2010年6月6日日曜日

菅首相の誕生

 鳩山総理が辞任し、その後任に菅直人副総理が総理大臣に就任しました。総理と小沢幹事長の辞任で民主党政権はどうなるのか。大変心配しましたが、菅氏の登場でひとまず落ち着いたというところでしょう。

 菅氏は63歳。市民運動出身の市民派政治家です。1996年橋本龍太郎内閣の厚相を務めていたときのこと。非加熱血液製剤でエイズウイルス(HIV)に感染した血友病の患者たちが、国の責任を追及しました。 菅厚相は、官僚が「ない」といっていた薬害エイズの資料ファイルを探させました。ファイルは書庫から見つかり、厚生省の責任が明らかになりました。菅氏は200人の患者と会い、直接謝罪しました。
 この薬害エイズ事件の解決で、菅氏の力量は国民の注目するところとなりました。

 広島市でも、そっくりの事件が起きました。1998年の段原土地区画整理をめぐる問題です。

 当初、広島市は「100平米以下の小宅地の地権者には、清算金を坪あたり53万円を支払ってもらう」と説明していました。しかし、98年に縦覧された市の換地計画では、坪当たり100万円の清算金になっていました。小宅地の地権者は、「支払う金額が倍になっている。約束が違う。」と市に抗議しました。

 しかし、段原再開発部の向井部長・広谷課長は、「53万円なんて、そんな説明はしていない。」と突っぱねました。しかし彼らは、説明していたことを知っていたのです。悪意ある隠蔽でした。

 99年に市議選に初当選した私は段原の皆さんと、連日に渡り段原再開発部や市役所へ抗議に押しかけました。同じく99年に市長に初当選した秋葉市長は、段原再開発部に資料の捜索を命じました。

 すると99年の5月の連休明けに、書庫から資料が出てきたのです。市長はそれを公表しました。私は「これで薬害エイズ事件のように解決する。」と思いましたし、段原の皆さんも同じ気持ちでした。
 
   しかし、段原再開発部を所管する都市整備局の北谷局長は、
「53万円と言っていたが、100万円が正しい。」
 と強弁し、解決しようとしませんでした。私は再三議会で追及しましたが、一度決定した換地計画を変更することに、役人の抵抗はすさまじいものでした。

 最終的には小宅地住民が納得する形で解決したのですが、その間長い年月を費やすことになりました。この事件については、あらためて詳しく触れたいと思います。

 なお、松坂知恒のホームページの表紙に「連載記事」というバナーをクリックしていただくと、「段原土地区画整理事業」についての記事が掲載されています。お読みいただければ幸いです。