に押されたものと思います。おそらく、自殺した生徒の知人や友人たちも、家族と一緒に立ち上がったのでしょう。

 「このいじめは自殺と直接結びつかない」と、かたくなに主張し続けているのは教育委員会と中学校です。中学校の保護者集会でも、言い逃れに終始したと報道されています。その通りなのだろうと思います。
 教育長は、「生徒の家族から訴訟を起こされているのだから、裁判で黒白をつければ良い。自分に非は無い」と主張しています。

 彼らの態度には、生徒が一人亡くなったことの重大さがみじんも感じられません。人間らしい温かみを感じろという言う事は無理だと思います。

 このいじめが報道通りだとすれば、加害者の3名が生徒に行ったのは、暴力、恐喝、強盗。立派な犯罪です。 彼らは厳粛に裁かれなければなりません。中学校も教育委員会も、生徒の自殺と3名の犯罪を防ぐことが出来なかったことについて、裁かれなければなりません。

 いじめは広島市でもあります。学校の指導で、いじめた生徒を謝罪させることもあります。
 しかし、それでもいじめは変わらず続き、結局はいじめられた生徒が欠席したり転校したりすることにより回避しています。そうするしか方法が無いのが、現実です。

 この事件を見ていると、何とかしなければいけないと強く思います。

2012年7月8日日曜日

大相撲名古屋場所

大相撲名古屋場所が、7月8日に初日を迎えます。先場所10勝5敗と、思わぬ苦杯をなめた横綱・白鵬が巻き返すか、先場所11勝4敗で東正大関に座った稀勢の里が、横綱昇進の足掛かりをつかむか、が見どころでしょう。

 もちろん白鵬と稀勢の里に注目していますが、私には他に注目する力士が2人います。 

 新十両に昇進した貴ノ岩は、モンゴル出身です。貴乃花親方が2004年2月に部屋を創設してから、初の関取です。
 しかも、私が見学に行った鳥取城北高校相撲部の出身となると、注目せざるをえません。私が見学に行った日も、2名のモンゴルからの留学生がおり、ひたむきに稽古をしていました。おとなしい雰囲気でしたが、礼儀正しく明るい青年でした。
 貴ノ岩も同じように、礼儀正しく明るい青年でしょう。応援したいと思います。

 西幕下15枚目に番付を上げた寺尾丸は、広島市南区の出身です。段原中学から瀬戸内高校へ進み、その後、元関脇・寺尾の錣山部屋に入門し、努力を重ねてきました。今場所と来場所とで好成績をあげれば、十両昇進で関取です。
 広島市からは、北桜、豊桜以来の関取です。頑張ってもらいたい。

 名古屋場所は、すでに幕下と十両の土俵から目が離せなくなりました。応援も忙しくなりそうです。

2012年7月7日土曜日

三浦大輔投手、通算150勝

DeNA横浜ベイスターズの三浦大輔投手が、7月4日の巨人戦で通算150勝をあげました。おめでとうございます。

 プロ21年目、38歳の三浦投手は、巨人の各打者に対し、渾身のストレートを投げ込んでいきました。7回1死三塁のピンチも、長野をストレートで追い込んで外角のスライダーで空振り三振にしとめました。つづく古城には外角高めのストレートを投げ、二者連続の空振り三振に切ってとりました。

 三浦投手が在籍した1992年から2011年までの20年間のうち、チームは1位1回、2位1回、3位4回、4位2回、5位3回、そして6位9回でした。力投しても打線の援護がなく、勝ち星が付かない試合も数多くありました。弱小チームにあっての150勝は、貴重な記録です。

 三浦投手といえば、ヘアースタイルをリーゼントで固め、「ハマの番長」と呼ばれています。最近は、若い投手陣を牽引する原動力となっています。

 150勝をあげた直後のヒーローインタビューでのやり取りです。

アナウンサー「三浦さん、9回にリリーフに出た山口投手が、最後にホームランを打たれたらどうしてましたか。」

三浦投手「思いっきり、蹴飛ばしてやりますよ。」

アナ「山口投手は、その時どうしますか。」

山口俊投手「ひとりで9回まで投げろと言ってやります。」

 このあと、山口がマイクに入らないところで、「冗談ですよ」と三浦に言っていました。

 記念撮影にはいると、まず右手でがっちり握手。山口は空いた左手を三浦の左肩に回します。左手が使えない三浦は、「お前なあ」と言いながら、握手を左手に組み替えて右手を山口の右肩に回していました。
 大先輩の三浦ですが、24歳の山口と同じ目線で言葉を交わしていました。すばらしいと思います。

 チームの浮上と自身の200勝を目指して頑張ってほしいものです。