2010年11月2日火曜日

助六

 歌舞伎十八番の筆頭にあげられているのが、助六由縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)です。
 鎌倉時代の敵討ちである、曽我十郎・五郎の兄弟を題材にした物語です。
 先日テレビ放映しており、楽しんで見ました。
 配役は、主人公の花川戸助六が12代目市川団十郎、屋号は成田屋です。助六の恋人、花魁(おいらん)の揚巻は当世ナンバー1の女形である坂東玉三郎でした。

 この助六の出で立ちがど派手で、特に紫のはちまきは助六の代名詞です。このあざやかな紫色は、いわゆる江戸紫と呼ばれています。
 さらに、せりふまわしや所作など、とにかく派手です。花道から登場する場面が見せ場ですが、江戸の男性はその所作にあこがれ、女性は黄色い歓声をあげたことでしょう。

 当時のファッションの最先端を行く団十郎は、質素倹約を説く幕府からにらまれ、7代目の時に江戸から追放されます。下火となった歌舞伎の人気を回復したのは、8代目団十郎です。

 歴代の団十郎は、荒事といって男性的な荒々しい演技が売り物でした。それに対して、8代目は和事といってスマートな中性的な演技で江戸のファンをとりこにしました。その似顔絵は飛ぶように売れ、たくさん残っている似顔絵は面長のやさしい表情に描かれています。
 残念ながら、8代目団十郎は1854年に31歳の若さで自殺してしまいます。その理由は今もって謎とされています。

 東京には歌舞伎座があり、観劇の機会が多くうらやましい限りです。広島にもたまに歌舞伎が来ますが、好きな役者でなかったり演目がなじみの無いものだったりで、まだ観劇の機会には恵まれていません。興行が少ないということが、広島が文化面で他の都市に遅れを取っている例のひとつと言えましょう。
 歌舞伎を含めた興行がたくさんあり、多くの市民が高い文化に触れることを目指したいと思います。

 余談ですが、おすし屋さんで助六を注文すると、いなり寿しと巻き寿しのセットが出てきます。私はこどもの頃から、なぜ助六というのか分かりませんでした。
 これは助六の恋人である揚巻からきています。「揚げ」がいなり寿し、「巻」が巻き寿しを指しています。江戸っ子が名づけた、いかにも粋なメニューといえましょう。