2010年11月8日月曜日

ロッテ日本一

 2010年のプロ野球日本シリーズは、千葉ロッテマリーンズが中日ドラゴンズを4勝2敗1引き分けで降しました。実力伯仲の両チームが力を出し切った結果、勢いのあるロッテが押し切りました。
 去年までみんな好き放題にやっていたロッテを、西村監督が上手くまとめて力を引き出したと思います。実力のある選手たちを、ひとつの方向に向けて走り出させました。
 私は西村監督のまとめっぷりが好きで、ロッテを応援していました。地元のチームではありませんが、嬉しく思います。

 この両チームの日本シリーズは、思い出があります。1974年の日本シリーズです。
 1965年から1973年まで、プロ野球は巨人が9連覇。日本シリーズも、巨人の9連覇していました。
 1974年、セ・リーグは与那嶺要監督の中日が優勝。巨人は2位で、やっと巨人一強の体制が終わりました。この年のパ・リーグは、金田正一監督のロッテが制覇しました。当時ロッテはマリーンズではなくオリオンズでした。
 金田監督はコーチャーズ・ボックスで派手なパフォーマンスを見せたり、太平洋ライオンズのビュフォード選手と殴りあったり、話題づくりに腐心していました。

 巨人の出ない日本シリーズは新鮮で、毎試合関心を寄せて見ていました。中日は高木守道選手の活躍で2勝1敗とリードしましたが、ロッテはのちに200勝投手となる村田兆次投手の活躍で4勝2敗で栄冠をものにしました。村田が出ると中日打線は全く打てませんでした。

 
 この年私は高校1年生でした。教室の後にロッカーがあり、放課後外国出身の先生が見回りに来て、ロッカーを閉めてないときに板書して注意されていました。

「ロシカーをしめて帰ってください」

 それを毎朝見るわれわれは、いつしかロッカーをロシカーと呼ぶようになりました。当然、ロッテオリオンズではなくロシテオリオンズです。
 たまにロッテのことをロシテと呼びながら、今は亡きその先生を偲んでいます。