2011年2月5日土曜日

八百長を断った力士

 今回の八百長メール事件のため、大阪で開催予定の大相撲三月場所(春場所)が流れるようです。大事件です。
 
 私は相撲には八百長が存在すると思っています。
 
 優勝を賭けた大一番で、弱いと思われた力士が強いはずの力士にあっけなく勝つ場面など、何度か見てきました。
 また、取り組みを見ていて「こりゃ八百長じゃ。」 「なんでここで攻めんのか。」 「どうして相手十分の組み手にすぐいくんか。」
 などと思う取り組みが、幕内でも一日の中で数番はあります。
 
 昭和3年1月場所のことです。張り出し小結の玉錦三右衛門は26歳、千秋楽を前に7勝3敗でした。対戦相手の前頭13枚目三杉磯善七は37歳、ここまで10戦全勝でした。老雄三杉磯は、玉錦に勝てば栄誉ある賜杯を抱くことになります。千載一遇のチャンスです。

 三杉磯の後援会から、玉錦のもとへ使者が来ました。
 
 「五万円で負けてくれませんか。」

 当時の1円は今の数千円ほど。2千円で計算しても1億円の価値があったことになります。
 しかし、玉錦は断固として退けました。そして千秋楽の土俵で、寄りたてる三杉磯をうっちゃりでやぶりました。結局、優勝は大関の常陸岩英太郎のものとなりました。
 玉錦は千秋楽の夜、優勝した常陸岩の祝宴に招待を受けましたが、
「私は力士として、最善を尽くしたまでです。」
と語り、出席しませんでした。

 このエピソードは、後に横綱となり9回の優勝と27連勝を飾った名力士・玉錦を称えるものです。
 しかし当時から八百長が行われ、後世においても改められていないことも物語っています。

 八百長の蔓延は、深刻です。