2009年10月31日土曜日

来週は広島県知事選挙が行われます。選挙戦真っ最中です。家の近くも街の中も、選挙カーが次々と通ります。
 
 そんな中、一番気になるのは音です。スピーカーやアンプによって、かなり違いがあります。 
 もし選挙カーが近くを通ることがあれば、いい音が響いてるかどうか聞き比べてみるのも面白いですよ。

2009年10月30日金曜日

広島市児童相談所

先日は福岡の児童相談所に行きましたが、昨日は東区光町にある広島市児童相談所へ視察に行きました。磯辺所長に施設の中を案内していただきました。
 まず感じたのは施設の狭さです。一時保護所の定員は、開所当時15名だったそうです。今の定員は20名ですが、多いときは26名まで入所したこともあったそうです。

 定員を5名増やした際に、学習室を居室にしてプレールームを勉強室と兼用にしました。見学した時には10数名がテレビを見たり、おもちゃであそ んだりにぎやかで、勉強に集中できる環境ではありませんでした。これは教育基本法にうたわれた教育の機会均等が損なわれた状況です。もっと広いスペースが あり、部屋が分かれていれば落ち着いて勉強できると思います。
 
 児童相談所には、虐待の通告を受けて出動・保護したり見守ったりする児童福祉司が18名配置されています。これは人口比では政令市中最下位で、職員には非常に大きな負担がかかっています。

 実は平成20年度には児童福祉司20名分を雇う費用が、地方交付税として措置されたことになっています。しかし措置された交付税額では足らず、 財政局と児童相談所との予算折衝の際はねられてしまい、児童福祉司の増員に使われるべき交付税は他の項目に回されています。20名を雇えと言いながらそれ に見合う交付税は措置しない、前政権による詐欺的行為と言えましょう。

 そもそも人手が少なければ、子どもたちを虐待から守る業務を十分に行うことは出来ません。職員も疲れ果ててしまい、他の職場へ転出したいと希望を出す職員も多いそうです。

 何とかしなければなりません。私は、この問題を12月議会で取り上げて行きます。

2009年10月28日水曜日

20年度決算審査

今日は決算特別委員会の総括質疑です。ほぼ6時間に及ぶ質疑が繰り広げられました。
 決算審査とは、市の1年間の収入と支出の全容を明らかにするものです。先輩の元市会議員によりますと、予算よりは決算の方が大事なのだそうで す。決算は確定した額で、変更の仕様が無いからです。自民党の議員の中には、使った後のことを質問しても意味が無いなどと言う者もいますが。これは誤った 認識なのです。
 以前は市発注の工事のうち、1億円を超える大規模なものは、落札額がほぼ市の予定価格に一致していました。平均落札率は毎年97%以上と決算委員会に報告されていました。談合の疑いが濃厚なのですが、
「なぜ落札率を下げさせる工夫ができないのか。」と質問すると、
「やっているのですが下がりません。」と答え、
「なぜ下がらないのか。」と突っ込むと、
「わかりません。」と、のれんに腕押しでした。
 最後に「落札率が下がらないことに問題があるというよりも、むしろなぜ下がらないのかわからないところに問題がある。」と発言すると秋葉市長が笑っていました。
 毎年粘り強く落札率の件を質問し続けています。その成果か、契約の担当者も落札率を下げる重要性に気づき80%を割るように改善されました。決算の審査で市の財政はずいぶんと良くなります。質問という、有用な手段を用いない議員が多いのは残念なことです。

インテックス大阪

インテックス大阪は、昭和60年創業の大阪ベイエリアにある国際見本市会場です。西日本随一の規模を誇り、1号館から6号館まで合わせた展示面積は70,078㎡、建設費は514億円と巨額です。
大阪市の土地を無償貸与されており、年間の事業収入は19億円。経費は6億円で差額の13億円は大阪市へ納めています。減価償却費は含まれていません。
 1号館から5号館までは中庭を挟んで、全て平屋で使い勝手が良いのが特長です。しかし、6号館は2階建てで内部に柱が多いことと、展示品の搬入路が狭いことが欠点です。2階は年間6日しか利用がありませんでした。
 有田常務理事と犬山営業課長は、広島ならではのニーズを適切につかめば、施設の規模も予測される稼働率も見えてくると言われました。また、建設するなら搬入路とバックヤードを広く取るよう忠告がありました。
 広島で予定している9,000㎡の展示面積なら、インテックス大阪の約3倍もの敷地が必要とのことです。きちんとした施設を作ればビジネスの機会が増えます。コンベックス岡山視察でも感じたことですが、十分な準備のもとに施設建設を進めることの大切さを強く感じました。

2009年10月26日月曜日

広島弁

広島生まれの広島育ち。私の日常会話には広島弁が自然と出てきます。このブログも、会話部分は広島弁が多く語られています。
 市議会の常任委員会などは一問一答形式で、私は原稿を読まずに質問します。後で議事録を取り寄せるのですが、文字になった自分の発言を見ると、標準語からは大きく遠ざかっていることに驚きます。
 また、時には意味不明の発言もあります。自分の発言なのに「なんじゃこりゃあ。」という部分です。行政側の意味不明な答弁に激昂することも多々ありますが、そもそも質問が意味不明なこともあったのでした。これでは委員会が紛糾する度合いが高いはずです。
 議会条例が新しく成立し、行政側に反問する権限が与えられると、「議員のご質問は意味がわかりません。」「なんじゃとぉ。」というやりとりとなり、ますます紛糾することでしょう。
 行政側も広島弁で答弁したり反問したりすれば、輪をかけて紛糾するのか、それともほのぼのしたやりとりとなるのか。
「あんたの質問は、よおわからんけえ、もっとええがいに質問してつかあさい。」
「なんじゃとぉ。」
 どちらにしても楽しいながらも大変な議会となることでしょう。

2009年10月25日日曜日

リーグ優勝決まる

プロ野球のCS(クライマックスシリーズ)が終わりました。セリーグは巨人、パリーグは日本ハムが優勝しました。ペナントレースの順位は、セが1位から 巨人、中日、ヤクルト。パが日ハム、楽天、ソフトバンク。CSも同じ順位でした。楽天とヤクルトがCSに進出して、少し目新しさがありましたが、同じチー ムが同じように勝ち進んだ面白みの無いリーグ戦でした。

 特ににセ・リーグは巨人の強さが際だちました。小笠原・ラミレス・亀井が打ちまくり、他球団を圧倒しました。近年、ペナントレースは巨人が3年 連続の一位で、CSも中日、阪神が常連です。昭和40年から9年間続いた巨人の連続優勝の時代を思い出させます。あの時も巨人は強かった。阪神や中日がな んとか追いすがるも、最後には突き放されるのでした。大洋(現・横浜)・産経(現・ヤクルト)・広島の3球団は。5月の初旬には早々に脱落していました。 わが広島カープは、この9年間に3位が一回だけ。それでも大健闘と言えました。それだけに昭和50年のカープ初優勝は奇跡でした。

 しかしシーズン前にチームは変化を遂げていたのです。外国人監督の登用に始まり、エース級投手3名と、中堅クラスの野手を2名放出。一方獲得し た選手はなじみの無い選手が多く、頼りない陣容でまるで別のチームでした。ところが移籍選手の大活躍で、初優勝という奇跡をもたらしたのです。

 何かを成そうとするためには、変わることを恐れてはいけない。野球に限ったことではないですが、カープ初優勝はそれを教えてくれています。

2009年10月23日金曜日

オリンピック誘致

2016年夏季オリンピックの開催地に東京が落選し、リオテジャネイロが選ばれました。ほどなく広島市の秋葉市長は長崎市の田上市長と記者会見を行い、2020年のオリンピックを共同で誘致することを表明しました。

 秋葉市長が会長を務める平和市長会議は、2020年までに核兵器の廃絶を目指し活動しています。この2020年にオリンピックと核兵器廃絶の目 標年を重ね、世論を盛り上げて核廃絶を実現しようという計画です。これには広島市だけでなく、日本全国からも驚きの声が上がりました。

 私も周囲から「ほんまにやるんね?」「お金はあるんかね?」と、よくたずねられます。本当に出来るのかと疑いを持ちながら、もしも実現するならば広島と長崎で是非とも開催したい、というのが多くの声だと思います。

 任期末の藤田広島県知事は「私は何も聞いていない。」と不快感を露わにしました。しかし「歓迎の意を表された方は多いが、不快感を表された方は初めてです。」と秋葉市長に切り返され、知事も面目丸つぶれというやりとりがありました。

 ともかく市長は誘致に向けて駆け出しています。私も置いていかれないように追いかけながら、広島長崎オリンピックの実現に向けてしっかり協力したいと思います。

コンベックス岡山

岡山にあって広島に無いもの、それは大型の総合展示場です。そこで岡山まで視察に行って来ました。



コンベックス岡山は平成3年に開設。岡山市と倉敷市の境にある、200ヘクタールの総合流通センターの中央にあります。その敷地面積は69,694㎡、そのうち駐車場が30,584㎡(約1,500台分)です。
建物規模は地上2階で延べ床面積は17,714㎡で、展示施設は
 ・大展示場3,797㎡ ・中展示場2,571㎡ ・小展示場1,415㎡
となっています。大規模な催事は、日産、トヨタ・ダイハツの商談会などでした。
 屋外にも5,400㎡の展示場スペースがあります。ハーレー・ダビッドソンの展示試乗会も開催されたことがあるそうです。2階には570㎡の国際会議場と、108㎡の中会議室が2室、54㎡の小会議室が5室あります。どの施設もきれいなことに驚きました。
 
 コンベックス岡山は、建設費73億3800万円、用地費38億1100万円。総額111億4900万円で、岡山県が建設しました。多額の出費と言えるでしょう。
ここ最近の収支は、平成18年度が7129万円、19年度が6237万円、20年度が5635万円の黒字ですが、次第に減少しています。
 平成21年度から、指定管理者が天満屋を中心とする任意団体に変わり、広島のアルパーク立ち上げにも係わった田淵さんという方が出向されていました。 岡山県との契約は、毎年の上納金が1億円、利益の半分も県に納めるという大変厳しい内容です。
課長の小虎さんの説明によると、20年度の稼働率は55.3%とのことでした。毎週金土日に全て稼動すれば、目標の稼働率60%に達するそうです。
 
 大型の総合展示場は、広島の経済を活性化するために必要な施設と思います。しかし、初期費用にどのくらい掛かるのか、毎年の収支は合い償うのかという課題があります。用地は南区の出島に用意されていますが、今のところ事業は凍結されています。
 小虎さんは、どのようなニーズがあるかを調べ、それに合わせた施設とすることが大事だと言っておられました。建設前にどこまできちんと精査するか。基本的なことですが、これによって成功の可否が決まるでしょう。

2009年10月21日水曜日

西太后

西太后(せいたいこう)は、中国を支配した清王朝の末期に、支配者として君臨した女性です。第9代皇帝咸豊帝(かんぽうてい)の妃で次期皇帝の同治帝 (どうちてい)を産み、母后として実権を握りました。西太后の夕食は豪華を極め、一回の費用は一千万円もかかったと言われています。
 当時清国は世界一の人口でしたが、GDPも世界一だったと思われます。西太后の死後清国は滅亡し、中国は他国の侵略や内戦により没落しました。二つの世界大戦後、中国に替わりナンバーワンとなったのはアメリカでした。
 近年アメリカの隆盛に陰りが見られ、替わって台頭してきたのが中国です。これを脅威と見たり、一大事と考えたりする日本人が多いのですが、私は その台頭を当然だと思っています。世界をリードしてきたトップランナーが、百年間ちょっと調子が悪かっただけではないでしょうか。スランプから脱出し、本 来の調子を取り戻したというところでしょう。清国の行く末を案じて死んでいった西太后も、胸をなでおろしていることと思います。

2009年10月20日火曜日

おらはしんじまっただ

作曲家の加藤和彦さんが亡くなりました。自殺だそうです。
 加藤さんは、北山修さん、はしだのりひこさんと共に、ザ・フォーク・クルセダーズを結成し、大ヒット曲「帰って来たよっぱらい」で一世を風靡しました。

 小学4年生の時、テレビの歌謡番組でこの曲が流れ、なんて奇妙な歌だと思ったものです。もう一度聞きたくなって、母に「レコードがほしい。」と 言いました。夜の8時は過ぎていましたが、母は黙って連れて行ってくれました。盛り場にある、間口の狭いレコード屋です。若いお姉さんがやさしく微笑みな がら「どのレコードですか?」とたずねてきました。

 私は、すっかりあがってしまって言葉が出なくなりました。曲の題名もどこかへふっとんでしまって、「ああどうしよう。」と思うだけでした。お姉さんが「歌の初めはどうですか?」と聞いてくれました。
 私は、消え入るような小さな声で「おらはしんじまっただ。」と歌いました。お姉さんはそれを聞いてにっこり笑いながら、ジャケットを見せて袋に包んでくれました。

 家に帰ってから、レコードを何度も何度も聴きました。楽しい愉快な歌でした。連れて行ってくれて、店でだまっている私を、だまって待っていてくれた母のやさしさ。小さい私に心をこめて接客してくれた、お姉さんのあたたかい心。いつまでも思い出させてくれる曲です。

 加藤さんのご冥福を、心からお祈りします。

2009年10月18日日曜日

愛の車両

私は、サンフレッチェの試合を観戦しにビッグアーチに行く際は、アストラムラインを利用しています。アストラムラインの運営には広島市が関わっているので、気がついたことは市の道路交通局に話をするようにしています。
 サンフレッチェの試合後は、どの車輌も超満員です。しかし、扉の前のスペースには握り棒も吊り革も無いため、6名ぐらいの乗客が何の支えも無く立っている状態です。
 ある試合後のこと。車両が揺れるので、扉付近に立っている女性が何かにつかまろうとしましたが、つかむところがありません。倒れてしまわないだ ろうかと心配しながら見ていましたが、前に立っていた男性にしがみつきました。友人か恋人だったのでしょう。やはりこれでは危ないと思い、道路交通局に握 り棒でもいいから設置してほしいと要望を出しました。
 この話を友人にしたのですが、帰ってきた答えは「このままでいい。」とのこと。よろめいた人をしっかりと受け止める。その時恋が芽生えるというのです。これはなかなかよい考えです。
 車輌の中に、ぺ・ヨンジュンとチェ・ジウのポスターを貼り、車内放送ではヨン様の甘い声で「大丈夫ですか。」と、揺れるたびにささやいてもらいます。名づけて「愛の車輌」です。間違いなく広島市の名物になりそうです。
 危ないから握り棒をつけるよう要望を出したのは失敗だったかも知れません。

2009年10月17日土曜日

変わりゆく広島市議会

 10月16日は市議会の最終日です。秋葉市長が提案した旧市民球場跡地の利用計画検討費1930万円のうち、777万円を削除する修正案を反市長派4会派が提出しました。
 私はこの修正案は無意味だとして、反対の討論を行いました。理由は次の2点です。
 
 ひとつは概算工事費を算出する費用を削減したことです。設計図や見取り図を描いても、事業費がどれほどかかるかが説明できません。つまり、税金を払う市民に説明するのに、説得力の無い図面になってしまいます。
 もうひとつは、跡地と周辺商業施設との回遊性向上を検討する予算が削除されていることです。検討作業をしないで、どうやって跡地を有効に活用するのでしょうか。
 採決の結果、残念ながら30対24で修正案が可決成立しました。旧市民球場跡地の利用計画実現は、かなり難しくなりました。
 
 午後からの副議長選挙では、旧球場の修正案に賛成した30名のうち、3人会派が藤田議長の盟友の土井哲男氏に投票することになりました。再 開の際、親議長派の28名が出席すれば会議を開くことができます。しかし議員が1人来ません。15分ほど待ちましたが、来ないので定足数28名に足らず、休憩になりました。
 
 この議員はどこかの控え室にいたようです。反議長派から誘われていたと聞いています。結局は親議長派と態度をともにしました。他の議員にも誘いの声が掛かっていたようです。反議長派による必死の多数派工作です。
  最後には、議長から異例の出席催告が出されました。これは異例の事態で、議会の歴史の中で初めてのことだと聞きました。結局55名中54名が出席し、土井氏が28票を集め副議長に当選しました。
 
 私はこれまで、藤田議長や土井副議長と議会の改革を進めてきたので、達成感でいっぱいです。新しい広島市議会へと生まれ変わる一歩とも言うべき、画期的な一日だったと思います。

2009年10月15日木曜日

論戦

今日の厚生委員会は各委員が活発に質問し、10時からおよそ6時間に及びました。私も予定通り40分の質問を行い、広島市立看護専門学校が四年制の大学 に移行しないのかと迫りました。三村健康福祉局長は、「市の看護教育について、どういうことがふさわしいのか課題や見通しを整理したい。検討は今までも やってきている。」と答えました。
 平成15年度の予算特別委員会、私は同じ質問をしました。当時の吉岡保険部長は、「議論を進めていこうと考えている。」と答えています。吉岡 氏は現在、看護専門学校の校長をつとめており、本日も6年前と同様の答弁を繰り返しました。検討をしていると言いながらも、6年間何も検討して来なかった わけです。
 ただ質問しただけでは、市の検討は始まりません。そこで、まずは健康福祉局のスタッフに課題を与え、1ヶ月後にその調査内容を聞くことにしま した。広島と同じ政令市で、四年制の看護大学を設立した札幌市と神戸市について、設立の経緯と建設運営費などを調べてもらうことになりました。
 医学は目まぐるしいスピードで日々進歩しており、医師も看護師も広い知識と高度な技術が求められています。広島市が四年制の看護大学を担うことにより、市の医療体制は格段に進歩することと思います。道は遠いですが、粘り強く取り組みます。

2009年10月14日水曜日

厚生委員会

広島市議会では、14、15日の2日間で6つの委員会が開かれます。私は厚生委員会に所属しており、出番は明日15日の10時からです。久しぶりに質問に立つことになりました。

 テーマは二つあります。
 ひとつは広島市北部の救急診療体制です。昨日も少し書きましたが、整備をするのは急務であると言えます。
 もうひとつは広島市立看護専門学校についてです。医療の進歩に合わせ、医師や看護士、薬剤師などの医療従事者への教育は、より高度なものが求められます。三年制の看護専門学校を四年制の大学へ移行させ、広い知識と高度な技術を持った看護師を養成すべきだと考えます。

 看護専門学校を所管する広島市健康福祉局は、大学への移行について、興味も関心も全くと言っていいほど示していません。だからこそ、質問者として前向きな答弁を引き出すよう戦略を練っているところです。相手の姿勢がかたくなだけに、かえって闘志が湧いてきます。

2009年10月13日火曜日

夜間救急診療

広島市では24時間365日、いつでも患者を受け付ける救急診療体制を敷いています。小児科救急は舟入病院、内科救急は広島市民病院で受け付けていま す。広島市医師会も千田町に夜間急病センターを開設し、毎日19時から23時まで内科と眼科の診療にあたっています。大変充実している、と胸を張って言え ます。
 さらに広島市の北部でも、安佐地区医師会の皆さんが内科の夜間救急診療所を立ち上げようとしています。現在北部の救急患者は、重軽症にかかわ らず安佐市民病院に集中し、病院のスタッフは疲れ切っています。受診できる診療所が増えれば、安佐市民病院は重症者の診療に専念できることになります。こ れは非常に大きな意味を持つ事業なのです。
 このような事業にこそ、地域医療再生計画という国の補助金を充てたいところです。もし補助がなくても、成し遂げるべき事業だと思います。私も実現へ向けて、全力でサポートしていきたいと思います。

2009年10月12日月曜日

スポーツの秋 その2

昨日に引き続き今日も秋日和。急に野球のグラウンドが取れたので召集をかけたところ、7名も集まりました。
「みんなヒマなんじゃのう。」
と、ヒマだったので参加した長老が一言。みんなずっこけました。
 ピッチャーとキャッチャーが2人ずついたので、まずはフリーバッティング。順番に5球ずつ打ちます。私はファールばかりでしたが、どうやらキャッチャーが弱点のカーブばかり投げさせていたようです。
「良くバットがついていきますね。」
とはキャッチャーの言葉。ほめているようで、打てるものかというきもちがありあり。「よく言うよ。」
 次はノックです。ノックバットを持ったのは、何年ぶりだか忘れました。外野ノックでは5人をレフトに集め、ひとりずつノックを受けます。待って いる4人が打球を見て「前!」「後ろ!」など声を出すのですが、誰がノックを受けている時も、「前!」「後ろ!」という声が同時にかかっていました。誰か が判断を間違っているのか。それともわざと取れないようにと惑わせているのか。最後までわかりませんでした。
 そんなこともありましたが、和気あいあいと楽しんで練習できました。楽しいのが何よりです。

2009年10月11日日曜日

スポーツの秋

今日は秋日和。広島市のスポーツフェスティバル会場である、ビッグアーチまで行って来ました。市内の各会場で、6万人が参加するスポーツの祭典です。
 開会式では、たくさんの子どもたちが行進していました。みんなかっこいいユニフォーム姿です。ビッグアーチのそばにある第一球技場では、男の子のフットサルが行われました。


第二球技場では、女の子のフットベースボールが行われました。なかなかの熱戦が繰り広げられていました。




 競技する子どもたちも、見つめる大人たちも、それぞれ真剣そのものでした。私の隣にいた男性は、ひたすら写真を撮っていました。しかし、点を 取っても取られても静かに黙っているので、どちらのチームの関係者かわかりませんでした。試合終了が近づき、やっと声援を送ったので、そこでどちらの応援 かが分かりました。
 大人も子どもも笑ったり悔しがったり、もっと楽しめばよいのにと思って見ていました。フットサルでは強いチームと弱いチームが対戦し、強い チームが冷静なプレーで、どんどん得点を挙げました。しかし、ちょっとしたカウンターから弱いチームが一点を返しました。その瞬間、コートは子どもたちの 無邪気な喜びと笑顔であふれていました。子どもたちの笑顔に、私もほっとして笑顔になりました。

2009年10月10日土曜日

秋の観光客

今日から三連休です。平和公園は観光客でいっぱいでした。
 原爆の子の像の前では初老の観光客たちが、ガイドさんの説明を襟を正して聞いていました。


原爆ドームの前では、髪を金色と紅色に染め分けたパンクファッションの若者たちが、説明板を神妙な面持ちで読んでいました。。



何より目立つのは、外国人観光客です。いつもは韓国、中国、アメリカ、ドイツからの人が多いのですが、今日はラテン系、アフリカ系の人などさまざまでした。陽気な様子ですが、その内側に真面目さを感じました。
 はるばる広島に来て被爆の実相を目の当たりにした人たちは、きっと世界平和を願っていることと思います。
 ヒロシマを訪れてくれた人たちへ、ありがとうと伝えたい気持ちでいっぱいです。

2009年10月9日金曜日

ノーベル平和賞

アメリカのバラク・オバマ大統領が、ノーベル平和賞を受賞しました。受賞の理由は、核兵器廃絶への展望と決意を示したことです。心から祝福を申し上げます。
 オバマ氏が今年4月にプラハで行った「核兵器のない世界実現のために努力する道義的責任がある。」という演説は、世界中の人々を勇気付けまし た。広島市でも、秋葉市長が2020年までの核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」を掲げ、活動しています。私たち議員も国内外の都市を訪問する際、核 廃絶を求める平和市長会議への参加を呼びかけ、2020ビジョンへの協力を訴えています。

 ノーベル平和賞受賞者では、韓国の金大中元大統領を思い出さずにはいられません。南北分断の下、韓国首脳として初めて訪朝し、金正日総書記と会談しました。南北統一に道筋を示したかに見えましたが、いまだ果たされていません。
 核廃絶も南北統一も、同様に困難な課題といえます。しかし、私も実現を願うだけでなく、目指す輪に加わって行きたいと思います。

2009年10月8日木曜日

広島市基本計画

昨日から二日間、広島市議会は特別委員会を招集し、広島市基本計画について質疑を行いました。基本計画は平成21年度から32年度までの、広島市の施策の大綱を定めたもので、9月議会に提案されています。
 基本計画は四部構成で、第二部の「分野別計画」に施策が網羅されています。その中で第二部は九つの章からなり、第4章は「子どもの未来の創造」 です。2つの節からなり、6ページがさかれています。節のタイトルは「子どもが健やかに育つ社会の形成」と「安心して子どもを生み育てることのできる環境 の整備」です。
 
 実は、この第4章は当初の案では存在しませんでした。子ども施策に対する意識は遅れていたのです。基本計画は平成19年度に議論が始まりました が、それ以来、所属する総務委員会で「子ども施策についての項目を起こせ」と何度も迫りました。最初の頃は、せいぜい節のひとつに加える程度だという答弁 でした。しかし激しいやり取りの末、節より格上の章として独立させることができました。これは非常に大きなことです。

 広島市の子ども施策について、何とか広島市の意識を前進させることができたと思います。後はいかに実行させるかで、これは私のライフワークだと思っています。
 子どもが健やかに育っていける社会を作っていくため、どうかご支援をよろしくお願いします。

2009年10月7日水曜日

日本ハムの優勝

昨日パ・リーグの北海道日本ハムファイターズが5度目の優勝を果たしました。本拠地を札幌に移してからは、3度目の優勝になります。
 札幌を訪れたとき驚いたのは、あらゆる店にファイターズのポスターが貼ってあったことです。それから、後援会員がやたら多いとのこと。私のいと こも、「おれはファイターズの後援会の副会長だ。」と言っていました。副会長は、何人いるのか把握できないくらい多いそうですです。優勝するのも、ファン サービスの賜物と思います。

 ところでパ・リーグの順位から気付いたことがあります。クライマックスシリーズに進出するチームは、いずれも地方都市を本拠地としています。 ファイターズは札幌、楽天イーグルスは仙台、ソフトバンクホークスは福岡です。セ・リーグで地方都市を本拠とするのは、わが広島カープだけです。しかし近 年は成績が振るわず、残念なことに今年も5位と低迷しています。イーグルスもホークスも、ファイターズ以上にすさまじいファンサービスを繰り広げていま す。ファンもそれに応え、球場に足を運んで熱い声援を送ります。

 カープの弱さは、球団の姿勢にあると思います。高年俸になった主力選手の放出をはじめとして、オーナー一族の生活の糧を得るため経営していると しか考えられません。ファンサービスも、もっと充実させることができるはずです。パ・リーグの三球団のように、チームを強くすることを優先する姿勢が必要 なのではないでしょうか。

2009年10月6日火曜日

労働行政

今日は広島労働局と労働基準監督署を訪れ、管理職の方々と意見交換して来ました。どちらも旧労働省の出先機関です。
 まず話題になったのは派遣切りです。昨年の末から、トヨタやキャノンなどの大企業が、派遣社員の大量解雇を行いました。労働局へも、投書や電話相談が多数寄せられているそうです。その中でも賃金カットや解雇については最優先で対応しているとのことでした。
 平成20年3月制定の労働契約法では、派遣元での中途解雇はできないことになっており、12月以降事業者に対し指導に入りました。大量解雇は下火となりましたが、派遣切りへの監督は引き続き必要だと強調されていました。
 派遣社員や契約社員は、不安定な状況に置かれています。そのような中で働く人たちの声を、政策に反映させて改善させていきます。安心して働ける環境を作っていきたいと思います。

2009年10月5日月曜日

広報紙

今日は、広島市議会広報委員会の歓送迎会がありました。藤田博之議長の議会改革の一環で、2年前に設置されました。私は設置と同時に広報委員に就任し、2年間議論に加わってきました。
 広島市の広報紙のタイトルは「市民と市政」、議会の広報紙は「ひろしま市議会だより」です。2年前までの広報紙との違いは、本会議での質問者の 名前と顔写真が掲載されるようになった点です。それまでは質問と答弁しか載っていなかったので、誰が質問したかがわからなかったのです。

 議会で話し合われたことを、出来る限り多く紙面に盛り込むこと、読みやすい紙面にすることを心がけました。
 広報紙は年5回発行されます。一回の発行について3~4回、委員会が開催されます。各会派から1名ずつ委員を出し、議論します。フリートーキングですので、その都度挙手をして指名されるわけではありません。そのため、時には議論が激することもありました。
 締め切り間際になって写真の差し替えを求めるなど、議会事務局の広報担当スタッフには大変な迷惑を掛けました。しかし、市民のみなさんに見てもらうものなので、われわれも遠慮なく提案します。懸命に努力してくれたスタッフに、本当に頭が下がる思いです。

 この9月からは、新しいメンバーでの紙面作りです。どうか皆さんご期待ください。広島市議会のホームページにも載っています。

2009年10月4日日曜日

休日

今日は日曜日、久しぶりに政治から離れました。友人と話をしていたところ、日曜日の由来についての話題になりました。

 天地を創造した神が、六日働いた後に一日ゆっくりと休んだという、キリスト教の話があります。それに基づいて、日曜日は休む日となりました。
 日曜日、キリスト教徒は教会へ礼拝に行きます。現代でも、パリやローマのお店のほとんどは、日曜日を休みにしています。

 日本はどうでしょうか。一週間の中で定期的に休みを取る、という習慣は無いように思います。休みといえば盆や正月、収穫のあとのお祭りぐらいでしょうか。桃の節句や端午の節句など、五節句も休みます。

 今日も広島では、いつもどおりデパートや商店は営業していました。パリやローマと違い、広島が休まないのは、宗教や文化の違いによるものなのでしょう。

大金庫の扉

今日は労働組合の定期大会に出席して来ました。10年以上応援していただいている、金属機械メーカーの労働組合です。組合の委員長は、挨拶の中でエピソードを紹介されました。
 この会社は金庫のメーカーとして有名なのですが、昨今金融機関の経営状況も厳しく、大金庫の発注は全く無かったそうです。そんな中、大手都市銀 行から、本店に設置する大金庫の注文が来ました。その金庫の扉は直径2メートルもあり、金属製の枠にぴったりはまらなければなりません。 当然、特殊な技 術が必要なのですが、大金庫の発注は13年ぶりのこと。当時の製作スタッフは、わずか2名しか残っていませんでした。
 その2名が若い18名のスタッフに指示を出しながら、手取り足とりで指導します。時には自らやって見せて、作業を進めて行きました。工程は順調に進み、6ヶ月の納期に十分間に合ったそうです。
 13年のブランクはあっても、技術の伝承はうまくいった。これも組合員皆さんのおかげですと委員長は締めくくられました。
 
 どんな組織でもまとまりがあれば、大きな仕事をやりこなせるという話です。組織よりも個人が優先されがちな今の時代、なかなか出来ないことだと思います。心の底から拍手を送らせてもらいました。

2009年10月2日金曜日

アスベストのある家

今日の朝日新聞の記事です。神戸のマンションに住んでいた女性が悪性中皮腫で死亡したのは、室内に吹き付けられたアスベストが原因だったとして、遺族は販売会社などに損害賠償を求める訴訟を起こすことに決めました。

 広島市の基町市営住宅も、天井をはぐればアスベストが吹き付けられています。アスベストの線維は極めて細かく、天井のすきまから室内に流れたものを住民が吸い込む可能性は、決して低いとは言えません。

 市は現在、住宅の2戸を1戸にまとめる改造工事を行っていますが、全戸終了するまで膨大な予算と時間が必要です。その間、住民はアスベストを吸い込み続けることになりかねません。

 アスベストの話題は、議会で下火になっています。下火になると、役所は仕事をやすみがちになります。 私はこのアスベストの問題をどこまでも追及し、撤去を求めてまいります。

2009年10月1日木曜日

子どもの貧困

一般質問は二日目です。今日も4人の議員が質問しました。その中で共産党の藤井議員は、子どもの貧困について広島市の認識をたずねました。これに対し、秋葉市長は次のように答えました。
「日本における子どもの貧困の問題が最も深刻であるのは、OECD加盟国の中で唯一、再分配後の貧困率が再分配前より高くなっていることです。」

低所得の子ども世帯は児童手当などの給付を受けても、税金や社会保険料を納めると、給付額が納付額より少ないのです。つまり、かえって貧しくなってしまう のです。子どもを救うための制度を使わない方が、子どもにとっては良い結果になるのです。そのような国は日本だけです。
 深刻な事態を招いたのは、前の自公政権です。このような行政をすすめた結果、国民の選択により政権交代が実現しました。市長も「子ども手当の創設、生活保護制度の母子加算の復活、公立高校生の授業料の無償化など新政権の政策に期待します。」と答えていました。

 いずれも総選挙の時に訴えた民主党のマニュフェストですが、新政権は確実に実行していき、子どもの貧困を解消します。どうぞご期待ください。