2010年3月28日日曜日

あをによし

奈良の大仏
 
 あをによし 奈良の都は咲く花の におふがごとく 今盛りなり

 万葉集に歌われた平城京は、今年で遷都1300周年を迎えます。奈良では平城京の大極殿や朱雀門が復元され、歌のとおり青丹よし(緑と朱色)の建物がよみがえりました。
 しかし、710年の平城京遷都から794年の平安京遷都までの奈良時代は、政争に明け暮れた時代でした。列挙しますと、729年長屋王の変、740年藤原広嗣の乱、757年橘奈良麻呂の変、764年藤原仲麻呂の乱、770年道鏡事件と続きました。
 
 先日テレビで、遷都1300年記念番組「大仏開眼」を放送していました。主人公は留学生の吉備真備で、吉岡秀隆が演じています。真備の恋人が、石原さとみ演じる阿倍内親王(後の孝謙天皇)という現代的な設定でした。政争の中心人物となる広嗣、仲麻呂も登場し、聖武天皇や光明皇后を中心にドラマの舞台は回っていきます。
 
 奈良朝の政争のドラマを見ていて、つい今の広島市政を連想しました。私が市議になってからの11年間で、様々な政争が繰り広げられてきています。奈良朝も顔負けの激しい政争です。


 その広島市政ですが、25・26日の採決で市長の提案した予算は否決され、31日に再議に付されることになりました。反市長派の提出した修正案が、再度議論され採決されることになります。
 今度は3分の2以上の賛成が無いと、修正案は否決され市長の提案が通ることになります。しかし、どうなるかはわかりません。新たな修正案が提案されるかも知れないのです。 
 私も政争の中に身を置いています。その中にあって、常に市民の立場に立った姿勢をつらぬいて行きます。
 
 聖武天皇の大仏建立は、天災や反乱が度々起こった世の中を平和にしたいという想いから始まりました。それと同じように、秋葉市長の掲げるオリンピック誘致は、核兵器廃絶を実現し世界平和を実現させるための重要な呼び水です。
 
 市民の末代まで続く平和な世界の実現は、市長や市議会は当然ながら、広島市の全ての人の手にかかっているのです。

2010年3月26日金曜日

オリンピック開催を検討する予算が削除されました

 25日は市議会予算特別委員会の最終日でした。秋葉市長が提案した、平成22年度予算案などの提案が採決されました。
 注目は2020年に広島が誘致を検討しようとしている、オリンピック関連の予算2600万円です。実現の可能性について精査するため、市長が計上しました。

 この誘致を検討する予算の削除、折り鶴ミュージアム建設を検討する費用、市長が平和市長会議の活動のためにロシアへ赴く旅費がカットされた修正案が提出されました。
 提案理由の説明で、山田議員(政和)は削除した理由として、
①財政的に余裕の無いこと。②市長が議会に相談せず唐突にオリンピックの誘致の意向を発表したこと。この2点をあげました。

 市長の提案に賛成の沖宗議員(市民市政)から質疑がありましたが、山田議員の回答は①、②の繰り返しでした。次いで、若林(市民連合)、母谷(薫風会)、村上(共産党)の各議員から市長の提案に賛成、修正案に反対の討論が行われました。修正案に賛成の討論はありませんでした。

 いよいよ採決に持ち込まれました。委員会に出席している委員の過半数が同意した案が成立することになります。藤田議長、田尾委員長は採決に加わりませんので、55名から2人を引いた53名で採決しました。まず山田議員らの提案による修正案が採決され、28名の賛成多数で可決されました。
 これによって、オリンピックの開催を検討する予算は削除されることになりました。

 修正案に賛成した議員は、
自民党新政8名(谷口、宮本、木山、金子、平野、児玉、木島、柳坪) 
政和クラブ9名(山田、橋本、増井、中本、種清、佐々木、熊本、大野、三宅) 
公明党8名(米津、原、平木、安達、星谷、渡辺、西田、碓氷)
爽志会1名(八軒)
未来クラブ2名(桑田、豊島)
合わせて28名です。

 一方、修正案に反対した議員は、
市民連合8名(松坂、太田、都志見、酒入、若林、沖、清水、森本)
市民市政6名(沖宗、八條、海徳、元田、竹田、月村)
共産党5名(中原、村上、皆川、中森、藤井)
爽志会3名(今田、永田、土井)
未来クラブ(馬庭)
薫風会(母谷)
合わせて24名です。
自民党新政の碓井議員は退席したと言われています。

 この結果は、本当に残念です。オリンピックを通して、核兵器の廃絶を訴えたり、世界に広島の存在を知らしめたりする絶好の好機だったのですが、議会の過半数の理解に至らず挫折することになりました。
 26日は本会議で、あらためて採決されます。

2010年3月23日火曜日

カッコーの巣の上で

 プロ野球が開幕して、一気にシーズン到来です。今年もたくさんの野球ファンが球場に詰め掛けることでしょう。
 野球を扱った映画は、ヤンキースのルー・ゲーリッグを主人公にした「打撃王」、日本では巨人の沢村栄治投手の「甦る熱球」などが有名です。

 昨年の12月に、陪審員制度を描いた「12人の怒れる男」という映画を紹介しました。ヤンキースの試合が見たいために、表決を有罪から無罪にころっと変えてしまう陪審員の話です。
 もうひとつ、私が忘れられない映画があります。精神病院の閉鎖病棟を舞台にした映画「カッコーの巣の上で」です。主演はジャック・ニコルソンでした。

 逮捕された凶悪犯マクマーフィーは、刑務所での強制労働を避けるため、狂人を装って精神病院の閉鎖病棟に入院します。そこでは病棟婦長が全権を握り、患者はしょぼくれて過ごしています。

 毎日が退屈だったマクマーフィーは、野球のワールドシリーズをテレビ観戦しようと提案するのですが、賛成者が少なく退けられます。そこでマクマーフィーは、ひとりひとりに賛成を取り付けました。しかし婦長は、ミーティングに参加していない慢性患者も1票持っているから、過半数には達しないと再度退けます。

 怒ったマクマーフィーは、ネイティブアメリカンのチーフが手を上げているのを指差し、過半数だと主張します。ちなみにチーフは野球を見たかったわけではなく、ネイティブアメリカンの慣習で手を上げていただけでしたが、マクマーフィーは見たがっていると主張したのでした。
 すると今度は「時間切れだ、会議は終了した」と婦長が拒否し、テレビを見せようとしません。

 この仕打ちにマクマーフィーは怒りを抑えて、テレビの前に陣取ります。やけになったマクマーフィーは、何も映っていないテレビの画面に向かって、大きな声を上げ始めました。日本語でいうとこんな調子です。
 
 「ピッチャー振りかぶって投げた。4番の栗原、打った!!打球は転々と右中間を破った!!三塁ランナー東出ホームイン。二塁ランナーの小窪もホームインだ。栗原は二塁を回って三塁へスライディング!セーフ!!セーフ!!カープ逆転だ!ジャイアンツを逆転しました!!」

 これにつられて、周りの患者たちも熱中してテレビに見入るというシーンです。
 
 この映画は閉鎖病棟の非人間性を描いた秀作です。この一場面だけですが、野球を扱ったシーンが登場します。
 野球ファンである私にとって、こたえられない映画のひとつになっています。 

2010年3月21日日曜日

球春到来

 3月20日、プロ野球パシフィックリーグが開幕しました。セントラルリーグも来週開幕します。野球ファンにとって、待ちに待った開幕だと思います。私も同じ気持ちです。
 ダルビッシュと杉内、岩隈と金子そして涌井と成瀬。パリーグ各チームのエースが堂々投げ合いました。
 
 私が幹事をつとめる野球チーム「バッカス」も、今日が開幕戦で、結果は8対0で勝利をおさめました。
 特にわがチームのエースは、冬の間に走りこんで仕上げていたそうで、身体の切れが良く腕の振りも鋭く振れていました。4回を無失点に抑え、女房役の捕手も巧リードでエースを盛り上げました。彼も毎週ジムで走りこんで、鍛えています。
 私もそれに続いて・・・と言いたいところですが、今日の結果は少し残念でした。
 
 7番セカンドで先発し、1回ウラの攻撃で2死2,3塁のチャンスで打席に入りました。初球カーブがワンバウンドしたので、2球目は100%ストレートと読んでいたら、その通りのインコースへのストレート。「待ってました」とばかりに、タイミング良くスイングしましたが、バックネットへのファウルとなりました。
 その後、2ストライク2ボールから小さいカーブを上手く捕えましたが、ピッチャーがグラブではじいてセカンドゴロとなりました。
 
 実は腹筋が痛くて、足を挙げるときに痛みが走り、ダッシュすることが難しくなっています。寒い時にフットサルで走り回っていたのが、今頃こたえているのでしょうか。
 
 開幕をベストの状態で迎えられなかったのは反省です。

2010年3月20日土曜日

クロマグロ

 私はマグロが好きです。特にトロには目がありません。そのトロがとれるのがクロマグロです。
 世界での総漁獲高のうち75%を日本が消費しており、おもに大西洋や地中海で漁獲されています。

 このクロマグロの国際取引を禁じる提案が、ワシントン条約締約国会議の第1委員会で68対20で否決されました。
 提案したのはモナコ公国で、賛成派はヨーロッパ連合やアメリカです。反対票を投じたのは、日本、韓国、中国、インドネシア、トルコなどのアジア諸国と、リビア、モロッコ、セネガルなどのアフリカ諸国です。

 資源保護などの問題から離れての話ですが、アジア・アフリカ連合が欧米諸国を表決で打ち負かしたことは、私にとって喜びに堪えない快挙です。

 長い間、欧米列強の植民地として搾取されていたアジア・アフリカ諸国が、日本と欧米の対立するこの提案で日本の支援に回ってくれたからです。私たちがトロを食べることに、彼らは賛成してくれました。
 これからの日本外交はアジア・アフリカ諸国と手を携えて、欧米と、特にアメリカと向き合っていくべきだと思います。

 ともかくトロが安心して食べられることを感謝して、おすし屋さんに行こうと思います。

金箔鯱瓦の展覧会

金箔鯱瓦



 3月16日、予算委員会での質疑で、私の質問に広島市文化財課は次のように答弁しました。

 「出土した金箔瓦は、その組成分析により、1610年の前後30年間に造られたものとみられます。また瓦の製作に使用された土の分析から、広島市とその東部で焼かれたものと思われます。」

 「金箔瓦を中心とした展覧会は、今年の11月上旬から約1ヶ月間、広島城天守閣を会場として開催されます。また同時期に製作された金箔瓦について、安土城、姫路城、聚楽第などの遺跡を借り受け展示することを考えています。」
 
 今回は、金箔鯱瓦の学術的な価値にスポットをあてた展覧会になるようです。歴史ファンたちは、豊富な知識を持っており、展示の内容や説明も高度なものが求められます。それに十分応えられる展覧会を開催したいと思います。

 平成20年度に本丸御殿を54億円で復元した熊本城。その来場者数は222万人でした。
 一方の広島城は18万6千人。120万石の毛利輝元が、54万石の加藤清正の後塵を拝しています。
 
 幸いなことに無償で手に入れることが出来た金箔鯱瓦の展覧会に、たくさんの方々に来ていただきたいと思います。
 熊本城の222万人にどこまで迫れるか。皆様のご来場をお待ち申し上げます。 


 

2010年3月16日火曜日

金箔鯱瓦の質問

 予算特別委員会も、今日16日と、明日17日を残すのみとなりました。
 私の最後の質問は「文化財の展示会」です。今日16日の予定です。

 2009年の1月27日、広島城中堀跡近くで出土した鯱形の金箔瓦は、ほぼ原型をとどめており、間違いなく貴重な文化財と思われます。現在おこなわれている調査の内容や、今年の秋に予定されている展覧会の期日。規模や展示内容について、広島市文化財課から回答してもらいます。

 また観光に焦点をあて、観光業者に金箔鯱瓦の展覧会をアピールし、日本中から歴史好きな観光客に来広してもらう戦略をたずねます。
 もちろん広島市民の皆さんにも、この金箔鯱瓦を知っていただきたいと思います。
 小中学校や公民館での授業講座で紹介し、広島の先人の偉業を偲んでいただきたいと思っています。

 1589年、毛利輝元はただの砂の州であった広島に鍬をいれ、わずか2年で広島城を築城しました。そして、掘割、町割りを完成させ現在の広島市を作り上げたのです。
 このスケールの大きさは何に例えられましょうか。大いにロマンをかきたてられます。
 
 たくさんの方々に、この金箔鯱瓦を見ていただきたいものです。

2010年3月15日月曜日

大銀杏

大銀杏と石段

 3月10日未明、鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏が、折からの突風で倒れてしまいました。「鉄道唱歌」では、
「八幡宮の石段に立てる一木の大鴨脚樹(いちょう)、別当公暁のかくれしと歴史にあるは此影よ」
また、「鎌倉」では、
「上るや石のきざはしの左に高き大銀杏、問わばや遠き世々の跡」
と歌われています。自慢の声をお聞かせできないのは残念です。

 私は、鎌倉が好きです。貴族支配を武家の世の中に変えた源頼朝が興した、鎌倉幕府の守護神が、この鶴岡八幡宮です。
 三代将軍実朝が、右大臣を拝命した雪の夜のこと。二代将軍頼家の息子である公暁が実朝を暗殺した時、この大銀杏の陰に隠れてやおら飛び出して斬りかかったと言われています。
 
 中学三年の夏、横浜に住む友人を訪ねたとき鎌倉に赴きました。そして、この石段で公暁と実朝になってちゃんばらをしたことを思い出します。

 大銀杏はこの宮のシンボルでした。倒れてしまった大銀杏ですが、専門家の手により再生が可能となりました。
 よみがえる日を楽しみに待ちたいと思います。

2010年3月11日木曜日

土に埋まる

 3月10日は予算特別委員会が15時30分開会のため、午前中に市内視察に出かけました。
 段原東部の区画整理事業にともない、霞町の警察学校の南側にコミュニティ住宅を建設しました。1階に車いす利用者用の住宅が3室あり、その部屋の視察です。段原再開発部の二人の課長を含め四名が案内してくれました。
 
 以前、庚午にある市営住宅を視察しましたが、間取りはほぼ同一でした。居室が2室、広いダイニングキッチン、トイレも広くスペースをとってありました。
 
 最後に避難用の通路を点検しました。玄関の反対側にベランダがあり、ベランダからスロープで前の広場に降りていく設計です。車いすに乗ってスロープを降りていきますと突き当たりに花壇がありました。広場の真ん中に避難するには、花壇の手前を左に90度曲がらなければなりません。
 なぜ花壇があるのかとたずねますと、建物の上から物が落ちてくるときに人がいると危ないので、近くに寄らないように花壇を作ったという説明です。
 「避難するのに邪魔になるのでは」と意見したところ、誰も何も言いませんでした。普段ならともかく、避難する時にはゆっくりとする余裕はないはずです。
 タイヤから手を離し、スロープを下りて左に曲がって広場に出ようとしました。車いすはスピードを出しながら、まっすぐ花壇に向かって下っていきます。花壇に衝突する前に、縁のレンガに足をかけて停めようとしました。
 
 その時です。車いすは突然停止しました。スロープの下は土でしたが、雨が降っていたので、軟らかくなった土に車輪が埋まっていました。自力では脱出できず、火事が起こった時ならば、焼け崩れた瓦礫の下敷きになって命を落としていたことでしょう。 
 同行したスタッフが助けてくれましたが、課長は車いすが埋まるとは気づかなかったと言っていました。
 
 こんなことをする人間はあまりいないだろうと思いながらも、車いすで下ったことで問題点が見つかり、結果的には良かったと思いました。
 
 ちょっと怖かったです。

2010年3月9日火曜日

自殺者対策で質問しました

 プロ野球のオープン戦も始まり、サッカーのJリーグが開幕しました。予算特別委員会(予特)も開幕して1週間がたちました。私は3月4日の厚生関係で質疑に立ちました。

 まず自殺対策について質問しました。
1)相談者に対する相談機関のネットワークはあるのか。
2)自殺未遂者に対するケアは行っているのか。
3)自殺者の遺族に対するケアは行っているのか。

1)については、健康福祉企画課長が答弁しました。
 「ネットワークについては推進協議会を結成しているが、どの部署が主導するか課題となっています。」
 課題となっているとは、まだ何もやっていないということです。

2)については、精神保健福祉課長が答えました。
 「本人のプライバシーもあり微妙な問題です。広島県と相談します。」
 何らの対策もとってないし,やる気が無いということでしょう。わが耳を疑う答弁でした。
 「自殺未遂者は、再度自殺を企図するハイリスクな人たちです。何もケアせずに放置してよいのですか。」
と迫りましたが、前向きの答えは届いてきませんでした。

3)については、精神保健福祉センター相談課長が答えました。
 「遺族のみを対象とした『分かち合いの会』を7月から立ち上げます。参加は大人だけです。」
 遺された子どもたちへのケアはどうするのかと質問すると、
 「子ども同士の会も立ち上げます。」
と、付け足しのような答えが返ってきました。また相談体制については、児童相談所の相談課長が
 「児童相談所として、自殺者の遺族である子どもたちのカウンセリングにあたります。」
と答弁しました。
 広島市が子どもの権利を尊重するなら、大人だけを対象とした分かち合いの会を開くのは矛盾していると思います。子どもも一緒に参加して、何の差しさわりがあるのでしょうか。

 納得のいかない質疑に終わりました。これはほんの序盤戦です。
 この議論をきっかけに、さらに深く突き詰めて広島市の自殺対策を効力のあるものにしていきます。
 5年後には、広島市の自殺者数が平成20年の241人から2割減っていることを目指します。

2010年3月4日木曜日

自殺対策とがん検診

 今日3月4日は予算特別委員会の厚生関係の質疑です。私は、二番目に質問に立ちます。
 質問は
1)自殺対策について
2)がん検診について 
の2項目です。

 国内では12年連続で自殺者3万人を超えています。これは政府が有効な自殺対策を採ってこなかったことが原因です。広島市は22年度に2130万2000円を計上し、より充実した事業を予定しています。
 私は
①行政や民間の相談機関のネットワークの構築とそれを統括する機関について。
②自殺未遂者へのケアについて。
③自殺者遺族のケアについて。
広島市の考えを質問します。

 また2000年に男女合計295,484人が死亡しているがんについて質問します。
①がん検診の低い受診率の原因は。
②受診率向上の対策は。
などです。

 いずれも行政の力量が問われる事業と言えましょう。長らく自殺死亡率(10万人あたりの自殺者数)で全国1位だった秋田県は、努力が実り死亡率が6.3下がりました。
 医療が進歩しても、がんの死亡者数は変わりません。意識啓発が重要で、いかに検診会場に足を運んでもらうかが鍵となるのです。

2010年3月3日水曜日

予算特別委員会が開幕しました

 3月2日から予算特別委員会が開幕しました。22年度予算を決定する、一年で最も重要な時期です。3月25日の委員会での採決、26日の本会議での採決で来年度の予算が決定します。

 初日は文教関係の審査でした。私は出番が無く、一日中自席で聞いておりました。
 特に盛り上がったのは、市立の5小学校を近隣の学校に統合する素案についての議論でした。児童生徒が少ないというだけの理由で廃校とするという素案です。
 昨年視察に訪れた、外国人の子弟の教育が行き届いていた基町小学校が廃校となるというのです。また、私の長男が通学した井原小学校は廃校となります。どちらの小学校も少人数でしたが、それをハンデと感じさせない指導をしていました。
 少人数でも、児童個人個人の個性に応じた教育を実践している学校が、なぜ無くならなければならないのか。濱本教育長の答弁には説得力がありませんでした。

 質問した議員は触れなかったのですが、私が一番知りたいのは子どもたちの思いです。これは、教育委員会も把握していないのではないでしょうか。広島市は子どもの権利を認めようという立場ですから、廃校となる学校の児童生徒の意見を聞く場を持つべきでしょう。

 今のままでの、拙速すぎる廃校には反対です。