2013年4月25日木曜日

田端義夫

バタやんこと歌手の田端義夫さんが、4月25日亡くなられました。享年94歳、大往生でした。

 わたしが中学校3年生のとき、当時の歌謡界はどうも好きになれませんでした。
 アイドルの歌は幼稚、フォーク・ソングは軟弱、演歌は女性を歌っためめしい歌ばかり。歌いたいと思える曲がありませんでした。

 当時、懐かしのメロディーをテレビでよく映していました。テレビ番組の「懐かしのメロディー」は、第一線を退いた大歌手が、かっての大ヒット曲を歌う番組でした。

 私はその歌詞に、メロディーに、歌声に魅せられました。

「うたう歌はこれだ。」

 さっそく友人2名を誘い、毎日学校や下校時に歌ってレパートリーを増やしていきました。
勉強もせず、歌詞とメロディーをひたすら覚えました。今でも全部歌えます。

 テレビでは、大物が最後に出ます。名前をあげますと、藤山一郎、淡谷のり子、霧島昇、小唄勝太郎、ディック・ミネ、市丸、伊藤久男、渡辺はま子 というところが、戦前に大ヒット曲を並べた歌手です。

 田端義夫、二葉あき子、小畑実、近江俊郎、灰田勝彦、赤坂小梅も戦前にデビューした歌手です。

 田端義夫は、赤茶色に焼けたエレキギターを抱え、右手を高くかかげながら 「オース」 と掛け声を掛けて歌い始めます。お客さんは大喜びです。
 オースのバタやんは、若いころ貧しく、奉公人だった頃の苦労がにじみ出ているようでした。

 昭和13年に「島の舟唄」がヒット。昭和14年には「大利根月夜」で大ヒットを飛ばします。
 昭和21年には、引き上げ船を歌った「かえり船」が大ヒットとなりました。

 昭和30年から、しばらくヒットがありませんでしたが、昭和37年「島育ち」でカムバック。
 昭和50年には「十九の春」がヒット。いずれも奄美と沖縄の古い歌でした。

「大利根月夜」の3番の歌詞は、

愚痴じゃなけれど世が世であれば
殿の招きの月見酒
なにが不足で大利根暮らし
国じゃ国じゃ妹が待つものを

 この詞は、剣豪千葉周作門下の俊才だった平手造酒(ひらてみき)がおちぶれ、利根川に根をはる侠客、笹川繁造(ささがわのしげぞう)の用心棒になって、飯岡助五郎(いいおかのすけごろう)との果し合いで喀血して果てる話をうたっています。

 私には妹がいましたので、情けない兄を妹が心配している歌詞だと思って歌っていました。
 また、エリートコースにあったのに、おちぶれた自分を揶揄する「なにが不足で大利根暮らし」というところは、多いに共感する歌詞でした。

 15歳で覚えた歌を、54歳の今まで歌っています。思いを書ききれないほど良い歌です。

 田端さん、安らかに眠ってください。あなたの歌った歌は生きています。